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【障がいへのデリケートな言葉集】"あなたよりももっと大変な人がいる"


今回は、私が障害に関わる人生の中で
かけられて違和感を覚えた言葉たちをご紹介!


なんて明るめに言いますけれど(笑)


これを記事にする願いは…

障がいに対する心のバリアフリーを目指したい。

願いとしては、何気なく言ったつもりで
新たな障がい者への心の壁をつくってしまう
心を傷つけてしまうかもしれない言葉への認識が
少しでも世の中に広まるといいなって願いから
今回はこのテーマについての記事を書きたいと思います。

言った本人も悪気なく言っちゃうことだってあるんです。
それは障害を待つ当事者にしかわかりにくいことだから、わからないんです。だから悪気なく声をかける人々を責めるのも違うんです。


だからこそ少数派であるという以上、声を上げるという事は世の中を変えていくための大切な事の第1歩だと思いますし、障がい者への「心の障害・心のバリア」を無くして行くためにも発信したい。


「かわいそう」

実際に真実、可哀想に見えてるのは"あなた"の見え方であり感じ方です。
そして「かわいそう」にしているのは、"あなた"です。
言わなくっても思うことも一緒です。
その言葉当事者の心をどれほど可哀想にしてしまうか。
かわいそうという意識の内容って、「欠けている•無い•充分ではない」という意識ですよね!


障がい者だったとしても幸せな人はいっぱいいる。
幸せのカタチは障害の有無関係なく、100人いれば100通り☆
もちろん、100人の「普通」があれば100通りの普通

最近では「QOL」という言葉が近いですね!

障害があったとしても魂がどう感じて何を求めて幸せと思うかはその魂によるのです。
息子は全盲ですが、母の私ににもわからない息子の世界で生きてるんです♪
いつもニコニコ幸せそうで楽しそうな息子の世界、どんな世界なのか息子になってみたいとたまに思うのです♪♪

「あなたは恵まれている・あなたよりも大変な人がいる」

これは実際私自身が、障がいのコミュニティ内でかけられた言葉です。
当時、すごく心を開いて信頼していた方にかけられてしまったので、すごくショックで悲しくて寂しい気持ちになりました。
それ以来その方とは距離を取っています。

信頼していた方だったからこそ、当時は辛い思いを引きずってしまいました。

これは心に寄り添ってくれている言葉ではありませんね。
そして話を聴いてくれているわけではありませんね。
でもこれも悪気なく何気なく言っちゃう言葉のひとつだなぁと思います。


障害の大きさを比べる…
それは違うなって思いました。確かに大なり小なりは在るけれど比較するもではないと思うんです。
大変さに優劣をつけて何になるでしょうか。
比較されて、取り残された気持ちはどうでしょう?

大変さだって人によって感じた方は違いますし
実際に当事者になってみないと本当の意味で気持ちは理解できません。

なのに、自分の見え方で大変さを定義するのは違いますよね。
難なくやってそうに見えて、実は内側では頑張ったりふんばっているのかもしれません。すごい努力があったのかもしれません。
見えていることだけでは、本当の中身はわからないのです。
だからこそ、心の瞳で視る•感じる、心で聴くという事が大切だと思うんです☆

話し手にとっては気持ちをわかって欲しいだけです
解ってくれる人がいるだけでホッと安心できますからね。

だけど私はこの経験を通して、そういう言葉は使うものてもはないし、
大変さを比べる意識自体が違うなとしっかりと認識できました。

なにより、人に解ってもらおうとする前にまず自分で自分のことを解ってあげる事が一番大事だなと学びました☆


「あなたみたいな人はいっぱいいる」

これも障害のコミュニティ内で相談していた方から何気なくかけられた言葉です。

私はそれは違うなって思いました。
それはある種、突き放したような言葉

当事者にとってはすごくデリケートなんです。
当事者もそうだし、その当事者を支えている家族たって。

そういうグループのひとつとして、グループ化されて見られるように感じますし、グループ化して見ている時点で、本当に心に寄り添っているわけではない事がわかります。


以上です☆

「障害」という言葉は宇宙視点からみれば偏見

私宇宙視点から物事を視るのが得意なんですよね♪♪
だからこそ人と馴染めないのですが


宇宙視点からみたら、障害を持つことも「個性」のひとつなんですよね。
生まれて来る前にどんな障害を持つことでどんな経験がしたいかを決めて来るんです。

むしろ障害を持って生まれてくることで、健常の人が通る辛いと思う経験を通らずに済む為の場合だってあります。

実際に息子は全盲ですが、「見えなくてもいい事もある、見えない方が魂にとってやさしい」という意味も含まれているんですよね。


見なくてもいい事は見えない方が魂が傷つかずにこの世界で余計な経験はせずに純粋な本質の魂のままでいられるので。

目が見えないからこそ周りに合わせないし
周りの人も、無理に周りに合わせようとさせない。
そして合わせてもらえる事が多いです。
だからいつも自分のペースで自分らしく生きられている息子☆
もちろん、物にぶつかったり、肉体をつかうバランスだったり大変な事もあります。
この世界は本当に言いも悪いも表裏一体な世界ですよね。


そしてもう一つ、障害を持つことでどのような経験から種を摘み取り、どのような実りある人生にしたいかということも、障害を持つことの真実のひとつです☆

その大変な経験が種であり、その人にしかない宝なんです。
乗り越えた先に、じゃあその種をどう花を咲かせていくか行かないかもその人次第ですよね。


だから、困難が多くて深い程、それほどの豊かさを手にしていける可能性を秘めているということですね☆


そしたら

「障害」って…????
ってなりませんか。


むしろ「障害」という言葉、その言葉の欠如しているという意識が障害をつくっている


だから私は「障害」は偏見だと
その言葉を無くしたいと思っている

「障害」っていつもハッピーな息子にこの先もずっとかけたくないんです。

私自身も発達"障害"ですが自分のこと、
欠けているなんてひとつも思わないし
むしろ充分過ぎるくらいな個性(* 'ᵕ' )


共感してくれる人がいたら嬉しいなと私は思います☆


今回はここまでで( ˘.˘ )✸✸


読んでくれてありがとうございます(*'∀'人)


必要な人にとどきますようにっっ!( ᵕᴗᵕ )✩⡱

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