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私たちは「はじめての興奮」を超えて、大人になる。

・チャイティーが好きだ。
海外旅行の経験が少ない私は、食べただけで、とか、飲んだだけで、その国に行った気になれるものにときめく。
特にインド料理は、たまらなく好き。
初めて食べに行ったのは19歳のとき。
まだケーキ屋さんを目指して製菓の専門学校に通っていたときの友だちと、インド人が多く働く銀行で勤めているというその子のお姉ちゃんが連れていってくれた、渋谷にあるインド料理屋さん。
新潟の糸魚川市という海と山しかないような田舎から出てきた私にとって、東京の、しかも渋谷という若者の街の、それでいて日本の国とは違う食べ物が、わたしを「今までとは違う生き方をしてもいいんだよ」と違う世界線に引っ張ってもらえたような気がして、あのときのお店の雰囲気は今でも覚えている。
チキンカレーにキーマカレー、チーズナンにサモサ、そしてチャイ。
他にもおせんべいみたいなパリパリしたもの(パパド?)にも初めて食べて、「初めての美味しさ」に触れた感動は忘れられない。


一昨日のお茶会でチャイティーをいただきました♡

・私たちは初めての興奮や快感が忘れられない生き物


『性欲の科学(オギ・オーガス/サイ・ガダム 著 坂東智子 訳)』という本に、自宅の庭で捕まえた蟻を飼っていた青年の話が書いてあった。
その青年は、最初は蟻が自分の身体に這う「チクチク」した感じが好きで這わせていたのだけど、そこからある日「新しいひとり遊び」にトライした。
つまりマスターベーション。
そこから10年くらいはずっと(他の昆虫でも)その行為に夢中になったのだそう。

他の例も書いてあったけれど、私たち人間は最初に得た興奮・快感って忘れられないものになるようで。
いつも同じパターンというのは安心感と繋がるからかもしれないけれど、ある種刷り込まれた感覚になるので、無意識的にどうしてもそこを追い求めてしまうのね。
生まれてきたヒヨコが生まれてはじめて目にしたものを、お母さん、と認識するように。安心して執着できるもの、になるんじゃないかな。

つまり私たち人間は、ずっと子どもでいたいし、ずっと無邪気に愛を感じたいということ。大人になっても、ずっとずっと。

・はじめてを超える勇気が、私たちを大人にさせるから


でも、初めてに拘ると世界は小さいまま。
同じ恋のパターンを繰り返してしまったり、同じセックスばかりで飽き飽きしてしまったり。
そう。わたしたちは「飽きやすい生き物」なのも認めていきたい。
だから、やってみたことのない世界に飛び込む勇気も、大人になったら必要になってくる。
サラリーマンタイプからやんちゃタイプへと、好きになるタイプの方向性を大きく変えてみたり。シャワーを浴びてベッドの上でするセックスを良しとしていたなら、いきなり彼の家の玄関でとか、秘密の恋とか、恋心のないセックスとか、年上とか年下とか。
むしろ超絶プラトニックとか。
今まで良しとしていなかったパターンも「有り」にしていく勇気。

初めてとは違うことを経験する勇気を持つことが、大人になる、ということのような気がしてる。

そして、経験することに意味があるのではなくて
飛びこむ勇気を持つことに意味があるよね。

大人になったら自分の世界を自分の手でひろげていいの。
素敵だよね。


・お腹すいたな。未知の国の料理を、食べてみたい。


秘密のリーディング

夢なら醒めないでと思うけれど
自ら醒めさせる必要などなくて
そのまま夢を見続ける覚悟があれば
夢が現実になる
もっとイケイケな感じでいいんじゃない?


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