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ミッフィに会いに行く 交換留学日記 14


2024年11月18日 手ぶくろ

 どこかで手袋を片方、無くしてしまったみたい。

 いつも背負っているバックパックやダウンのポケットをひっくり返しても、見当たらない。

 これから朝晩、ますます冷え込むのに、困ったなあ。

 でも、これはつまりいよいよ、ラトビアの手編みミトンへ挑戦せよという啓示だろうか。

 向田邦子のエッセイ『手袋をさがす』を思い出す。

 細かい目を編むための編み棒、日本に置いてきちゃったな。

朝8時ごろ

 今日は授業がないが、朝から課題をやり、必要なテキストを読み、ほぼ図書館に引きこもっていた。

 気づいたら外が暗くなっていた。

 目がシパシパするから、早く寝よう。

2024年11月19日 どうした

 今日の授業は、グループワーク。

 前回、肩凝りするほど緊張して、最後までうまく貢献できなかったグループワーク。

 同じことは繰り返すまい。

 セメスターの終盤に、3〜4人のグループでプレゼンテーションをし、レポートを書いて提出するまでが、この授業の必修。

 本当は、サステナビリティに関わるテーマにしたかったが、意外と選ぶ人がおらず、健康維持のために徒歩を選ぶまでの意思決定プロセスとモチベーションの変遷、マインドセット(仮)になった。

 グループは再び、わたし以外オランダ人の女の子たち。

 そしてやはり、クラスにアジア人はわたしだけ。

 前回のグループワークの授業は、初回から冷や汗をかき、普段なら問題なく会話できるような内容でも言葉が出てこなくなったり、どもった自分の口調でさらに焦って話せなくなり、自己嫌悪に陥る負のループにハマってしまった。

 自分でも、なぜあんなに怯えていたのか分からない。

 けれど、今回はぜんぜん緊張しなかった。なんなら、全員の前で発言もした。びっくり。急にどうした。

 一つ、思い当たるのは、コースを担当していた先生の雰囲気。

 ビビり倒していた前回の授業は女性の先生が担当していた。

 授業は分かりやすく、質問にもていねいに答えてくれる先生だったが、まばたきや表情の変化が乏しく、彼女を前にすると身体が固まってしまい、言葉がうまく出てこなくなることが、ときどきあった。

 一方今回は、2児の父で、表情豊かな髪ボサボサの男性の先生。

 年齢は二人とも同じくらいで若く見えるが、なんとなく安心して発言できるのは後者の先生と対峙している時だった。

 勘違いかもしれないし、わたしの自信のなさや、オランダに来て間もなかったことも、過度な緊張に影響していたとは思う。

 でも、少しでも自分のコンフォートゾーンを抜け出して、些細なことでも「前よりずいぶん良くなった」と前向きに自分を認めて、オランダ生活を終えたい。

2024年11月20日 「一人でやることに意味はあるの?」への答え

 ほんとうなら、土を触ったり、編み物したり、絵を描いたり写真を撮ったりして、その出来不出来に頭を悩ませ、工夫をこらしているうちに日が暮れ、肩まで湯船に浸かってあたたかいふとんで眠る。

 そういう日々が、どれだけ尊く手に入れ難いものか。

 手に入らないから尊いと感じるのか。

 気候危機や戦争の話題を出すと、「なんか真面目な話、はじまった」と避ける。

 真面目な話を、真面目にして、何が悪いのかと思うけれど、目を背けるということはそれだけ慎重に扱うべきトピックだという認識があるということだ、と前向きに考えることにした。

 また、戦争のことや気候危機に関して「個人のできることなんて限られている」という発言に、わたしならどう答えたいか(答えるべきか、ではなく)を考え続けていたけれど、現時点で「これかも」と思える返答が見つかったから、備忘録として記す。

 そもそも、わたしがいまラトビアやオランダで、自由に勉強ができ、日本のパスポートがあれば200カ国近く旅ができ、健康でいられるのは、わたし個人の免疫と努力と運、そして、いままでさまざまな日本人が、光の当たらないところも含めて地道な努力を重ねてきたからだ。

 つまり、それは現代を生きるわたしたちにも言える。

 今のわたしたちの行いが、数年後、百年後の個人や国の振る舞いに大きく関わる。

 自然の資源だけでなく、蓄積された信頼まで枯渇させるような、そんな節操も品もない世代の人間にはなりたくないなと思う。

 もっとミクロな視点で言えば、わたしの友人の子どもたちが、わたしが受けた恩恵を引き継げないのは、あまりにも不公平に思う。

 わたしが被った数々の理不尽は、すべからく駆逐されるべしと思うが、いま海外にいることで強調される日本という国が持つ歴史や文化の特権が、次の世代から効力を失うのはつまり、信頼を失うということでもある。

 もちろん、日本の政治や経済がもたらす負の遺産も多い。

 でも、経済力は今後確実に弱体化していくのだから、余力があるうちに未来へ投資しないと、ただの穀潰しだ。

 自分の子どもはいないけど、海外にいるとつくづく「名前も知らない先輩」たちの残してくれた土台に助けられることがあって、だからわたしも名前なんて残らなくて良いから次世代が一歩踏み出せる、その足場を支える土になりたいと思うのよ。

