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物の価値って何で決まるんだろう

物の価値って何で決まるんだろう。
前提として、価値って多分一人一人がそれぞれに決めるものだから絶対的じゃないし、その一人一人の物差しで見たときにより多くの票を得るものは共通理解として価値があるよね、っていうことでしかないとは思うんだけど。

例えば、これは有名な画家の〇〇さんが描いた絵です!って発表すれば〇〇ファンはこぞってその絵を買いたくなる。
でも、実はその絵を描いたのは△△さんでしたってなったら、〇〇ファンは一気にその絵に対してどうでもよくなるというか、途端に無価値に思えてきてしまうと思う。

だから結局はさ、何を作るかよりも、誰が作ってるのかとかどういったファンが多いのかみたいな、外的要因で価値が決まってしまうんだよね。
もちろん、中身のクオリティが半端なく低かったら価値が下がるだろうけど、そんなものが世に出回ることはまず無いじゃん。名のあるアーティストはある程度のクオリティが担保されてるからブランド化できるわけで。


で、ここからが本題なんだけど、それって悔しいよなって話。名前だけで判断されるのはアーティストとして悔しい。だって、好きな人の作るものは全部好き!っていう盲目的な信者が多ければ多いほど作品の価値が上がることになっちゃう。それに、真偽不明でも名のあるアーティストを掲げておけば、作品の価値を上げられてしまう。

100%良作を出し続けられる人はいないと仮定する。90%の確率で良作を出すアーティストがいたとして、私はこの人を信用して作品を愛します、10%の駄作は愛しません、ならまだ分かる。でも、私はこの作品が好きです、なぜならこの人が作ったから、はあまりにも思考が停滞していないか?


でも世の中はそれで成り立ってるんだよね。それがファンだし。絶対ダサいだろっていうビジュアルとか楽曲とかで推しが売り出されてると、プロデューサーは何やってんだとか文句言いつつも、金落とすためにアルバムは買っちゃうし。

んー、分かるよ、分かるんだけどさ。
盲目的になるのが当たり前になってしまうと、いかに良作を生み出すかよりもいかに(盲目的)ファンを増やすかにシフトしたくなっちゃうのよ。そのほうが売れるのは分かるけど、作品の良し悪しを見ようとしないで即答で、良かった!って言われても、私は正直嬉しくないんだよな。

芸術に簡単に良し悪しなんか決められないんだから、盲目的でもサクラでもなんでもとりあえず多くの票が集まったもん勝ちにするのが楽なんだろうけどさ。

中身をちゃんと見て、名前が伏せられていたとしても自分はこれが好き!と言えるものだけ愛していきたいよな。
あと、万人から見てクオリティが高いらしいから好きとか、なんか分かんないけど世間から賞賛されてるから好き、みたいなのじゃなくて、めっちゃクオリティ低いけど好き!があってもいいよな。世に出回ってるのはだいたいは価値があるとされてるものだけど、自分だけが叫んでる価値観があるのもかっこいいと思う。

私がつくる作品は万人に賞賛されるものではないと思うし、多分ネームバリューが出るほど有名にはならないけど、どこかにマイナーな私の作品を偏見なく愛してくれる人が現れると信じて。

#トーカのヒトリゴト

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三崎トーカ
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