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羽生結弦 ICE STORY 3rd Echoes of Life に寄せて

羽生結弦さん(以降、いつも通り羽生くん)の単独公演 ICE STORY 3rd - Echoes of Life - 埼玉公演を見てきました。

生オーケストラも入って空前のスケールで行われた東京ドームでの『GIFT』、ゲーム界隈を巻き込んで盛り上がった『RE_PRAY』。続く三作目のICE STORYとなる『Echoes of Life』は生命をめぐる哲学がテーマだと知った時、今度は何が見られるだろうかと期待する一方で、「これはまた大きなテーマを」「前作と比べてシリアスなテーマで、ファン以外の関心を引くキャッチ―さには欠けるかも」「演出にあたるMIKIKO先生が唸る姿が目に浮かぶようだ」などと、少しだけ心配にもなりました(おこがましい)。

しかし、幕を開けてみれば、(MIKIKO先生は実際大いに唸ったのではと思いますが)前衛もPOPもクラシックも生も詩も包み込み、これまでに見たことがない、さらに進化した圧巻とした言いようのない舞台がそこにはありました。

以下は、細かな考察を出来る知識や緻密さはないがICE STORYというジャンルのファンであり羽生くんを10年超応援している人間が、Echoes of Lifeからの連想で書いた雑文です。

※おことわり※
気ままにあちこち脱線しまくります。羽生くんが”メンシプらじお”で「そろそろ終わりますね」って言ってから、実際にマイクをオフにするまでの時間くらい長いです。


弱き者へのまなざし

孤児院で生まれた、本作の主人公「Nova」。公演に先立って発行されたストーリーブック(著・羽生結弦!)によれば、Novaが生まれたのは、人口も人間が暮らすことが出来る場所も減っている、過酷な、でももしかしたら今私たちが生きているこの世界の延長線上に有り得るかもと思える場所です。

社会に余裕がなく不安定な時、人々の不満は弱い者、マイノリティーに向かいがちであるーそこで思い出したのが、前作RE_PRAYのプレイヤーズガイド(通称「攻略本」)に明瞭な言葉で書かれていた、こうした傾向へのクエスチョンマークです。明るく照らされた「勝者の場所」にいる稀代のスケーターがこれに言及するのかと、読んだ当初、結構驚いたものでした。

Novaはその後、遺伝子操作されて戦闘用の最終兵器となったわけで、一面では最強の存在になったと言えるのかもしれません。しかし、Novaが持つ「音」を再生するチカラは、聞こえなくていい嘆きや悲しみまで聴きとってしまいます。

話が早速脱線しますが、Echoes of Life埼玉公演初日の翌日、「僕とパパ 約束の週末」という映画を見ました。学校でトラブルを起こしてばかりの自閉症の少年が、ひょんなことで、サポーターとなるチームを実際に見て決めるためにドイツ中のフットボールチーム(1部から3部リーグまで含めて56チームもある!)を父親と一緒に見て歩くという実話をベースにしたストーリーです。

その中で印象的だった表現が、自閉症である主人公の少年が、他者が「自分(少年)のルール」を逸脱してきた時に感じる、脳内をビリビリと干渉するような不快なノイズでした。「ああ、これは頭の中がたいへんだ」、と。ちなみに、自閉症当事者の人も「そうそう、この感じ!」と書かれていたのを読みました(しんどそうです)。

命の終わりを、目の前で、見る。

“Echoes of Life” ストーリーブックより

同様に、場の記憶を再生(replay)する能力を持つNovaは、殺戮のためだけチカラを使えるようになされていた感情のコントロールが失われれば、見たくない・聴きたくないものを受け取ってしまう。そんな彼を生きずらさ、苦しさを抱えてしまう者と捉えるのは、捏ねくりまわしすぎでしょうか。

こうした弱き者、生きずらさを抱えるものに意識的か無意識かでフォーカスするのは、作家・羽生結弦の特徴のひとつなのでは、と感じるところです。羽生くんが「筋肉は全てを解決する」みたいな人じゃなかったことに感謝しなくては!

ケアすること

不遇な生まれのNovaですが、そこにはケアしてくれる存在もいました。個人的には(孤児院育ちなので当然なのですが)ケアしてくれたのが家族に閉じていないところがいいな、と思います。不安定な世の中であっても、そこに「社会」が垣間見える。

またまた話が脱線しますが、ガーディアン紙のブック・オブ・ザ・イヤー(2015年)に選ばれた「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か」という本があります。18世紀、「資本論」を著したアダム・スミスが考えたのは、自らの経済利益を最大化することを唯一の行動基準とする経済人(homo economics)を取り巻く世界です。それに対して、同書は、「利己心だけで世界が回るように思えるのは、別の世界に支えられているからだ」と主張します。別の世界とは、経済学が扱わなかった非生産的・無価値な世界であり、経済人を成り立たせている、ケアの営みを担当する人の存在です。

