真冬のレモンは小さくて甘く切ない #クリスマス金曜トワイライト
師走の上野駅東北本線のホームは、わたしと同じように帰省する人たちでごった返していた。
ついさっきコートのポケットにしまったばかりの手紙を、取り出して封筒の表面を撫でる。まだ乗車する予定の列車が来るまでには時間がある。それなのに寒いホームに立っているのは、まだ少し期待してしまっているからかもしれない。
初めの頃は言えた「会いたい」も言えなくなって、こうして運にまかせるみたいな方法しかできなくなっていた。この手紙も、今日田舎に帰ることを伝えた手紙も、伝えたいのなら電話なり使えばよかったのだけれど、それをためらってしまうほどに、彼はわたしから遠くなっていた。「会いたい」も「苦しい」も言ってもいいのかわからなくて、確実ではない方法を選んでしまった。
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わたしたちが出会ったのは、モダンアート展のパーティー会場だった。わたしが書道の個展を開いた時にお世話になった方が主催のイベントで、断るにも断り切れず、気乗りしないまま壁の花になっていた。
シャンパングラスを片手に近くの絵画に目線を向けながらただ時間が過ぎるのを待っていると、
「ココにはよく来るんですか?」
と声をかけられた。知らない人と話すのは得意でないから、緊張して何を話しかけられたのか理解するのに時間がかかってしまう。
「いえ、はじめてです……」
なんとか声にすると彼は
「僕もはじめてです」
と言った後、ちょっとおどけて「嘘です。合わせました」と笑った。
つられて笑ってしまって、心が少しほぐれたのがわかった。
それから少し、二人で話した。慣れない場で萎縮していたわたしを気遣ってくれたのか、彼はたまにユーモアを混ぜて楽しく話してくれた。
彼は広告代理店に勤めていると言っていて、こういう催しにもよく参加しているらしい。高校在学中に書道の師範になり、卒業後も文字とばかり向き合ってきた世間知らずのわたしに、彼の話は新鮮なものばかりだった。
「ああ、こちらにいらっしゃった。紹介したい方がいらっしゃるんだけど、お話し中だった?」
主催の女性が彼を探してやってきて、わたしに聞いた。
「あの、いえ、雑談していただけですから……」
少し寂しく思いながら見送ろうとすると、いたずらっぽい笑みを浮かべた彼が、
「すぐ戻ってきますので、一緒に出ちゃいましょう」
と耳打ちして去っていた。思わずうつむいてしまう。すでにシャンパンで赤くなっていてよかったと思った。
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そのあと、わたしたちは何度も会った。休日二人で小旅行に行ったり、平日のお昼も待ち合わせて食事に行ったり、付き合いはじめるのにそれほど時間はかからなかった。
わたしが「行ってみたい」と言うと、すぐに彼が手配してくれて、ふたりで出かけて、ふたりで色んな話をして、毎日がきらきらしていた。
でもそのうち彼は責任ある仕事を任せられるようになって、そこまで簡単に時間が取れなくなっていった。
寂しくなって、どうしても会いたいとわがままを言って、仕事の後に時間を取ってもらったのに、彼の険しい顔を嫌いだと言ってしまった。
本当はそうじゃなかった。常に何かに急かされて、あせらされて、必死な彼の邪魔しかできない自分が嫌だった。あの表情を見ていると、何もできないことを見せつけられている気持ちになってそれが嫌だった。
だからただの八つ当たりだった。
あたってしまってから、彼がさらに不機嫌像に顔をしかめるのを見て、もっと苦しくなった。
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ホームを足早に歩いていく人たちを眺める。
せめて、大切な人といるときだけでも、足を止めて休んでほしいというのは、この東京では難しいのかもしれない。少しでも足を止めれば、何かに置いていかれてしまうのかもしれない。わたしにはそういう生活は向かないのだと思う。
気づけば手先が冷えてしまっている。手紙をポケットにしまい、近くの自販機でホットレモンを買う。
