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アンチコメント論 : 知らない人に、言葉で殴られたときの処方箋



 


01:まずは自分がどう感じているのかを特定します。

恐怖、不安、悲しみを味わう。
起きた事象と感情を切り離し、向き合ってみる(可能なれば)。

もしショックが強くてそれどころじゃない場合は、
コメントはすぐに削除
して、次の章を読んで下さい。
気持ちと向き合うのは後からでOKです。

こんな言葉に傷付くなんて、私は弱いからなのか… → 弱くていい。

心の強度(鈍さ)は人それぞれなので比べないでください。
あなたが感じたもの、感じてる痛みが一番正しいので否定はせず、弱さを許してあげて下さい。


気持ちの言語化を頑張ってみる

自分の気持ちがハッキリすると、それだけでずいぶん落ち着きます。
悲しいと思っている、否定されたように感じた、攻撃されているように感じる、孤独を感じた、恥ずかしいと思った、などなど。
自己否定はしないでください。絶対です。




02 自分がそれをどう解釈しているのか分離する。

事象感情を切り離しましょう。
妄想で補完してる可能性はありませんか?

例えば

なにこれ

これだけコメントがあったとします。
これを見て、あなたは否定された!と感じるかもしれない。
なにこれしょーもな。」と解釈したということです。

一方で
なにこれ神コンテンツじゃん」と解釈することもできるんです。

余白があるとどうしても自分の解釈で補ってしまうので、
事実のみを分離して下さい。

事実とは、

そのコメントがついたということ。
あなたがアンチコメントであると感じている、とうこと。

これです。
そのうえで、読み進めて下さい。
あなたの解釈が少し変えられるかもしれません。


注意: 頭で理解しようとはせず、感情をしっかり味わうことが大事です。

繰り返しますが、まずは感情をよく感じて下さい。
感じるとは「悲しいとか思ってないもん!」「こんなの平気だもん!」「ショック受けてないし!」と強がらず、
ありのままの感情を言語化することです。
紙とペンで書き出すのがオススメです。




03考え方の提案


あなたにとって不快なコメントをしたその相手の背景を考えてみます。
どれかひとつでも、しっくり来るものがあれば採用して下さい。


批判ではなく、正義感からのアドバイスである可能性はないか?

言葉のチョイスが乱暴なだけで、相手はアドバイスしてあげていると思っているかもしれない。あなたが間違っているので、正義感をもって正してあげていると思っている可能性がある。
なんなら、あなたが不快な気分にさせてきたので、正義を持って苦言を呈する!くらいの大義名分を掲げている可能性があります。
なかには本当に参考になるものもあるかもしれません。
おそらくあまり伝えるのが上手じゃないので、視点が正しかったとしても発言の仕方を学んだほうがよいタイプの方です。
私生活でもおそらく同様の失敗をしているでしょう。


ただ否定する、ネガティブな感想を言うのは消費活動であり、アホでもできる。一方、あなたは生産活動をしている。それは社会を愛する活動である。

ダメ出しをするのは本当に簡単なことです。
重箱の隅をつついてみたり、気分で否定してみたり、誰でもできます
でも生産的な指摘・アドバイスは大変むずかしい。スキルが必要です。
そして発信活動をしているあなたがしていることは、自分の何かを他者のために届ける、すなわち愛を届ける活動です。
それは本当に凄いことです。
誰かが時間・労力をかけて作り出したものを否定することは、親指一つで寝転んだままできますが、あなたのやっていることはそうはいきません。
その活動は、対等じゃないのです。


聞かれもしないのに批判的なスタンスをアピールする人は、そうしないと生きていけない過酷な環境にいる。

相手は、生きるのがつらく誰かを呪わないとやっていられない悲しいモンスターなのかもしれません。目に付く幸せそうな人を見ると攻撃して引きずり降ろさないと、自分が惨めでどうしようもない。
相手はあなたを否定しているのではなく、自分の人生を否定しています。
でも自己否定のループからたまにはみ出して、他者を否定して回っています。それが彼らの不毛な生存戦略なのです。


人は2種類に分けられる。あなたのファンか、それ以外か。

80億人以上いる人類の中で、あなたは数少ないファンを大切にしたほうが有意義な時間を得られるはず。
様々な理由で(その殆どがあなたに否がない)、あなたを嫌う人がいたとして、一方であなたに賛同し、応援してくれる人もいます。
人生という短い時間の中で、あなたを好きでいてくれる人のことを考える時間を増やしましょう。
大丈夫、わかってくれる人もちゃんといます。