「アダム・スミスは夕食のテーブルで、肉屋やパン屋の善意のことは考えなかった。取引は彼らの利益になるのだから。善意の入り込む余地はない。自分が食事にありつけるのは、人々の利己心のおかげだ」

「いや、本当にそうだろうか。ちなみにそのステーキ、誰が焼いたんですか?」

「ステーキを焼いたのは、母親(マーガレット・ダグラス)であり、はじめから終わりまで、スミスの人生の中心であった」

しかし価値を生むとされる、いわば攻めの活動を支えているはずのケアの営みの存在は、アダム・スミスの母、マーガレット・ダグラスがそうであったように、表立っては語られません。

そして、孤児院でNovaに対してそうした営みを行ったのが、純粋な人間ではなく遺伝子を調整された者(VGH127)であったのも、示唆的だと思いました。

実は、Echoes of Lifeのテーマを聞いたときに最初に連想したのは、カズオ・イシグロの小説「クララとお日さま」でした。同作品の舞台は、Echoes of LifeのNovaが生まれた世界にちょっと似ています。余裕を失い、経済的に恵まれた者は子どもに改造を施すことが広がる社会の中で、弱りゆく子どもを賢く献身的に支え続けたのは、AF(人工親友)のクララでした。

生産性を尊び、そうでないものには優生思想的な冷たい眼差しを向けがちな社会において、愛やケアなどの人間的な営みを行うのが「造られし者」であったーそこに、「私たちは大事なものを忘れていませんか?」と問われている気分にもなります。

ちなみにストーリーブックの日本語版ではVGH127の性別は不明です。一方、英語版では"she(彼女)" と表記されており、ステージ映像の中でも女性のシルエットで表されていました。もっとも、筆者・羽生結弦さん曰く「(性別は)どっちでもいいかな」とのこと。

私としては、性別にこだわらず、シンボル的に捉えたい気分です。あるいは、ケアの営みは従来女性が担うことが多かったから、というロジックで女性として表されたのなら腑に落ちます。そこに、「愛やケアの領域があることを忘れないで」と。それは羽生くんが意図的に設けてくれている「余白」の受けとめ方として、きっと許してもらえるんじゃないかな、と信じて。

守ることも、挑戦

ケアというテーマからのつながりで、ぜひ、これも書いておきたい。ますます脱線が止まらない。

北京五輪の競技が終ったあとに、報道陣からの要請に応えて現地で行われた記者会見でのことでした。

「守ることだって挑戦なんだと思うんです」
「大変なんですよ、守るって。だって家族を守ることだって大変だと思いますし、何かしらの犠牲だったり時間が必要だったりもしますし」

この言葉に、とりわけ家庭を守る立場にある方も多い羽生くんファンたちが、一斉に「そこを認めてくれるんだ・・・」と感極まる様子を目撃しました。会見での言葉を離れて、被災地を訪れる時にも、羽生くんが現地の皆さんに接する姿からは、家庭を、地域を守る立場にある市井の人々への心からの敬意を感じます。

先ほどの「弱き者へのまなざし」に相通じますが、目的に向かって進化しアスリートとしての光のサイドの最高到達点(五輪金メダル)に至った羽生くんが、ケアという影のサイドにもたびたび言及し、作品にも取り込んでくれるのが「稀有なことだなぁ」「いいなぁ」って思うのです。

ケアは見えにくい。とりわけうまく回っている時は、影となり見えにくくなりがち。でもケアは生きることを支える。そしてケアされた記憶は生き続ける糧となる。Novaが、手のひらに書かれたVGH127の「愛している」のメッセージから、歩み続けるちからを得たように。

バタフライ・エフェクト

今とは一瞬の光
過ぎ去る間もなく、私のこころに刻まれる
それが次の歩みを導く
今、この瞬間だけが真実
過去も未来も、ただこの一瞬に込められている
それだけが命の証

”Echoes of Life”本編より

ここの詩(仮称「運命ポエム」)、素晴らしくないですか?私の心の中の夏井いつき先生(「プレバト!!」の俳句の先生)も、迷わず100点を出します。

思えば、これまで羽生くんは「今だけが命の証」と言いたくなるような瞬間を幾度も私たちに見せてくれました。

まだ記憶に新しいところでは、あの北京五輪のショートプログラム。踏み切り地点にあいた穴に嵌ってしまい、最初のジャンプである4サルコーを跳ぶことが出来なかった羽生選手ですが、その後、まるで何事もなかったかのように全く乱れのない美しい演技を完遂しました(この時の描写は、ほぼ日の永田さんの名コラムを読み返したいです)。

人間は「今」しか生きられない。今の偶然の連なりが運命をかたちづくり、反響を与えていく。

ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきが、テキサスの竜巻を引き起こすように。最初のジャンプを跳ぶことができなかった後も微塵も揺らがなかった北京ショートプログラム「序奏とロンドカプリチオーソ」の羽生結弦の舞いが、それに続く「天と地と」での4アクセルへの挑戦が、世界中で息を詰めて見守っていた人たちの心を動かして、知るだけでも幾人もの人生の、キャリア上の決断を後押ししたように。

終盤、Novaの指先に一瞬とまった一匹の蝶は、すぐにひらひらとどこかへ羽ばたいていきます。歩みをとめない限り、Novaが、そして私たちが為す頼りないひとつの行為は、波紋のようにどこかに良き変化を起こすかもしれません。そんなふうに信じてみたいじゃないですか?