キャップを開けずにそのまま頬にあてると少しあたたかい。こんなものでは冷たい真冬の冷気には勝てないけれど、ちょっと誤魔化すくらいにはなる。
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冬に入ってすぐ、ふたりで久々の旅行にでかけた。
彼の夏休みに合わせていくはずだった伊豆のホテルに二泊。
仕事が終わった夜に出発して、到着したらもう食事もそこそこにふたりでベッドに入って、次の日もそのまま部屋から出ず、服も着ないで布団にくるまって過ごした。せっかく旅行に来たのにと笑いあって、会えなかった寂しさを一生懸命埋めた。
東京よりは暖かい伊豆でも、冬は少し肌寒い。少し体温が高い彼に、布団の中で抱きしめられるととても気持ちが良かった。
ずっとこういう時間にいたかったと思った。
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間もなく列車が到着するアナウンスがホームに流れる。
ポケットの中の言い訳は、会えなかったら捨ててしまおうと思っていた。
本当は最初の手紙を彼の家の郵便受けに入れた時、その手紙に気づいてもらえなければ黙って行ってしまおうと決めていた。それなのに、もう一通今の気持ちを書いてしまったのは、電車が出てしまうギリギリまで待ちたかったからなのかもしれない。
最後に伝えたかった言葉は、それでもやっぱり伝えられなかった。すれ違ったままもう戻れないところに来てしまったんだと思った。
電車に乗り込む列の最後尾に並ぶ。
指定席はとっていたけれど、席につく気にはなれなくてデッキに立ってホーム側を向く。
人ごみの向こうに彼が見えた。声が出なかった。
彼がわたしの視線に気づいたのか、振り返った。
目が合って、名前を呼ばれる。
人をかき分けて走ってきた彼が手を伸ばして
「行くなよ」
と強くいってくれる。
ここまで急いできてくれたのか、息が上がっていた。
本当にギリギリだったよ。
言いたい言葉が溢れてきて、結局何も口から出なかった。もう遅かった。
口から出なかった言葉の代わりに手紙を渡した。目の前、彼との間を扉が遠慮なく横切って閉まった。こういう方法しかとれなかったわたしを許してくれるかな。
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クリスマス金曜トワイライトに参加しています。
池松さんが書き下ろした恋愛小説をリライトしてみようというイベントです。
☆☆リライト元の素敵な作品はこちら↓☆☆
リライトというよりも、妄想特急暴走いたしました。
すみません……。
☆☆なぜこの作品を選んだのか☆☆
「レモン」が出てくる作品が好きだからです。
前からこちらのリライトのイベントは気になっていたのですが、なんとなく「わたしなんぞがやっていいものか」と手が出ずにいました。
背中を押したのが「レモン」です。
しかし、最終的にレモンは消えてしまいました。
タイトルそのままにしてしまったので、看板に偽りしかなくなりました。
☆☆どこにフォーカスしてリライトしたのか☆☆
最初に読んだ時に
このところ僕たちはいつもすれ違っていた。30歳を目の前にして焦っていた。理想と現実の狭間であがいていた。
の部分がとても気になりました。
恋人がいて30歳目前で焦って考えることは「結婚」だと、勝手に思い込んで読んでしまい、途中でつじつまが合わなくなりました。
「理想と現実の狭間」が男性の持つ仕事に関する夢と現実の狭間であると理解して、その感情がとても新鮮でした。
30歳目前というと、私の周りの女性がだいたい結婚を意識してくる年齢だったため、性別の差なのかもしれないと思い、それならこの物語に出てくる女性はどんなことを思っているのかが気になり、そこをメインに書いてみました。
すると、一人称が彼女になりました。
何番煎じかわからない発想ですが、楽しかったのです。
基本的にわたしが彼女を作りすぎないように、最初に読んで受け取ったときのイメージそのままで一人称にかえることを意識しました。
読み取りミスと表現の拙さはご勘弁下さい。
ここまで書いて気づいたこと書いていい?
応募期間伸びてた!!!また書き直すかもしれません。