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見上げればいつも四角い青空#44 霞が関文学とは脱線か
パソコンの画面を見て目を凝らす。思考を巡らせ、頭の中で「あーだ」「こーだ」を繰り返す。
確定申告の季節だ。
“〇〇する場合には△△が必要な場合があります。ただし□□を行っている場合には△△は不要となる場合があります。詳しくは●●を確認してください。”
「詳しくは…」と導くリンクを踏んでページを開いてみても、意味を理解するのに苦労する状況に変化はなく、むしろより深みにハマってしまった感さえある。
これが御上先生(TBS日曜日21:00放送「御上先生」(主演 松坂桃李))がおっしゃった霞ヶ関文学なのかと思い至った。
伝えたいことを自分が考えている通りに読んだ人にも理解してもらうことは、本当に難しい。実在する事柄を説明するというだけでも難しいのだ!ということを改めて実感する。
ところで世の中には、目的地までの道案内を苦手とする人たちもいる、といわれる。
おそらくボクもその内の一人だ。
頭の中に描かれた道筋を整理しながら説明するのだけれど、とにかく脱線がひどいようだ。
「そういえば、この交差点を逆に曲がると美味しい焼き菓子の店があるよ」などと、自分の興味のままに脱線話を差し込むものだから始末が悪い。
でも目的地まで移動のためだけに歩いたり、車で走ったりするのもなんだか味気ない。だから移動は移動で楽しくなるようにと勝手に脱線するのだ。
前述の説明も同じようにという訳ではないのだろう。けれど、知っていないと困るだろう…と親切心から途中に説明を差し込んでくれているのかもしれないとポジティブに捉えてみる。
ボクの道順の説明では、「いやいや先ずは正しい道を教えてよ!」という声も聞こえてきて、最後に「結局分かんないな」などと言われると、ボクはちょっぴり残念で、それにもうちょっとプラスして凹む(苦)
もしかしたら、前述の説明をしていただいていている◆◆庁の職員の方々もこの感想を聞いたらそう感じるのかな…などと頭の中で呟いてみる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。同じようでいて同じではない日々の生活の中で、感じたことや考えたことをスケッチしています。よかったらまた立ち寄ってください。