ありがとうワールドダンスデー
4月29日はワールドダンスデー(Hari Tari Dunia, こちらの人はHTDと呼んでいる)で、芸術大学のISI Soloでは大規模な舞踊のイベントが行われた。大学のキャンパスのあちこちで、ステージが組まれ、ジャワ舞踊から、海外の芸能、新しく創作された作品にいたるまでありとあらゆる舞踊を観ることができる。わたしはその中で、とある企画で昼と夜に2回ガムランを演奏することになった。
https://www.youtube.com/live/WrSzbmMMq8w?si=liI6jga0h-K_wcjP
イベントの実際の雰囲気をご覧になりたい方は、ぜひ上のリンクに飛んでみてください。当日ストリーミングされた映像です。
※もやっとしたことを書くことになるのですが、それに関して、他の誰かを責めるつもりは一切ありません。後になって、混乱の根源をたどるのは無理そうなくらい運営が複雑だということがわかったので、だいぶもやっとはしたけれど、もはや誰も悪くないってことなんじゃないかと思うに至ったからです。誰も悪くない、そういう前提で読んでもらえたらと思います。
色々考えるきっかけになり、出られてよかったなと心から思うので誘ってくれた友人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、わたし自身の演奏はそんなにうまくいかなかったと思う。というか全然うまくいかなかった。
企画に誘われたのは本番のかなり前、1ヶ月以上はあったと思う。少したってから、ガドンgadhonという少人数の編成で、歌の伴奏をメインにするということがわかった。(ボーカル1人+楽器3人)練習も何度かするということだったので、なんとかなりそうだと思って、グンデルを弾いてほしいというオファーを受けることにした。
けれど、本番が近づくにつれ徐々に不穏な感じになっていった。長くなるが、順を追って書いてみる。(以下、カッコのなかはわたしの心の声だと思って呼んでほしい。)
というのは、まず、なぜかなかなか練習が始まらなかった。なぜなのかはよくわからない。結局、練習が始まったのは本番まで1週間を切ったくらいの日で、初めていくつか新曲を渡された。最初はグンデルは交代で弾くということだったけれど、少しその場で教えてもらったらいけそうだったので、気がついたら全曲グンデルになっていた。
次に、これは個人的な話だけど、最初はなんとかなると心づもりしていたのに、結局鬼スケジュールになってしまった。わたしはフィールドワークをしにきているので、ワヤンがあれば行くのが最優先事項だ。本番前、そういう時に限って、その週は、3回、絶対に外せないワヤンがあった。友人と相談しながら、なんとかワヤンに行けるように練習の日程を組んでもらった。
週に3回朝までワヤンを観て、それでいくつか他の用事もこなしながら、合間を縫って本番のためにグンデルの先生に3回レッスンしてもらって、練習にも行って。全部好きでやってると言われたらそれまでだけど、これはさすがに体力的にくるものがあった…笑(しかもそういう時に限って、そのうちのひとつは夜行バスで0泊3日の遠方のワヤンだった。もはや笑えてくるよね。でもこれらも全部楽しかったからいずれ別記事に。)あらためて文章にしてみると、だいぶgila(crazy)だ。
こういうスケジュールになることを避けられないのかと聞かれると、こちらでは前もって予定を組むことがすごく難しいので、避けるのは難しい。あとマイルールではあるけれど、相当調子が悪くない限り、ワヤンに行かないという選択肢はない。
ひょえー、大変だけどやりますか…とちょっと無理することにしてこれらのスケジュールを強行することにした先週の始めが、かなり昔に感じる。頭がバグるくらい大変だった。そしてとりあえずなんとか完遂して、今、死にそうになりながらノートを書いている。
さて、練習のプロセスに話を戻すと、本番は朝と夜の2ステージあり、夜は上で書いたように渡された曲たちを演奏するということが、徐々にわかってきた。問題は朝のステージで、その中身が最後までよくわからなかった。最初、夜と同じメンバーで、スレンドロ音階の曲を演奏すること、演奏する曲はわたしが弾ける曲にほかのメンバーが合わせてくれるということ、かっちりとした演奏会ではないので、服もTシャツでいいし、気負わなくていいということを説明された。
そのあたりまではまだよかったのだけれど、なんと、朝のステージは特に練習はしません、ぶっつけ本番ね、となった。(うおおおお、まじか…)ただ、事前に打ち合わせをして、スレンドロの曲をいくつか選んでリストにしておくことになった。それが確か本番の3日くらい前だったと思う。
