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「ごちそう手帖」をはじめます|男爵いものポテトチップス(1)

 ある取材のさなか、こんなことを聞いた。

「人は、年齢とともに衣食住に対する関心が移り変わる。若いときは衣、つまり装いに興味が湧く。もう少し歳を重ねると食、さらに齢を増すと住環境に、興味の対象は変わっていくのだ」。

 おいしいものは、好き。

 けれど固有名詞を覚えるのが苦手だから、おいしいものも、名前が思い出せない。

 あと、味覚に関するボキャブラリーが少なすぎて、なかなか「おいしい」しか感想が出てこない。

 誰と、どこで食べたのか、シチュエーションは鮮明に覚えているし、スラスラと出てくるのに。

 最近、あまりにも感受性を雑にあつかいすぎている、と反省した。

 特に、食に関して。

 わたしの場合は、悩んでいることや考えていることなど、さまざまなことを「書く」行為を経て腹落ちさせてきた。にもかかわらず、食に関して「書いて腹落ち」させてきたことは、今までほとんどない。

 きっと、だから、店名や料理名を、覚えられないのだ。

 さらに、誰かと食事をしたり宴席に居合わせたとき「わたし、舌がバカなので」と前置きしていたことがある。

 何を食べても「おいしい」としか言わない。言えない。奥行きのない感想。もはや自分で自分を、食から遠ざけているとしか思えない。いま、顧みれば。

 だいいち、一緒に食事に行く人や、食事を作ってくれた人に対して「わたし、舌がバカなので」という前置きは、何のフォローにもなっていない。むしろ失礼ではないか。

 あまりにも、もったいない。

 自虐と謙遜だと思っていたのは、実は自分だけなのでは? 嗚呼、穴があったら入りたい……。

 という反省から、食べものに対する感度をあげようという決意のもと「ごちそう手帖」と題して記録してゆくことにしました。

 ちなみに「食べものについて書きとめよう」と思ったのは、反省に加えて、内田百閒著の『御馳走帖』を教えていただいたのも、きっかけの一つ。

「林檎」「沢庵」「養生訓」「おからでシヤムパン」など食にまつわる目次が並ぶ。内容は、シズル感があるかと聞かれると、そうでもない。グルメ本ではないから、執筆当時めずらしかったバナナを箪笥に入れておいたら変なにおいがしてしばらく食べられなかった(『御馳走帖』の「バナナ」より)というエピソードなんかもある。

 ちなみにわたしがこの本の中で好きなエッセイは「シユークリーム」です。

「食」は、苦手ではないが、得意でもないジャンルだった。

 なんせ、周りに玄人レベルで語れる人や、おいしいものが好きな人の、多いこと。わたしがわざわざ言語化しなくても、シズル感のある字面で摂食中枢を刺激してくれる書き手は、ごまんといるのだ。

 だから「好きな食べ物なんですか?」と聞かれても「うーん、お母さんの作るコロッケ」という回答を20年続けて、来年は30歳になろうとしている(親指の第一関節くらいある大きさのじゃがいもがたっぷり入って箸を入れるとすぐにゴロンとほぐれる母お手製の爆弾コロッケも大好きだし、おいしい。けれど、他の食べものをまったく思い出せないから質問の回答として、誤魔化してきた部分もある)。

いろいろなものを食べて、二重の意味で“咀嚼”して、やっぱり「おかんのコロッケ、サイコー!」という結論にたどり着くなら、それでもいい。

 ただ、自分の感受性を、ごまかしたり上書きしたりする前の、純度の高い状態で、細かく言語化しておきたいと思ったのだ。粗くても、かまわないから。

 衣食住に対する関心の高さが、どううつろっているのか、その変遷と年齢が関係しているかは、分からない。

 けれど、自分が食べたものを“咀嚼”して、おいしくてもおいしさが分からなくても、その食べものをとりまいていた、におい、音、感触、喉の動きなんかを、書き留めておきたいと思ったのでした。

男爵いものポテトチップス

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 まず、「ごちそう手帖」に載せたいと思ったのは、男爵いものポテトチップス。

 北海道で暮らしはじめて、じゃがいもの種類の豊富さと、その味の多様さに度肝をぬかれた。

 ただふかしただけのじゃがいもが、おやつになるなんて! 甘い! ホクホク! うまい!!

 そして、採れる量が、他の野菜を圧倒的に凌駕する。芋づる式という言葉のとおり、収穫の時期になると、土の中からゴロンゴロン出てくる。掘れば掘るほど出てくるのではと錯覚するほどに。

 量が量だから、たくさんのじゃがいもを、なるべく飽きないように食べねば。

 という使命感にも似た気持ちで、その日もカゴいっぱいの男爵いもを収穫した。「男爵」なんて粋な名前をつけた人を褒め称えたいほど、無骨なシルエットで、愛想はないけどいなせな紳士のような、おいも。

 その日は、来客があった。だから、なにかつまめるおやつを用意しようと思っていたけれど、掃除もしなければいけないし、買い物に行く時間はない。

 手元にはたくさんのじゃがいも。そういえば。ポテチって、自分で作れるのかな?

 と思い立ち、スマホで検索すると、出る出るいろんなポテチレシピ。しかも切って揚げるだけだから手順は単純だ。すぐできそう。

 しかもスライサーもうちにある。奇跡。奇跡ではないが、スライサーが自宅にあることを、その日初めて知った。料理がローテーション化していたから使わずにおろし機の後ろに影を潜めていたスライサー。あんなに硬いじゃがいもが、向こうが透けそうなくらい、ぺらぺらに切れることに感動した。今まで放置していて、ごめんね。

 でんぷんの膜につつまれた何枚(この時点では何個とは数えられないほどペラペラ)かのおいもたちを、米油でサッと揚げる。オイリーなのは胃がもたれるから、なるべくササッと。色がこんがりしたら、すぐにキッチンペーパーの上に置く。市販のポテチのような曲線を描いてパリパリに仕上がるポテチを見ながら、こんなに単純な工程で作られたポテチ……原価いくらなんだ……とつい計算しそうになった。

 塩は、島根県海士町へ視察に行った方からお土産でもらった塩を、人差し指と親指でひとつまみし、パッパとかける。茶色の、一粒一粒が大きい、粗挽きの塩。海の香りがする塩。塩ではなく潮と書きたくなる、塩。

 ゴロゴロの男爵いもが、ペラペラになり、パリパリに仕上がる。調味料は塩だけ。手もほとんど汚さない。しかも嫌いな人は見たことがない、大人気のおやつ、ポテチがすぐにできた。なんでも、作ってみると段取りも手間も、よく分かる。

 パリッと唇でくだいて、ひと口。甘い! あのじゃがいもの甘さが口の中でフワッと広がる。海士町の塩も、飽きないしょっぱさ。塩加減が自分で調整できるのも、手作りのいいところ。油も、サラダ油ではないから、より軽い口当たりになったのだろうか。今度は違う油と塩で作ってみよう、と思いながら、ポテチに伸びる手が止まらない。

 いけないいけない、これは来客用だった、と思い直して、先方の到着を待つ。のちに、お客様からも「おいしい! どんどん食べちゃう」とお褒めの言葉をいただいた。

 以降、男爵いものポテチは、来客時の鉄板手作りおやつになっている。失敗も、しないしね。

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