また会う約束をしよう
※このブログには3月31日に行われた「Road to A」発売記念イベントでのハイタッチ会の記述をしていますのでそのあたりが気になる方は読まれないことを推奨します!
2年前、私はデビューコンサートに行くために新潟に向かっていた。まだ暗いうちに家を出て、新幹線に乗り込んだ。いくつかの駅を超えると見たこともないくらい大きな虹が架かっていて、「幸先が良すぎる!」と写真を撮ってインスタのストーリーズにアップして同じ電車に乗っていた友人に「虹見えた?」とLINEしてはしゃいだ。新幹線はその虹のふもとに向かっていくようで、それはまるでこれから始まる楽しい時間のオープニングみたいだった。小さい頃にみた少女漫画に「虹のふもとには宝物が埋まっているんだって」というセリフがあった。そのセリフが人生で一番実感していた。
新潟でのコンサートはとても楽しく、美味しいものをたくさん食べ、お酒を飲み、大満足で帰路についた。買いすぎたお土産や荷物をバラして、明日からの日常に備え、買い物を済ませ、キッチンでいつもどおりに雑な自炊を始めようとしたときだった。母にふと連絡をとった。
「コンサート楽しかったよ!」すぐに既読がついた。
「もう家だよ」またすぐに既読がついた。
他愛のないメッセージを送ると既読はつくのに、一向になにも返ってこない。違和感を感じて、電話をしてみると、すぐに母の声がした。でもその声はいつもと明らかに違っていた。自分の血の気がみるみる引いていくのがわかった。でも、私はしっかりしなきゃいけない、と取り乱しそうな気持ちを必死で抑えた。
父が倒れた。母は救急病棟に居た。私の実家は東京ではなく、新幹線での移動を必要とする場所にある。すぐに近くに住む叔母に連絡をとって、母のところに行ってもらった。その日に向こうにいくにはもう間に合わない時間だったので、ほどいた荷物を再びまとめ、翌日の早朝、私は実家へと急いだ。
結論から言うと父は心筋梗塞だった。でも、一命をとりとめ、手術は成功した。私は実家に到着した頃には落ち着いていて、面会謝絶の病室でビデオ通話をつないだときチューブに繋がれながらも、へらへらと手を振る父の姿を見たときは崩れ落ちそうなほど張り詰めていた力が抜けた。父はもう退院して、今も母の厳しい管理下のもと、食事に気をつけながら生活をしている。
ただ、この経験で私が感じたのはどれだけ幸せで夢のような一日を過ごしたとしても、辛いことやショックなことは突然やってきてしまうということだ。だってたった1日のことだ。もし、少しでも「その日」がずれていたら当然、コンサートにも参加していなかったと思うし、それどころじゃなかっただろう。私が楽しく幸せな一日を過ごせるのは、本当はとても奇跡的なことなんじゃないのか、と心の中で思うようになった。
年齢を重ねていけば、自分の体のことも、身内の体も、環境も、どんどん変わっていって、担当を好きな気持ちはなにも変わらないのに、周りは変わらずにはいてくれない。周囲の友人がどんな人生を送っているか、それと比べて落ち込む自虐をしてみても、実はそこまで落ち込んでいるわけではない。でもただ、自分や自分の肉親の変化は堪えるものがある。
振り返ると2019年末のHey! Say! JUMPのコンサートのバックについた時も、2021年のコンサートも舞台も「次があるなんてわからない」ことには変わりはなかったのに本当に、そうなることになるなんて思ってもいなかった。実際のコロナ期間も留学期間中もどこかで、もう会えないことなんて想像もしていなかった。でも今はどこかでうっすら思う。一生会えないとは思ってないけど次のツアーを迎えるまでにどんな大変なことや辛いことを乗り越えないといけないんだろう、と思うと途方もなく暗い気持ちになってしまう。無事に私はまた、大好きな人に会うことが出来るんだろうか。
そんな気持ちがずっとあって、これが最後になりませんように、ずっと応援していられますように、とふとした時に祈る。誕生日、結成日、入所日。オタクをやっていると、たくさんのお祝いごとがあるけど、いつも「来年も」「この1年も」「これからも」、毎回どこかで祈る自分がいる。実際はいつも、後ろ向きなことを考えているわけではないけど、たまによぎる。ずっとこの場所にいたいな、いられるかな、いつまでいられる?いつかもういいと手を離すときが来るんだろうか。離したくない。仲良しの友達とずっと楽しくすごしたい。だけどずっとどこかで怖い。私は前世に応援していたグループがあり、そこでの経験もとても大きい。永遠がないことはとうの昔に知ってしまった。
今年のツアー期間も一段落した3月末。運良く当選したアルバムの発売イベントで最後に行われたハイタッチ会。その前に行わたれた大阪会場に入った友人から「絶対になにをいうかちゃんと考えたほうがいいよ!」。てっきり、一瞬手を合わせて終了だけだと思っていた。でも、そうじゃないらしい。毎日、毎日、なにをいうか考えた。まったく実感はわかないけど、いろんなパターンを考えて、口にしてみた。これはエゴでしかないけど、一番、私がほしい言葉をもらいたくて、それは「また会える約束」だった。お守りがほしかった。
いよいよ自分の番がきて、他のメンバーは平常心を心がけて一言や笑顔を交わした。自担の前に来た。何度も何度も画面を通して見たはずのだいすきな笑顔の実物が、目の前にあるだけでも卒倒しそうだったのに、まっすぐに見つめるその瞳に吸い込まれそうだった。「また会えるよね?」この7文字を何度も家で唱えて、何度も練習し続けたリハーサル通り、ちゃんと声を声を出すことができた。
返ってきた返事は気の抜けてしまうようなラフさで、でも手は合わせたまま。ギリギリまで離さないその残像を見送った。わたしはこの先もこの言葉だけで生きてける気がした。
ありがたいことに私には自分より一回り下の友人がたくさんいる。みんなとてもかわいらしく元気で、そして純粋に自分の好きな人を追う姿は本当に美しい。こんなことを言ってしまうと何目線なのだろうと思うけど、こうして好きなものを通じて交わった縁、みんな幸せでいてほしいし、その素敵な、宝物のようにピュアな気持ちを大事にしてほしい。そして今の1回1回を大切にしてほしいなとも思う。大げさかもしれないけど、いつ、どこで、なにがあるかわからない人生だから。若さはお金では買えないしとても貴重なものだし、戻れるものなら戻りたいと正直、年齢を重ねてわかったこともある。これからも私は、これが最後になりませんように、そんな祈りを込めながら、1分1秒の永遠を目に焼き付けていきたい。
今年もありがとう、また来年も。真っ直ぐに、あなたが活躍する姿を見届けられますように。そんな願いを込めて今年を締めようと思います。でも暗くなるつもりもなくて、来年たくさん騒いで驚かせてもらって幸せを感じられたらいいな!楽しいこと、嬉しいことを感じられる自分でいられますように。
2024.12.31