「民藝 MINGEI」展が気付かせてくれた、権威を気にせず「好き」を追求する心。
実は、「民藝(みんげい)」があんまり好きじゃない。
「民藝」と聞くと、憧れの気持ちと「でもいまいち良さがわからないんだよな」という失望感が蘇る。
でも、その思想にはたまらなく惹かれる。
そんな相反する気持ちを抱えて、世田谷美術館の「民藝 MINGEI」展に行ってきた。
そうして、エントランスの言葉で撃ち抜かれた。
「私は何よりも普段使いの品が健全にならずば この世は美しくならないと思う者です」
民藝運動の創始者、柳宗悦の言葉だ。
正直、「民藝」の思想はこの一文がすべてだと思う。
普段使いの衣服や器。職人が大量生産する、特別ではない日用の品。
そういうものに内在された美に光を当て、価値を与えるのが「民藝」なのだと思う。
暮らしの中の道具たちに美を見出し、そういうものをひとつひとつ集めながら暮らす。
一方で、私は「民藝」の名品として展示される作品があんまり好きじゃない。
好きじゃないというと言い過ぎだけど、自分の好みにはドンピシャこない。
それがずっとコンプレックスで、「民藝運動」に憧れを抱きつつも、その良さがわからない自分に失望感を抱いていた。
けれど、今回「民藝 MINGEI」展であらためて民藝の歴史や蒐集作品を見て、
民藝運動のメンバー達がどれだけ興奮してそれらの品々を集めてきたかを見て、悟った。
「これ、シンプルに趣味が違うんだわ」
民藝運動の考え方、すっごく好き。
豪華な貴重品ではない、日常の品に美や価値を見出すところ、共感できる。
日本や世界の各地をまわって、好きな品物を見つけたときの興奮、すっごくわかる。
ただ、彼らと私の「好きなもの」のジャンルが違う。
柳宗悦さんやその仲間たちと、私の好きな民藝品の方向性が違う。
ただそれだけ。
私も骨董市や蚤の市をまわって、名もなき職人の器を見るのが好きだ。
紬や木綿みたいな、気取らない日常の着物が好き。
「民藝」の名品としてよく展示される品は土の気配がする無骨で大ぶり、おおらかな作品が多い。どちらかというと男性的な好みだと思う。
私が好きなのは緻密で繊細で、薄くてちいさなもの。
身のまわりに手仕事の、美しい品を置きたい。
それは高価なものや権威あるものではなく、自分の感性に響いたものがいい。
そういう意味で、私は「民藝」思想を生きている。
民藝運動の先駆者達が良いと思ったものに追従する必要はない。
ただ、自分の心に響く「美しい暮らしの道具」を見出していきたい。
はじめてそう思えた「民藝 MINGEI」展は、民藝思想の本質を掬いだして差し出してくれたのだと思う。
行ってみて、本当によかったと思える展示だった。