一時帰国まであと2週間! #ラトビア日記 41週目
2024年6月3日 そういえば最近
眠くて眠くて、たまらず、久々に一日中家にいた。
思えば、あたたかくなってから、ずっと日中は外出していた。
なんとなく陽が出ていると「外に行かなきゃ」という気持ちになっていた。
それくらい、冬が暗かった。
寒さより、暗さが堪えた。
北欧に暮らすのは、わたしは向いていないかも、と思ってしまった。
寒さはいくらでも我慢できるけれど、暗いのは、どうにも自分で調整できないし、明らかに体調を崩す。
ラトビアに来てからしばらく、1ヶ月に一度くらいの頻度で風邪をひいていたけれど、3月後半くらいからだろうか、ぜんぜん風邪を引かなくなった。
見事に日照時間の長さと呼応して、体調が安定している。
やっぱり秋冬の体調不良は、ビタミンD不足だったんだな……と思う。
帰国後の健康診断で、何もないことを祈る。
ちなみに眠すぎたのは、単純に生理のせい。
2024年6月4日 アナログなのか最新なのか
大家さんから「住所変更に行って」と連絡が来た。
わたしがいま住んでいる家は、6月末の帰国とともに一度引き払う。
荷物も何もかも処分して、空っぽにして、オランダ留学を終えてラトビアに戻ってきたら、違う家に住む予定。
その違う家は、同じ大家さんの家を借りることにした。
無愛想だけれど、トラブルや物の故障があっても、すぐ対応してくれる大家さんだったから。
いま持っているIDの住所を、次に住む家の住所に変更してくれとのことだった。
ラトビアは、さまざまな公共手続きをオンラインでできるけれど、住所変更は、市役所みたいなところに行かなければならないらしい。
言われた通り、大家さんが送ってくれたメッセージを、そのまま窓口のマダムに見せ、書類を作成して終わり。
すぐ終わったけれど、ちょっとしたやりとりくらい、ラトビア語でできたらな、と少し落ち込んだのでした。
とはいえ、今はラトビア語を勉強している暇はない。
早くエッセイを書き上げなければ……。
ぼんやり構成や分析を考えただけで、数100ワードしか進まなかった……。
2024年6月5日 ストレスだけとやめられない
エッセイを書くストレスからか、偏食が止まらない。
肌も荒れるし、げんなり。
しかも文字数が長いから、自分が何を書いているのか、だんだん分からなくなってくる。
こういうとき、AIに添削してもらうのが、すごく助かる。
ほんと、テクノロジーがなければ、海外の大学院なんて、サバイブできなかったな。
勉強の質も内容も、大学受験のときと違うけれど、勉強の方法ややり方も、ぜんぜん違う。
学び直しは、自分の人生を棚卸する意味でも、より迷子になるためにも、いいものだと常々思う。
一生学ぶことはやめられないし、やめたくない。
そのためのテクノロジーなら、大歓迎です。
2024年6月6日 移民局とのやり取りの軌跡
突然すずしくなった。
半袖で日陰でじっとしていると、鳥肌が立つくらいには気温が低い。
昨日まで、閃光みたいな太陽の日差しだったのに、夏の気配はどこへやら。
今月の夏至祭を終えたら、日の長さはどんどん短くなる。
つまり、冬へのカウントダウンが始まるわけだ。
公園でエッセイを書こうと思ったけれど、ちょっと涼しすぎるので帰宅。
家について間も無く、移民局から連絡が。
6月末の帰国までに、オランダ滞在中の期間をカバーした滞在許可証が必要。
前回に比べて提出書類も少なく、ビクビクしないで済んだが、メールを開くときは、やっぱり訳もなく緊張する。
わたしが提出したのは「居住許可登録」というプロセスに必要な書類たち。
Submissionという指定されたドキュメント(サイトからダウンロードして記入する)
パスポートのコピー
手数料(30日以上の手続き期間で問題ない場合は支払い不要)
滞在予定期間を網羅したラトビアで有効な健康保険の証明書
今回、移民局に申請するまでにやり取りしてくれた女性から、追加で提出するよう言われた書類と、わたしが「念の為」と提出した書類は以下。
2025年2月以降の賃貸契約書(ちゃんとオランダから帰ってきてラトビアに住みますよ、という意思表示のために念のため提出した)
Erasmusでオランダに行く旨を説明した書類(フォーマットは特になし。居住許可を取得したい理由が分かれば問題ない)
2つ目の書類については、現状の居住許可の有効期限が半年以上残った状態で、新しい居住許可の申請・取得の前例が、ほぼ皆無だったことから、移民局の窓口の女性から「なぜ早めにIDが必要なのかを説明した書類を作って欲しい」と言われたため、作成したのでした。
また、Erasmusで留学するユトレヒト大学にAcceptance letter(入学許可証みたいなもの)を早めに作成・送付してもらうように頼み、そのletterをラトビア大学のinternational studentの事務局に共有して、大学側からラトビアの移民局に「この人は正式なErasmusの交換留学生に選ばれました」という報告と、それに伴うInvitation Numberというものを発行してもらう。
