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京都暮らしの備忘録vol.3「坐禅をすることによって」
こないだの土日に、京都東山にある「建仁寺」で坐禅をしてきた。坐禅中に感じた「何も考えないようにしようとする」、そんな時間の過ごし方について書いていきます。
早起きをして自分と向き合う
私が坐禅を行った建仁寺は、ちょうど「そうだ、京都行こう」のCMになっている。いまは新緑が本当にきれいで、大好きなお寺。もう10回以上は参拝している。
坐禅のスタートは、6時30分。15分を2セット、そこからお経を唱えて、お話を聞く、という流れだった。朝の涼しげな空気、どんとそこにあるお庭、そして鐘の音が響く。15分間の無の時間のスタート。
そんな15分間、雑念を取り払って、ただひたすらに無心でいる、っていうのは結構辛いのだ。辛いと感じている時点で全然雑念を取り払えていないんだけど。
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何も考えないようにしているのに、頭にどんどん浮かんでしまう。しまいには「雑念を取り払うなんて無理じゃない?」と開き直り、逆に「何を考えてしまうのか」を頭の中で感じ取っていた。そこから話を膨らませずに、ただ、「こういう雑念が出てきてしまった」と認識するのみで。
たとえば、頭に浮かんだこと(覚えている範囲で)はこんなこと。
首の後ろがかゆい
背中が辛い
お坊さんに叩いてもらおうか悩むな~
あと何分くらいだろ
半分は経ったかな
隣の人の呼吸深いな
坐禅終わったらモーニング行きたい、どこにしよう
雨音気になるな~
本当に人って、どうしようもないくらい考えてしまうんだな。ちゃんと1から10まで呼吸の音を数えていたんだけど、いつのまにか頭の中で「終わってから何しよう」だとか「あと何分くらいかな」とかぽんぽん出てきてしまって「あれどこまで数えたっけ」と何度か思ってしまった。
何も考えないようにしようとする
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何も考えないようにしているときでさえ、頭の中に次々と雑念が浮かんでしまう。ということは、何も考えないように、と意識していないときには、もっともっと何百倍もの雑念が頭の中に渦巻いている、ということになる。ただただ息をしているときも、ぼーっとしているときでも、頭と思考だけはざわざわしているわけ。そう考えるとちょっと怖い。
だからこそ、「何も一切考えない」ということは無理でも「何も考えないようにしようとする」ことは、とても大切なんじゃないか、と思った。何も一切考えない、はきっと相当の修行を重ねないと難しいだろうし。「not to do」ではなくて「try not to do」というニュアンス。
坐禅中の「何も考えないようにしようとする」時間を作る、たったそれだけで頭の中のざわざわした動きが一旦すべて停止され、ざわざわの濃度が薄まっていく感覚があった。
日々の忙しない生活の中に、「何も考えないようにしようとする時間」を取り入れてみたい。ただただ、呼吸の音を聴いて、一旦はすべて頭の中をクリアにする。クリアにしようとする。きっと「お腹すいたな」「今日の仕事は何からしよう」だとかの雑念がたまにぽんっと浮かんでくるだろうけれど。
「あ、また浮かんだぞ雑念」なんて認識して、またクリアに戻す。戻そうとする。「しようとする」を意識するだけでも、十分意味のある時間になるはず。
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最近はずっと忙しさにかまけて、そんな時間を確保できていなかった。坐禅をしている15分と、SNSをなんとなく見ている15分、まったく同じ時間が流れているのであれば、必ず、前者の方がいい。分かってはいるのだけれど。
普段の意識しないでなんとなくSNSを眺めている15分なんて本当に一瞬なのに、あの「何も考えないようにしようとする」坐禅の時間は、すごく長く濃密だった気がする。そんな時間の重ね方をしていきたい。
濃密な時間を過ごすために、まずは時間を作りたい。「何かをする」ためにスケジュール帳を開いて書き込むことが多いけど、その中にも1日の中でたった15分、「何も考えないようにしようとする」時間を組み込みたい。「何も考えない」ためにスケジュールを確保したい。
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そんなことを改めて考えられたので、坐禅に参加してよかった。背筋を伸ばして呼吸を深くして。鳥の音や頬に触れる心地よい風、境内のにおいなど、普段だったらスルーしてしまいそうなささいなものを呼吸とともに取り入れて。坐禅している最中は結構辛いけれど、終わったあとの爽快感は、すごくいい。
京都暮らしをはじめて、こうやってお寺や神社との距離が近くなったのは、本当に良かったなあ、と思う。仕事終わりに散歩がてら神社にお参りしに行ったり、こうやって坐禅に取り組んでみたり。すべてが徒歩圏内でできてしまうのは、京都のすごさだ。
日々のなかにこういった拠り所となる場所をもっともっと見つけたい。どんなときもリズムを整えて、またスタートを切り直せたら。そんなことを感じながら、建仁寺からいつもの部屋へと帰路についた。
さて、今週は祇園祭のメイン期間に。また新しい京都に出会えるのがとても楽しみだ。
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