テレビを見ながら言うような独り言(野次)を、わざわざ書き込んでいる。

SNSとは何たるか、その書き込みを誰かが見ることを知らない可能性があります。他者の存在を本当の意味で理解していない、孤独な人がいます。
大声で怒鳴り散らすと、それを聞いた人が怖い思いをしたり、不快だったりすることを知らないのです。
自分の書き込んだその言葉を、いろんな立場の人が見るということ、それを見て色んな人が不快な感情を抱くこと、発信者が傷つくことが本当にわかっていない
それを指摘してくれる人間が身近にいないのかもしれません。
プロ野球を見ながら「何やってんだ!」と怒鳴っているのと同じです。その人はボールを投げることも打つこともできないのにです。


あなたの全てを見ておらず、一部の言葉に勝手に怒っている可能性がある。

それが例え話だったとしても。
たとえそれが本筋ではなかったとしても。
その単語に過剰反応して大騒ぎしています。
あなたは丁寧に説明しているため、まさか理解されていないとは思わず、ショックを受けるかもしれません。
しかし相手は単語しか見ていない・聞いていない上に、勝手にあなたから攻撃された・否定されたと感じて撃ち返している場合があります。
本人は正当防衛のつもりです。


あなたへの苦言ではなく、他のユーザーに対し感想を言ってるだけのつもりである。

まさしく「Xでやれ」。
そう、自分の日記にしたためたらよいのです。
相手は、どうやらターゲットが発信者ではなくコメントを見に来る他のユーザーであり、彼らのみを意識したもの(いいね稼ぎなど)である可能性があります。
発信者が見てるとは思っていない、知らないのかもしれません。
大変失礼です。




04 対応は、無視一択。

幸福な人は、感謝以外でコメントをしない。

そもそも、あなたが仲良くしたいはずの幸福で満たされた人たちは、自分を幸せにするので忙しいのでいい意味で他人に興味がありません。
わざわざ他人の行動に難癖つける時間はもったいないと思っています。
つまり全員もれなく相手にする必要がないコメントです!


かけた呪いは、受取拒否されると本人に返っていく。

呪いをかけられた(嫌な気持ちになった)場合は、「受け取らない」を選びましょう。
「受け取らない」を呪文にすると「それってあなたの感想ですよね。」です。
「あなたはそう思うんですね、へぇ。でも私はそうは思わないかな。」

苦言もアドバイスも、余裕がある時に聞けばよくて悲しみが勝るならきっと今は見なくていいんでしょう。
それよりも体制を立て直すことに注力しましょう。




05 なぜ処方箋を書いたのか。


私はYouTubeでタロットを読んだり語ったりしてるのですが、上記の方からなんだか見当違いだなぁと感じるお言葉を頂戴します。

私自身、マジで人生で一度もネット上で誰かを批判したり攻撃したことがないので、なんでこんなことをわざわざ書くのだ?と全く理解できず、その人間性?みたいなものに恐怖しました。
同じ人間という皮を被ってるのに、行動が理解できないっていうのはシンプルに恐怖でした…。

でもそれは、私が恵まれていて、幸福だったからなんだなぁといろいろ調べてわかりました。
学校でも、社会でも、理解できないほど呪われてる人は見たことがなかったし、みんな私に親切だったなと。

誰かを呪っちゃう人は、環境に恵まれなかったりして意図せず呪われてしまった人たちなのかな…と思います。
私の視聴者は、全員 私より歳上なのでなおのこと複雑な気持ちでした…
(キッズなら幼さゆえかなぁと流せるけれどもそうではない)
そしてそっと受取拒否して、呪いを返しました(返しますとも)。

私の場合は、何かあったらめちゃくちゃ自分の気持に向き合い解明していくので立ち直りが早いのですが、メンタルは普通に弱いです
普通に傷つきます。

なので誰かのことも、傷つけたくないなって思いながら発信してます。
うっかり言葉の裏に悪意を込めないように、自分のクリーニングをめちゃくちゃやっております。
中庸なスタンスで話さないと、受け取りにくいよなっていう私なりの愛です。

だからこう、突然殴ってくるじゃん!みたいな人間にショックを受けました。愛がない!!と。
しかしながら、私のこの繊細さ?は治らないし、大事にしたい部分なので
今後も急に殴られたらショックを受けます

そしてこれからもきっと、突然殴りかかってくる人は現れるんだと思います。
まだまだ伝えたいことあるしね。

なので、そのときの私のために書きました。てへ

がんばってる証拠だぞ
あなたはがんばっているぞ
クリエイティブな活動をやってるからこそだぞ
勝たなくていい、負けるなよ!

同じ境遇の、あなたの傷を癒やすお手伝いになれば幸いです。
お互い、頑張りましょうね!

#この経験に学べ

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