弾けるけど不安だったので、わたしは、朝のステージの曲目リストに載っている曲を個人練してしまった。しかも結構がっつりと。だってジャワの人とぶっつけ本番なんてはじめてなんだもん、怖いじゃないですか。そして、なぜこう書いたかというと、なんとその次の日、本番前の最後の練習に行ったら、スレンドロではなくやっぱりペロッグ音階の曲に変更になりました、といわれたからだ。なぜかはよくわからない。(がーん。)ということで、最後の練習の日にわたしの弾ける曲をあらためてリストアップし直すことになった。そしてもちろんわたしは、家に帰ってそれらを全部さらったのだった。しかし、のちにわたしはがっつりと練習してしまったことをまた後悔することになるのだった。
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不透明なことが多すぎるなぁと思いつつ、最大限自分にできる準備はしているし、まあなんとかなるかと思いつつむかえた本番の朝。(しかもドキドキしすぎて全然眠れなかった、小心者すぎるよね。)
朝、指定された場所に予定の1時間半くらい前に到着した。早く着いたし余裕あるなと思ったのもつかの間、なぜか、もう始めるのでスタンバイしてと言われ、結局1時間前倒しで本番を始めることになった。
(なんでやねん!もうここですでにパニック。)
わたしはただ、用意してきた曲を4人で演奏するのかとふわっと想像していたのだけれど、蓋を開けてみたら、即興で踊る人たちが目の前で踊っていて、そのうしろでガムランを演奏するというものだった。入れ代わり立ち代わり色々なひとが入ってきて、自由に踊る人たちの様子は、楽しそうだった。
いきなり演奏が始まって、どこからともなく、とある曲名を叫ぶ声が聞こえた。それは、リストにはなかった曲だったのに、結局そのまま知らない曲が始まってしまった。
(え、急には無理だよ…)
急いでその曲の楽譜を探して、いけるところは弾いてとなんとかしのごうとは努力したものの、そろそろ色々なことについていけなくなってきて、最初の時点で自分のテンションがガタ落ちしてしまった。
(わたしの心の中のhuh catの開いた口がふさがらなくなってフリーズした。状況が飲み込めなさすぎた。huh?)
結局、そのステージは引き続き演奏される曲はその場で決まっていくというやり方のまま進み、そして最初にリストに入っていた曲はほぼ演奏されず。
(ああ、練習したのになぁ…)
この演奏形式は、いわゆるチョケアンcokekanというものらしい。相当実力がないとその場ではとても対応できない。でも、わたしの席に別のジャワの演奏家が座っていたら、特に問題なく対応できていたんだろうなと思う。
(だからグンデルがわたしなのは完全に人選ミスだと思う。なんでこうなったのかしら…)
おそらくそこにいたわたし以外の人はそれなりにそのステージを楽しんでいたと思うけれど、わたしはただただ、おろおろしていることしかできなくて、大したことはできず。しまいには目までうるうるしてきてしまって、わたしだけが負のオーラを出してしまうことになって、なんだかそれがすごく申し訳なかった。でも、正直状況がカオスすぎて今のわたしにはとても抱えきれなかった。
あの、わたし日本人なんだけどなぁ、ましてやチョケアンのグンデルなんてできるわけないじゃん… 日本人てことも、勉強中だってことも忘れられてるのかなぁなんてことを思ったりした。それは本来喜ばしいことだけれど、それに応えるにはまだ荷が重すぎるなと。(チョケアンって聞いてたら絶対に断ったと思う…)
最近は、曲集によくある古典曲はだいたい勉強してきて、やっと少しずつ合奏を楽しめるようになってきたなと思っていたところだった。けれど、今回のことで、グンデルは勉強してきたつもりだったけれど、結局まだまだわたしは何もできないということがよくよくわかった。久しぶりに、冷たい水をさされた気持ちになったというか、まだまだ謙虚でいないといけないと思った。それに気づけただけでも、これに出演できてよかったと心から思う。
一方で、なんでこんなに話が違うんだろうと、ぶちっと切れそうにもなった。実際それが喉まで出かかったけれど、一旦立ち止まった。言ってもよかったのかもしれないけれど、結局それを友人にに言うのはやめた。
なんでかというと
ここは日本じゃなくてジャワだもの。
と思ったからだ。
例えば、ジャンルにもよるが、日本のコンサートで打ち合わせと全然違うことをしたら間違いなく不満が大爆発するだろう。けれども、ジャワではこういうことはよくあるのだろうなと、ふと思い直せたのだった。普段の演奏家の人たちの様子を見ていれば、まあ、こういうことはあるあるかもしれないとも思う。例えば、うちの師匠はしょっちゅう急に演奏会に呼び出されたりしている。急に呼ぶなんてと、多少不満は言いつつも、演奏会に駆けつけているのを、そういえば今まで何回も見たなと。そして、先生方は、そんな急な呼び出しでも難なくこなせてしまう。
