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履修とは何だ(Novaくん風)-Echoes of Life終演に寄せて
出会いと躊躇い
「STEINS;GATE」「ペルソナ3」「攻殻機動隊」「おおかみこどもの雨と雪」ーいずれもEchoes of Lifeのプログラム使用楽曲の出所となるゲーム・アニメ作品たちです。また、公式パンフレットで羽生くんは「水中の哲学者たち」と「生誕の災厄」の二冊を参考にした書籍として挙げています。さらに、千葉公演を控えての報知新聞のインタビューでは、ストーリーの執筆にあたって太宰治「人間失格」をオーディブルで聴いて文体を参考にしたとも明かしてくれました。
ジャンルの幅広さも何のその。フットワークが軽い羽生ファンたちは続々とそれらのコンテンツにアクセスし、「アマプラでもHuluでも見られるよ」「めちゃくちゃ面白いのでお勧め」などの言葉がSNSに飛び交います。その中には「履修すべし」の言葉も。
・・・履修!
「昭和生まれ受験戦争育ち就活苦労したヤツはだいたい友達」なド根性世代の私は、履修というワードに反射的に身構えます。それって単位取れないと落第するやつですか?!
落ち着こう。真顔で「号泣した」と打ち込み、立ったまま「横転」って書き、エンタメ・コンテンツに「履修」とか言うのが令和のネットを生きる私たち。
結論から言うと、「どっちでもいい」。
どっちでもいいと言いつつ、読書好きなので哲学書二冊はすぐさま読了。一方、アニメやゲームにはしばらく触れずにいました。その一番の理由は時間不足ですが、もう一つは、「私のEchoes」が違う色に塗り替えられてしまうのではという不安がよぎったからでした。本という自分の頭の中でイメージを構築できる媒体と比べて、映像が与えるインパクトは大きいから。
決意と履修
しかし。
一月某日、私は「時は満ちた」と感じました。「少しの影響では揺らがない、私のEchoesが出来た」と(大きく出た)。AmazonのPrime Videoを開いた私は、カチッと「STEINS;GATE」の再生ボタンをクリックしたー
「・・・おもしろいじゃないか」
日常生活で「トゥットゥル〜」と口に出しそうになるのをこらえながら(たまに出ていたかも)快調に全話を視聴し終えると、ペルソナ3に進みました。そして時計の針が映された氷上を白衣を思わせる衣装を纏って舞うNovaの姿に運命に抗おうとするオカリンを思い、ルームの案内人の姿にベルベットルームを重ね、マスディスでペルソナを召喚して力を得て闘うNovaを見たのです。中でも全7回の公演を通して少しずつ印象が変化していった「Eclipse/Blue」「GATE OF STEINER」には、何度もタイムリープを繰り返した末にその先へ行くオカリンの姿が重なって、いっそう胸がぎゅ~っとなりました。
大切に作られファンに愛されているアニメ/ゲーム作品中の楽曲が用いられた時、ICE STORYのその場面には曲の長さ以上の特別な彩りと熱が加わる。出所となった作品と長い時間を共にしてきた方の場合は、その世界観とICE STORYがさらに混ざり合ってきっと私には見えない何かを受信しているのだろう。
その反対に、それら作品には触れずにICE STORY(今回はEchoes)単体で見る場合は、まっさらな状態で目前のパフォーマンスを受けとめて「私のEchoes」を白紙に自由に手描きしていくような面白さがあると思う。埼玉公演鑑賞時の私もそうだったように。
千枚の葉
かくしていくつかのコンテンツを履修したけれど、それで私のEchoesの見え方がガラッと変わったのか?と言われると、そんなことはありませんでした。感覚としては、「ひとつの薄い層(レイヤー)が新たに加わった」というのに近いかな?見たもの、読んだもの、触れたものが自分の記憶の貯蔵庫に一枚、また一枚とふわりと重なり合って風合いが少し変化する様子は、バターを織り込んでひと折りひと折りされたミルフィーユみたいだ(お菓子断ちを三日で断念した、食いしん坊の発想)。
ミルフィーユ(mille-feuille)はフランス語で「千枚の葉」だけれども、生地を重ねすぎると膨らみにくくなるので限度はあると言います。同様に、私たちの持ち時間も記憶容量も有限だから、何でもかんでもは重ねられません。一節によると、人間の記憶容量はスマホにも遥かに及ばぬ1GBたらずだそうですが、そんな中でも出会いと選択によって「私だけのミルフィーユ」みたいな美味しい記憶の束を作っていけたら最高だと思う。
「履修とは、何?」
「それは、ミルフィーユの生地作りのようなものでございます。知識やコンテンツに触れたひと折りひと折りの経験が、あなたにとっての大切な記憶となる、といったところでしょうか。まずはこちらの端末からTELASAに契(略)」
少し脱線すると、Echoes of Lifeを見ていると実は私たちが「どっちでもいい」とは言わず、ちょっとだけ優先的に履修すべきは実は身の回りの社会であり世界なのではとも思う。廃墟の姿にアポカリプス(終末世界)を思い浮かべた人は多そうだけれど、2025年の現実の世界に似通った光景は実在している。また、エンドロールでは赤ちゃんの声が印象的だが、小さき命のこんな笑い声がこの先どんどん聞かれなくなるとしたら?小さき者、弱き者の声がかき消されていくとしたら?
作者たる羽生くんは、MCなどで現実世界の特定の事象と紐づけて語ることは極力控えたように見えたけれど、自分たちが生きているこの社会へのさりげない橋渡しはストーリーブック含むEchoesの根っこに見てとれると思ったのでした。
旅の終わり、または新しい旅のはじまりに
羽生くん30歳のお誕生日に幕を開けたEchoes of LifeとNovaの物語はいったん幕を閉じました。でも、一緒に旅をしてきた二か月間の記憶が残っているのできっと大丈夫。Echoes of Lifeという幸せな「履修」を胸にわたしの世界を元気に生きていこうと思います。次は宮城・利府のNotte Stellata公演の地で、Novaくんの中の人にお目にかかれるようです。まずは、その日を楽しみにー