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BSDアクティングスクール5期 第4回 20230723

本日は4回目。全9回の講座なので、早くも折り返し地点となった。みんなで名前鬼とタケノコニョッキゲーム(お互いを感じ合い、共同パフォーマンスを見せるというこのゲームも少しずつ進展している。)を1時間程した後、しーちゃんがいらしゃる。

しーちゃんは、第2回と第3回を録画で確認したところ、みんな身体の使い方がなっていない人が多いことに気付いたと言って、
まず、身体のリラックス方法を教えてくださる。
役者は、身体がリラックスしていることが基本かつ大切だと言う。
ちなみに、リラックスしている身体とは、実は現代社会では大変に生きにくい身体とのことだという。
感情が即、顔にも身体も出る身体。
怒ったら一瞬で顔色が変わるような。

椅子に座って全身と顔の筋肉のチカラを抜く。すべてを緩ませる。椅子に座ったままだと意外と難しい。(座ってなきゃいけないから。全部チカラを抜いたら椅子から滑り落ちて床に転がってしまう訳だけど、それはNG。理由は、寝転んだ状態で芝居することってほぼないから。)
感情は関節に溜まるというから、ひとつひとつ緩ませる。

続いて演劇の手法BSDメソッドを2つ教えてもらい、今日のメインイベントへ。

それは台本読み。(ホンヨミ、というらしい。)
前日の夜、グループLINEにしーちゃんと川島さんが書いた台本の一部分が大量に送られて来ていたのだけど、なぜかそのことに気付いたのは当日の朝(ほぼ出発直前)だった。
印刷が間に合わない方はスマホですぐ見れるようにしてくれればOK、とのことだったので、それなら会場で確認しようと軽い気持ちで家を出た。
しかし、このホンヨミによって配役が決まるということで、つまりは(落ちることはないとは言え)これはオーディションでもあった、ということは、すべて終わった後に気付いた(笑)。
でも、知っていたとて何かの演技プランがある訳ではなく、硬くなって終わった可能性もあるから、まぁこれで良かったのかもしれない。

そして、結果はというと、最初に武藤さんを相手にコメディーをとのご指名がありよく分からないままとにかく勢いでやったら、まさかのだいぶ褒められる。😳😳😳
…そんなことある???
私にはどこか笑えるところがあるらしい。

しーちゃんは、「本当にみるほはこの講座を受けてくれてよかった。じゃなきゃこのおかしさが出せるとこないもん」と力一杯言う。(そう言われるのも2回目)

BSDアクティングスクールでは、素人でも良い役者になれる程の演劇メソッドを教えているのに、もはやメソッド関係なしに、適当に勘とノリで乗り切ってしまったらそこが褒められるなんて、
これでいいのかという不安が走る。

あとから知った話では、この作品はこのBSD5期の公演のためのしーちゃんの書き下ろし作品で、死から逃れられないような重い病気の男の子と、その子の雇われ看護師さんとのワンシーン(2人のやりとりが、どこかすっとぼけててチャーミングで可笑しい)なのだが、
しーちゃんは、この笑いの中に痛みや哀しみを表現して欲しいという思いがあり、
それはすごく難しいことから、それができる程の才能と経験のある、相当の実力者の子を想定して書いたのだとか。

ますますもって不安である。

私はなんとなく、どうせもうそう遠くない未来に死ぬのなら、そのこと自体は本人の魂のデザインだからもう仕方ない、余生は目一杯楽しく幸せに笑って終わるのがいいと思って、とにかく彼を笑わせよう、楽しませようという一心で、このシーンを演じてみたのだけれど、
(しかし、相手役の武藤さんがちっとも笑ってくれなかったので、うまくいかなかったという敗北感があった。)
私がやったものは、しーちゃんの想定からは相当にズレる、哀しみなんて微塵も感じさせない、軽〜い笑いだけを目指したものであるから、やっぱりまだまだなんだなぁと思う。
(私の本講座における最終目標は、しーちゃんや川島さんや武藤さんが、私と一緒にクリエイションしたいと思ってくれるような表現者になることなのだ。)