日本は何でもきちんとしているよねと、ジャワの人と話しているとよく言われたりする。たしかにとりわけ時間や、事前の打ち合わせの綿密さは日本とジャワは格段に違うと思う。今回わたしの出た本番の場合、わたしの見方では、日本的な思考も、ジャワ的な思考もどちらも言い分は理解はできるので、今どちらの立場で考えたらいいんだろう、というところで葛藤した。最終的に、日本人的には、話が違うだろう!というブチギレ案件だけど、ジャワの人はまあそういうこともあるよ、という具合なのかなと思った。本番のあとに、友人がこういうやり方もあるんだよと言っていたので、ここは怒っても仕方ないのかなと思ったのだった。
今思えば、もっといい意味で、まあ適当でいけるでしょうと割り切れればもう少し気持ちが楽だったのかもしれないし、気持ちも立て直せたのかもしれない。
日本とジャワを対比させてしまったけれど、ジャワのちゃんとしていなさは、わたしは決して悪いことではないと思っている。むしろジャワのよさだと思う。きっちり決めなくても、少しくらいゆるくても、演奏会やワヤンが成り立っていく、わたしはこのことを日々とても面白いと思っている。
とはいえ、今回みたいに全てのことが不確定、みたいなことに現実で直面すると、すごくびっくりするし、めちゃくちゃイライラした。(なんでこんなに話と違うんじゃ…!)そういうわたしも確かに存在した。頭では、寛容な気持ちでいないといけないとはよく分かっていたけれど、実際には切れそうな気持ちを、なんとか持ちこたえさせるのだけで精一杯だった。
考えているとイライラしてしまって集中できないので、夜の本番の前は、最終的に、脳内に大好きなpak Mantebを召喚することにした。(なんじゃそりゃって言われそうだ笑。)マンタップさんは、2021年に亡くなられたスーパースターダランのことなのだけれど、ちょうどその日のプログラムにマンタップさんが作った曲を演奏することになっていたからだ。わたしは、マンタップさんにはもう会えないことがさみしくていまだに時々泣いているくらいにはマンタップさんのファンです。その日は大変すぎて気持ちが切れそうになっていたこともあり、とりあえず何も考えずにひたすら「助けて、pak Manteb...」と祈ることにした。大好きなOskadonのCMやマンタップさんの声をひたすら脳内再生した。(もちろん、なにやってるんだろう、自分と思いながら…祈るしかない、みたいな状況もあるんだなぁ。)
https://youtu.be/3Zi5qbKVR5A?si=LM2d5h8W7GGlMkO4
Pak が降りてきてくださったかどうかはわからないけれど、夜の本番はだいぶ落ち着いてできたと思う。夜も結局チョケアンみたいなものだったけれど、落ち着いていたことと、練習した曲がほとんどだったのでなんとかなった気はする。クオリティは別として。(pak Mantebありがとう…)
あと、イベントがイベントなだけに、本番の途中でわれわれのステージに舞踊家のリアントさんが飛び入りで現れたことも、わたしにとってはすごくありがたいことだった。リアンさんは日本でお世話になっていたので、顔を見てなんだかほっとした。お話したかったけれど、本番が終わったときには、リアンさんはもう会場にいらっしゃらなかったので直接お礼は言えなかったのだけれど。リアンさんありがとうございました。
という感じで、このイベントは、正直なところとてもきつかったけれど、同時に色々なことを考えられたなとも思うので、出られたことに感謝の気持ちが尽きない。
ジャワでの生活は長くなってきて、毎日とても楽しいし、日々色々なことを勉強させてもらっているけれど、新鮮な驚きみたいなものは少なくなっている気もする。以前留学していたこともあって、博士課程に入ってからのフィールドワークを始める時は、実は、第2のホームに帰るような気持ちだった。だから、今回のことは色々衝撃的なことや、抱えきれないようなことを経験する感覚を、久しぶりに思い起こされたような感じがする。(日本語が変だけど伝わるかな…)今回のことはかなりきつかったけれど、久しぶりにフィールドワークの醍醐味を味わえたような気がする。それがたまらなく嬉しい。
ありがとう、HTD
長々と書いてしまったのですが、最後までお付き合いしてくださった方はいらっしゃるのだろうか。読んでくださってありがとうございました。
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