早く行くのも遠くへ行くのも、ときどき一人、ときどきみんなで
おまじないのように、時には自分をなだめるために、声には出さず繰り返していた「早く行くなら(以下略)」の、ことわざ。
たしかに、早く目的地へ辿り着きたいなら、一人で出発すればいい。
日程を合わせたり、好みを妥協したり、あっちを立てたりこっちを立てたり。
誰かと何かを成し遂げるには、多かれ少なかれ、調整に時間を費やす。
多少、目的を妥協してでも、早く到達することを優先させるなら、さっさと一人で向かえばいい。
いっぽう、遠い時間軸を歩むなら、「今ここ」との距離をあやつる必要が出てくる。
より広く、鳥の視野で、半径数メートル以内にいる自分以外の誰かの歩幅に合わせてみる。
そうすれば「気づいたらこんな遠くまで来ていた」なんてこともある。
他人の歩みは、自分の歩みと違うリズム。
翻弄もされるが、自己満な想像力の外へ連れて行ってくれる。
手っ取り早い達成感よりも、一人ではどうにもできないことを時間を惜しまず成し遂げたくて「遠く」へ行ってみようと思い立ったのが、2年前のコロナ禍。
そして実際に「遠く」へ行ってみたくて、環境を変えたのが一年半前だ。
「遠く」へ、来れた?
どうだろう。
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