なお、ここまで演技については触れていませんが(だって、あと1万字必要になってしまうので)、この「運命ポエム」を朗読しながらの Eclipse/Blue での演技は、クオリティの高いこの公演の中でも個人的にはハイライトだと思っています。5階まで客席があるさいたまスーパーアリーナの大空間が、この瞬間はまるで小劇場のようになり、Novaたる羽生結弦の身体から言葉が紡がれていく様子を固唾を飲んで見守っていました。後に、羽生くんから「即興部分もある」と聞いて納得の、「いま」を感じるスリリングで生々しいパフォーマンスでした。


「僕は太陽みたくなりたい」

まだまだ脱線は止まらない。

太陽か・・・いいなぁ。
僕は太陽みたくなりたい!
太陽みたいにみんなに力をあげて、
みんなが世界をあたかくするんだ!

言わずと知れた(?)一作目のICE STORY『GIFT』の序盤での印象的な箇所です。

普通の発想であれば、「太陽みたいになりたい!そして皆をあたためたい」と書きそうです。しかし、そうは展開させない。太陽から力をもらっても、実際にまわりをあたためるのは一人一人である。この甘くなさが、作家羽生結弦のユニークさで、私も大好きなポイントのひとつです。

太陽に照らされたひとりひとりの行為が、ちょっとずつ周りをあたたかくしていく。先のバタフライ・エフェクトにも通じる信念だと思います。

「それでもなお生きて行く」ということ

社会に見捨てられ、一度は救われ、それでもやはり不遇で、後に授けられたチカラによって世界を滅ぼしてしまう(文字にするとあまりに絶望的)。普通なら生きることをあきらめてしまうような状況です。ストーリーを知ってから再度現地で鑑賞した三日目の公演では、開始から約2分、Novaがカプセルに入って登場した幕開けからフライング落涙をしてしまったほどです。

Novaは、命とは、生きるとは、運命とは、と問いを重ねてきました。そうして、自分が世界を滅ぼす戦いのキッカケとなってしまったことに気がついてしまう。

しかし、「ならばもう死んでしまおう」という絶望ルートには入りません。

「運命が決まりきったこの世界で、その運命をとびっきりの笑顔で迎えられるように」
「さあ、再生の音を奏でよう」

”Echoes of Life”本編より

Novaくん…!「自分さえいなければ」という考えを経つつも、それでもなお、どこかで自分の意思で選び取った今回の人生を、いい顔で生きていきたいのだ、と柔らかな笑顔で、謙虚な意思をにじませて語るのです。

「それでもなお」

前二作のICE STORYにも共通する、このしなやかさ、人生に絶望しきらない明るさが、好きだなぁ、と思います。

羽生結弦が描くICE STORYは、ハッピーエンドとかバッドエンドとか分かりやすく幕を閉じたりはしない。ただし、「つづく」ということが明確にうかがわれる。ピカピカな明るさではないが、薄明かりが確かに射し込んでいる。

優しい明るさの、いい塩梅の灯りだと思います。人が本当に暗いところにいる時、明るすぎる光は心に届かないから。

おわりに~祈り

外向きには穏やかに楽しそうに見えるあの人は、終わりの見えない家族の世話を担い、這うように一日一日を重ねているのかもしれない。大きな病気を抱えているのかもしれない。学校に行けていなくて、仕事に行けなくて、自分を責めているのかもしれない。

あるいは、災害その他の自分ではどうしようもないような喪失に見舞われてようやく前を向きかけた直後に、さらなる被害を受けてしまい、言葉もない人だっているかもしれない。

人生がままならぬ時、「私がもっと〇〇だったら」「あの時、〇〇が起きなかったら」「もし、あっちの道を選んでいたら」という考えがよぎることもあるのでは。私は、あります。

それでもなお、沢山並行している多くの束の中のこの世界線で、未来に向かって歩いていくのなら。その歩みの中で、Echoes of Life の物語に触れた記憶が、私たちを控えめに照らしてくれるんじゃないかなと思います。


Echoes of Life埼玉公演に続いて、広島公演、千葉公演も健康で、大成功となりますように。あと私に千葉2日目のチケットが当たりますように。


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