その後、演出家の作品に出たいという女優2人、ベテラン女優と張り合う新人女優の役をやらせてもらったら、余程つまらなかったと見えて、しーちゃんは途中でブツリと配信を切り、私たちの芝居についてはノーコメントで、「はい、次は誰と誰のペアでこの作品をやってください」と言った。
ちょっとこたえた。私の前にやったメンバーはひとりひとり指導をされていたから。
きっと見るに耐えなかったのだろうなと思うと惨めだった。それは私が本気で戦う気がないからというのも原因ではないかと思うと、一緒にやった2人に対しても心が痛んだ。

最後に、私たちひとりひとり今日の感想を言ったのだけれど、それに対するしーちゃんのアドバイスは、
「みるほの課題は、軽くなりすぎること。すべてのシーンが。だから、コメディーは良いんだけど、深刻なシーンもセリフがふわっとしちゃう。そこにリアリティを入れていったらもっと良くなる」

‥イタタタタ。さすがしーちゃん。

私は、辛いことや哀しいことは、思考を使ってなるべく感じないように感じないようにとする癖(無理矢理物の見方を変えるとか、自分の落ち度を考えて相手を責めなくて済むようにするとか、そのことによって起きた利点を考えるとか、美味しい物を食べたり大好きなことをするなどして、その気持ちを発散するとか)を身に付けていて、
それは、私がこの3次元をできるだけ生きやすく在るために身に付けた術とも言えるけど、逃げでもあるように思ったから。
逃げとはつまり、本来の私を閉じ込めているということで、いい加減もうそこから卒業しなければならない時期なのかもしれないと思ったら、一気に気が重くなった。

BSDメソッドの、感情日記が苦手な理由もこれだ。避けてきたことに挑戦しなければならないから。

自分を閉じ込めていたら、効果的にメソッドを使うこともできないから、
結果上辺だけの芝居となってしまって、観客を喜ばすことはできないような気がする。

私は、他の作品の登場人物である夫の愛人を次々殺す本妻だとか、殺される方の愛人だとか、上客を取り合うホステスだとか、マウントを取り合う女友だちとか、あまりにもその気持ちが理解できない。そういう気持ちにも事象にも巻き込まれないように思考をつかい尽くして生きてきたので、いざ演技の中でも巻き込まれてみると、どうしていいか分からないからふわふわしてしまう。

前回も書いたけど、私は勝つか負けるかしかない二項対立の構造の世界が極端に苦手で、たぶんそういう社会に放り込まれたら、真っ先にその構造から抜け出す方法をを探すだろうと思う。
たぶん、「私、あなたが張り合う程の女じゃないですよ」「ほらほら、私、あなたが欲しいもの何もないですもの。お金も男も美貌も才能も魅力も。ね?」という在り方で、相手の戦意を喪失させるのだ。

そして、気付く。
私は、随分長い間、ぱっとしない、魅力のない、自分に自信がない、「私はできない星人」だったけど、「できない」「地味な」存在であることにより、責任を負うこともなく他人から妬まれたりすることがなかった。嫌われたり馬鹿にされることはあったけれども(←かなしい)、お陰で、集団からいじめられることもなく生きてきた。

これって、私を守るために自分のエゴが仕掛けた、リスク回避のための戦略だったんだな。
本当の私を出したら迷惑かけるし、嫌われるし怒られるし、集団からいじめられるリスクもあると思って、社会に適応させるべく必死で辿り着いた戦略。

だとすれば、閉じ込めた本質の自分に失礼だし、本当の自分は、もういい加減にここから出して!!と言っているかもしれない。

しーちゃんから、このアクティングの初日に言われたことが少しだけ分かった気がする。

今日も深い気付き。
前半戦が、あっという間に過ぎてしまった。
ご一緒させていただいた、魂の仲間のみなさま、本当にありがとうございます💗💖💗

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