 個人のちょっとした変化は、ごめんだけど、すぐに効果はないの。

 一人が節電したところで、一人が「戦争反対」と言ったところで、気候危機は止まらないし、戦争は終わらないの。

 でも、一人の声を聞いている人は、何人もいるの。

 そして、声というのは、繰り返し、絶え間なく発されていると、だんだん無視されにくくなっていくの。

 その声が届くのは、明日ではなく、一年後、10年後、もしくはわたしたちが死んだ後かもしれない。

 けれど、誰も何も言わなければ事切れるだけ。

 もし「一人でやって意味あるのかな」というつぶやきを耳にしたら、「残念だけど」と前置きして、言いたい。

 このまま、なにもかもが、劇的に良くなることなんて、きっとない。

 でも何もしなければ、あたたかいふとんも、絵を描いたり編み物したりする時間も、おいしい水やごはんも、いずれなくなる。

 しかも、自然に消えるのではなく、誰かに作為的に、暴力的に、奪われて。

 今もう、すでに、その道へ続くかもしれない地獄の入り口に立っている。

 同じ穴の狢なら、せめて地獄の果てまで付き合ってよ。

2024年11月21日 鈍感力という必殺技

 マイクロアグレッションという言葉がある。

 名付ける・定義するという行為は、いままで曖昧だった行為に意識を向けようという現象でもある。

 わたしはあまり、自分が差別されている意識がないけれど、おそらく、他の人にとっては許せない・モヤモヤするような仕打ちも、わずかだが、受けているような気もする。

 でも、「いちいち気にしていられない」という白けた気持ちと、純粋に気づかない鈍感さが共存して、立ち直れないようなショックを受けるには至らない。

 時には「もうちょっと自覚的になった方がいいのかな」と思ったこともある。

 しかし、相手を敵にしないで闘うためには、自分自身を守る鈍感力が意外と武器になる。

 根本的に「嫌いな人を作りたくない」という気持ちがあって、だから多少差別的・嘲笑的な仕打ちを受けても、何も気づいていない顔をしてニコニコ近づいていく。

 それが不気味だと感じて退散する人もいれば、自分の差別やちょっとした悪意に気づいて体勢を立て直してくれる人もいるし、強い悪意はなく好奇心が強い人なら逆に仲良くなれたりする。

 いずれにせよ、日本で暮らしているあいだ、じわじわ培われた鈍感力が、自分を守ってくれている。

2024年11月22日 オランダと日本の共通点

 友人と、ユトレヒトの博物館へ。

 労働階級の人たちが暮らしていたエリアで、経済成長とともに取り壊された住宅街の一部を復活させ、博物館したもの。

 コンパクトで分かりやすく市民生活が展示され、キャプションはほぼすべて音声に集約されていた。

 かつてこのエリアに住んでいた(もしくは今も住んでいる?)インタビューも何百人にも行い、彼ら彼女たちのエピソードを集めた部屋も興味深かった。

 料理や洗濯は家の外の路地で行っていて、公道が社交場になっていたらしい。

 お風呂やトイレも外。家は保存食を置く棚と薪ストーブ、ベッドのみ、という感じでかなり小さかった。

 今でこそ酪農が盛んだけれど、労働者階級の人たちにとって肉や卵は高級品。

 日本の価格と比べると、オランダのお肉や卵、高いんだよな。

 卵は6個で800円くらいする。お肉も高い。魚も高い。どうやってタンパク質を取れと?!

 チーズもそんなに安くない。チーズ大国なのに。

 「ドラッグストア」と呼ばれる、薬や食品が売られているお店の説明がおもしろかった。

 説明文を読めば、日本のドラッグストアと、ほぼ同じだった。

2024年11月23日 やっと’ナインチェ’に会えた!

 オランダといえば、何を思い浮かべる方が多いだろうか。

 チューリップ、風車……そして、ミッフィ!!!

 日本人も大好きミッフィは、オランダ・ユトレヒト出身のディック・ブルーナが生み出した絵本のうさぎ。オランダ語ではナインチェと呼ぶ(和訳だとウサちゃん、みたいなニュアンス)。

 ミッフィが大好きなオランダ人の友人(オランダ人の大人のミッフィ好きは正直めずらしい)と一緒に、数週間前から「ミッフィ美術館」のチケットを予約し、行く約束をしていた。

 いざ、ナインチェに会いに!

 もともと「子ども向けの美術館」と聞いてはいたが、確かに、美術館というか、子どもたちの遊び場だった。

 ミッフィのキャラクターたちがあしらわれた、お店屋さんごっこができるブース、お医者さんごっこや交通ルールが学べるブースなど、いくつかの部屋に分かれていた。

 そのほとんどに日本語のキャプションが。どれだけ日本人が多く訪れているかがよく分かる。

美術館内にたくさんあったミッフィライト
折り紙で作ったミッフィ。わたしのミッフィ(茶色)は、なんかお疲れ気味な顔になっちゃった。なんで?

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