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「好き」のフェードアウト #夕陽海彩の呟き
いつの間にか、
あの本を読まなくなった
気がつけば、
もう随分長くこの曲を聴いていない
なぜかもう、
推していたはずの人の写真を見ても、ときめかない
目まぐるしい日々の中で、ふと、そんなことに気がつく瞬間がある
好きが移ろっていることに
でも、何故だろう
「好き」の反対は「嫌い」のはずなのに、
決して嫌いになったわけではないのだ
嫌いになってはいないのに、
もう大好きだという気持ちは湧いてこない
思うに、
「好き」はフェードアウトしてゆくものなのだ
相手が人間で、何か決定的な出来事があったならば、少し事情は違ってくるかもしれない
でも、ことに対象が物事や推しであった場合、
人は大好きから少しづつ離れてゆくのだ
川の水がゆっくりと下流へ流れてゆくように
大好きな気持ちが徐々にフェードアウトしてゆく
そのことに気付いた時の、その感情を、一体何と呼ぶのだろう
仮にも作家志望者がこんなことを言ってはいけないかもしれないが、その思いにぴたりとはまる言葉が、私にはよく分からない
多分、一言で表せるほどの単純な感情ではないから
好きだったものが、あるいは自分自身の気持ちが、変化してゆくことへの寂しさや戸惑い
今となっては好きではなくなりつつあるものに時間やお金を費やしていた過去への複雑な気持ち
「好き」のフェードアウトは、あらゆる思いを内包している
だけど私は思う
好きだった過去も、好きではなくなりつつある今も、どちらも否定する必要なんてないのだと
過去に、好きを楽しんだのも事実
そこには、明るい記憶が沢山詰まっている
そして今、自分が変化しているのもまた事実
変わりゆく自分の行き先は、自分自身にも分からない
どちらも否定せずに、
前に進んでいけたらいいと思う
今の自分の感性を大切に、
そして昔の自分の感性も、懐かしくこの胸に抱いて