この大学からのお墨付きがないと、移民局はわたしが提出した書類の確認に動いてくれない。
何度も「これは何待ち?」「どこからどこまでを、誰がやってくれるの?」という状態に陥ったが、前回の居住許可取得のプロセスの間に図太くなり、しつこいと思われようと物分かりの悪い奴と思われようと関係なく、ストーカーの如く、少しでも気になることがあれば移民局に確認と質問のメールを送りまくった。
「送ったら迷惑かな」「しつこいって思われるかな」などと考えるだけ無駄だと学習した。
想像力の感度をシャットダウンして猛プッシュすれば、相手も人間だから、返事もくれるし、動いてくれる。
わたしの場合は6月の帰国までに絶対に居住許可を取らなければならなかったから、早く手続きを終わらせたくて、背に腹は変えられなかった部分もあるけれど。
放っておいても動いてくれるわけではない。
自ら手を挙げていかなければならない。
2024年6月7日 人間も楽器になれる
誘ってもらった、ラトビアラジオ合唱団のコンサートへ。
毎回行くたびに満席で、合唱団への層の厚さを感じる。
ジーンズにトレーナーで行って、ちょっと後悔。もうちょっとちゃんとした格好で行けばよかったな。
今回は、水金地火木土天海の8つの惑星をモチーフに、ラトビア人作曲家8名による、新曲たちとのこと。
それぞれの歌詞は、Nora Ikstenaというラトビアの詩人が書き下ろし、演奏中はそれぞれの惑星の動画と歌詞がスクリーンに映し出された。
当日は、打楽器(木琴、鉄琴、ティンパニ、銅鑼など)とチェロの生演奏つき。
素人にはメロディラインが曖昧で、どうやっておたまじゃくし(音符)が配置されているのか、まったく分からないほど、一曲一曲が、音と音の連なりだった。
歌っている合唱団の人たちも、いよいよ人間ではなく、楽器になったんだと思った。
それくらい、音だった。ある意味、音楽という文字をそのまま表しているほど、人の声やチェロ、ティンパニなどの音で遊んでいる感覚がした。
今まで鑑賞した合唱は、コンサートという名称がふさわしかったが、今回の演奏会は“ライブ”という表現の方がしっくりきた。
作曲家と詩人、演奏家、合唱団のセッションに近い実験を見ている心地だったから。
今までの、聞き入る合唱とは違って、次どうくるのか、何が待ち受けているのか、予測不能な感じがスリリングだった。こうやって伝統芸術は受け継がれていくのだな。
2024年6月8日 ルームメイトのこと
最近、なんとなく、ルームメイトと行動が重なることが多い。
わたしがキッチンを使おうとすると、すでにルームメイトが使っていたり、掃除をしていると彼も掃除を始めたり。
ぜんぜん気にしていないが、一つ屋根の下にいると、あんまり会話がなくても生活リズムが似てくるのだろうか、などと考える。
今日は、今まであまり掃除の行き届かないところを掃除する日だと前から決めていたため、昼からいそいそと動き始めた。
すると、ルームメイトも個室のドアを全開にして、大音量で音楽を流して掃除を始めた。『進撃の巨人』のテーマソングを流していた。
彼は、比較的、プライバシーを守るボーダーがゆるいように感じる。
例えば自分のリュックを玄関に1日中、置きっぱなしにするし、彼の個室の扉を閉めないことも多い。
共有スペースは、とてもきれいに使ってくれるし、わたしもなるべくきれいにするよう心がけているから、いいルームメイトなのだけれど、時々、財布がキッチンに置きっぱなしになっているのを見つけたりすると、ちょっと心配になってしまう。
わたしは絶対に触らないけれど「これを他の場所でもやっていたら、どうするんだ?」と、一人でハラハラすることも。
わたしはもちろん、個室の鍵を閉めるし、自分の貴重品を共有スペースに置きっぱなしにしたりしない。
彼の振る舞いは、わたしを警戒していない証拠なのか、彼のもともとのパーソナリティーなのか、ちょっと気になった。
2024年6月9日 フェアリーテールは褒め言葉?
ピクニックに行こうと思っていたが、冷たい雨により、断念。
今週前半は、気合が入りすぎなくらい晴れていたのに、すっかり気温が落ち着いてしまった。もう終わりなのか、ラトビアの夏。
一緒にお茶した友人が「ラトビアの植物や森の風景がフェアリーテールの世界みたいだとラトビア人に言ったら、あんまりいい顔をされなかった」と言っていた。
フェアリーテールは、子どもっぽいものや垢抜けないものだと解釈されるみたい。
日本語の感覚に基けば「フェアリーテールみたい」という表現は、ファンタジーのような浮世離れしたキラキラした世界を指すことが多いし、友人もそういう意図で伝えたのだろうけれど、子どもっぽさが美意識と結びついているのは、やっぱり日本的なのだなと改めて。
おまけ:ラトビアで初めて作った日本のお菓子
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