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たとえ旅をしていなくても
私はずっと家を持たずに旅するように暮らす、旅暮らしをしていると名乗っていた。移住先を決めるために好きな街探しをしているんです、と。
そうやって9ヶ月ほど旅をするように暮らしてきて、そして本当に住みたいという街をいくつか見つけて、いまは京都にプチ定住をしている。
京都での何気ない日常が穏やかに過ぎていって。ふと、気づいたことがある。「旅をしていなくても、普通の日々の暮らしが楽しいから、すごく満たされている」ということに。9ヶ月も旅をしながら暮らしていたとは思えないほどに、旅をしなくても全然大丈夫なことに気づいたのだ。
いままで「日々の暮らしに刺激が無いから旅に出たい」と思っていたけれど、いまはそんな気持ちが全くといっていいほど存在しない。ずっと京都にいるのに、「旅をしたい」と思わなくなったし「ここじゃないどこかに行きたい」とも正直いまは思っていないのだ。
旅に非日常を求めるのではなくて
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旅、といって思い浮かべることと言えば。行ったことのない場所で見たことのない景色を見る、食べたことない食べ物を食べる、普段だったら出会わないような人たちに出会う、など、基本的に「未体験なものを求めに行く」ことが旅のベースになるのではないかと、思う。
つまり、旅=非日常。ふだんの暮らしとは違うことがしたい、いつもの日々を少しだけ忘れて逃避行に出かけたい、たぶんそんな感じ。私もずっとそう思って旅をしてきたのだと、ふと思う。
大学生のときにひとり旅にはまっていたときもそう。「私の居場所はここじゃないと思う」「辛い現実から逃げ出したい」「新しい価値観に出会いたい」、いつも旅と日常は逆の方向を向いていたのだ。あんまり上手くいっていない現実をとりあえず見ないようにして、「旅に出かけたら、なにか変わるかも」と期待をして。いま思うと恥ずかしいからあまり言葉にはしたくないけれど、「自分探し」をしていたように思う。
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旅をしたからといって何か変わったか、といえば、もちろん変わった。新たな価値観に触れてそのあとの進路を決めたり、そこで出会った人と恋に落ちたりも、した。けれど、旅をする前に漠然と感じていた「ここではないどこかに行きたい」「私の居場所はここじゃない」というまぎれもない「現実」に関しては、とくに変わらなかったんじゃないかな、と思う。
旅から帰ってきたあとでも、「ここにいていいのかな」という漠然とした不安は相変わらず付き纏っていたし、「もっと私には最適な場所があるんじゃないか」と、結局旅に出たあともさまよい続けていた。
そう、私は旅というものに期待をしすぎていたのだ。
別に旅をしてもしなくても、私自身の考え方が変わらなければ、現実はいつだってつまらないもの。日々の暮らしに満たされなさや漠然とした不安感を持っていたとして、旅に出ても出なくても、まったくもって関係はないのだ。逆に日々の暮らしを丁寧に大切に過ごしていれば、別に旅をしなくても心は満たされていくんじゃないかな。
旅をしなくても日々の暮らしに幸せを
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京都に定住をするまでは、だいたい1週間に1度住む街を変えて、ずっとずっと移動しながらふつうの生活をしていた。そして急に京都に定住してからというものの、ぱたりと動くことはなくなった。一度用事があって大阪に行ったけれど、それ以外は京都から出ていない。
そして歩くのが何よりも大好きな私は、京都市内では地下鉄やバスを一切利用していない。つまり、歩いて行ける距離しか移動をしていないということ。
そんな、言ってしまえば行動範囲が狭い、いまの暮らし。なんだけど。「旅に出たい」と思ったことは、不思議と一度もない。むしろ京都の内の内で、根を下ろして、暮らしを愉しみたい、という思いが強い。
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日々の暮らし。たとえば、天気が良ければ鴨川に散歩に出かけてみる。たまに行く立ち飲み屋さんにひとりで入ってみる。朝、顔を合わせる人と挨拶をして少し立ち話をしてみる。誰もいない観光地に出かけてみる。ときには観光客のふりをして観光を楽しんでみる。内と向き合う坐禅やサウナにはまってみる。何千年の歴史と伝統を持つ祭りについて勉強してみる。そんな京都での、日々の暮らし。
すごく、満たされてるんだ、ということに気づく。まあもちろん「こうなりたい」とか「もっとよりよく生きたい」みたいな願望はあるんだけれど。「ここじゃないどこかに行きたい」とは、思わなくなった。旅をしなきゃ、とも思わなかった。旅は焦りを感じたり嫌なことから逃げたりするために、するものじゃない。しなきゃいけないことでもない。
いまは、地に足をつけて、日々のささやかな感情の変化とか自分の心と丁寧に向き合って、日々の暮らしの中に旅のような新しい発見を見いだしたい、と思う。
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前提として、旅をすることは大好きだ。けれど、「現実逃避の旅」だとか「非日常を味わいに行く旅」は、いまの私には必要ないように思う。逃げるように日々の暮らしから背を向けるのではなくて。旅の中に日常のささやかな感情の気づきがあって、日常の中に旅のような少しのスパイスがあれば、それだけでいい。
そんなことを感じながら、私はこれからも日々のなんでもない暮らしの中に「旅をする」を取り入れていくのだろう。旅と日常は逆の方向を向いているのではない、お互いが溶け合って混ざり合っていくもの、であってほしい。
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