INFP VS 病み
こんばんは、レーヴです。
突然ですけど、INFPってよく病みませんか?INFPの特徴説明みたいな記事とかツイッターの投稿とか見ても、「理想が高すぎて現実とのギャップに悩まされる」みたいな、よく見ませんか?
今回は、私の今思っていることについてつづっていきたいと思います。
私が病みがちになったきっかけ
前回もったいぶって元カレとの話をグダグダしようとしていましたが、やっぱり思い出したら恥ずかしくなるので、やめます笑
どうして私がINFPになって生きづらくなったのか、その理由は二人の大切な人がいなくなったことです。
大好きな人との別れ
一人は、前回もお話しした元カレです。彼はもともと親しい友達でもあったし、付き合った後もとにかく幸せで、「私こんなに幸せでいいのかな?」って毎日感じていました。
でも彼は、私を友達以上には見れなかったようで、2か月半で別れを切り出されました。でも正直いつか終わることは覚悟していました。彼は私のことを恋人として見れるかわからないけど、こんなあいまいな状態でよければ付き合いたいという流れでお付き合いを始めていたからです。きっと彼とは長く続かないと分かっていたのに、盲目だった私は人生が終わったんじゃないかというぐらい涙におぼれた日々を過ごしていました。
当時は17歳だったので、17年間生きてきた中でこんなに素敵だと思える人に出会ったことがなく、何をするにも愛おしくて、高校生ながらにして初めて家族以外の愛に触れていたと思います。でもそんな日々が崩れた瞬間、突然私の暗黒時代の幕が上がりました。
彼と私は通学方法が一緒で、同じバスに乗って登校していました。今まで同じ時間で登校していましたが、別れた後は、時間をずらして登校するようになりました。しかし、当時高校2年生の年明けの時期だったのでお互い同じ時間に朝補修があり、どうしても同じバスに乗らなきゃいけない日が多くありました。しかも私たちは田舎出身なので、バスも乗る人はほぼ同じで大体あの人ねとわかるような状態でした。彼が乗るバス停も把握しきっていたし、彼は全く悪くないのに乗ってくるたびすごく嫌でした笑
別れを告げられた次の日、もう二度と私のことを待ってくれないあの背中が、どこかいつもより遠くに見えたのを鮮明に覚えています。彼は細身なくせに肩幅はどこかしっかりしていて、身長も高くないくせにどこか大人っぽくて、すごく憧れに近かったです。恋人って、一番近くにいた存在なのに、別れたら一番遠くに行ってしまう存在じゃないですか。特に私は、別れた恋人ともう一度友達になるなんて絶対無理だと信じている人間なので、彼が一番遠くに行ってしまうことが耐えられませんでした。
しかし、その当時は部活動も熱中していたため、そこまで毎日落ち込んでる暇もありませんでした。とにかく友達といる前は明るく振舞い、病むときは病む、そんな日を過ごしていました。
親友の死
そんな日々さえ覆すぐらい、人生一つらい出来事が起こりました。親友がある日突然消えました。自死です。今まで死に触れたことは何回かありました。例えば、親戚のおじいさんがなくなったり、自分のひいおじいちゃんがなくなったりとか、高齢の方が寿命でなくなってしまう死には対面したことはありました。
しかし、友達の死、ましてや親友の死。真剣に後を追うことも考えました。でも踏みとどまっている理由は、単純に勇気がないからです。楽に死ねるのなら、今にでもこの人生終わらせたい。何なら事故死したいなんて考えています。でもそんなことができないのは、周りの人を悲しませたり、単純にしの身体的なつらさに耐えられる自信がありません。
特に彼は、ほぼ家族も当然でした。彼とは中学で知り合い、お互い同じ趣味や価値観を持っていたため、世界で一番居心地のいい友達でした。同じゲームが好きだったので、家に帰ったら通話してゲームして、翌日同じ通学路で会う。そんな人でした。
悩みがあれば彼に一番に話を聞いてもらっていました。恋愛から、人間関係、学業すべてどこの誰よりも私のことを知っていたと思います。今考えたら、そんな関係を気付けていたことを不思議に思うぐらい、ほぼ兄妹、彼が兄のような存在でした。
自死、初めて生々しい人の死に対面しました。最後に見た彼の顔は穏やかで、同じ通学バスで見たことのある寝落ちした顔でした。今にでも起き上がるんじゃないか、それほど死とは程遠い顔をしていました。だからこそ、彼を失った事実がつらく、しんどいものでした。今でもあの悲しみは忘れられません。
病みとの闘い
この2つの出来事を経て、きっと私は本格的にINFPになったんだと思います。どんどん自分のこのうつな気持ちを他人に話すことが面倒になりました。だって、みんなこの病んでる気持ちは体験しないと分からないし、話したところで解決策はないじゃないですか。どうせ聞いてくれる側も、大変だったね、つらかったね、としか言えないと思うし、ネガティブな話なんて聞いてもつらいと思います。特に高校生なんて、恋だの、勉強だの、おしゃれなど忙しいし、こんな暗い話なんかしたがる友達なんていませんでした。すごく苦しかったです。自分の胸の内を隠して、友達に合わせて、つらい気持ちを隠しこんで。
しかし、この病んでいた時期はほとんど高校3年生だったので、学校も休むわけにはいきませんでした。でもとても辛くて、友達といても笑えない時は保健室に行き、早退をしていました。そこまで頻繁にしていたわけではありませんが、どうしても耐えられない日だけ体育を休んだり、早めに学校から帰ったりしました。今まで無遅刻無欠席だった私が急に早退をするような体質になり、精神的な病は侮るべきではないなと確信しました。
そこから私は、死というものに敏感になりすぎているんだと思います。最近多くの芸能人が自死でなくなっていますよね。私も自死の直前まで経験したことがあるので、どれだけつらいのか考えるだけで本当に苦しいです。
今日、りゅうちぇるさんのニュースを見ました。すごく胸が苦しかったです。夫、父親としての自分と、多様性を求めたい自分の中に葛藤が生まれ、多様性を求めた結果、このように居なくなってしまう。すごく生きずらい世の中だなってつくづく思います。私ももう、やめたいです。この生きづらい世の中居なくなりたい。早く親友の元に行きたい。本気で、自分の大切な人みんなが幸せに暮らせる世界を作りたいって日々妄想していますが、それもかないそうにないので、今日はここで終わろうと思います。
実は気持ちが入りすぎて2時間この記事を書いていました笑
病み深い記事でごめんなさい、聞いてくれてありがとうございました!おやすみなさい。
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