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BSDアクティングスクール5期 第3回20230716

7月16日。今日はアクティング3回目。

自分にとっては大金であるお金を借りて、体力も気力もギリギリの中、これは好転反応なのだと信じて、気は重いけど気合いを入れて会場に向かう。

たぶん抵抗なのだろうけれど、実は、このアクティングの間、ずっと体調がよくない(笑)。酷暑の中三鷹まで、その後もバスに乗らないと辿り着けない会場へは、通うだけでも相当負担だということもあるけど、
それにしても、驚くべきことに、身体を動かしていないと、毎回意識が飛んで眠ってしまう。
今回も大幅に延長となったので(⇒私を含めた初心者が多いこともあって、なかなか感じを掴めない私のようなメンバーにも、講師の2人が最後まで諦めずに丁寧に丁寧に向き合ってくださるからである。)やむなく最後まで残れずに帰ったメンバーが多いのだが、私は最後までいた割に寝てた時間が多くて、実質見れた量は変わらなかったと思う(笑)。ただ残念である(笑)。

さて今日も東京は溶けちゃいそうに暑い日だったが、まず、午前中は武藤さんによるゲームの時間。
実は、前回の第2回の時も午前中は武藤さんのリードでゲームをやったのだけど、心身共に余裕がなくて、とりあえずルールを覚え、そこに従うのに必死で(とにかく失敗しないように、みんなの共通のルールを覚えて間違わないようにすること必死だった。)記憶も曖昧で、言語化が追い付かなかった。

今回は少しだけ余裕があり、能動的に参加できたし、体感も感情も、少し感じることができた。

相手の思いとエネルギー、それを受けてみんなで創り上げる面白さ。
そういう演劇的面白さがちょっとだけ分かったら、思い出したことがある。

ゲームはいつも円陣を作って行っているのだけど、初回の顔合わせの際にはじめて円陣を作った際に武藤さんが、「私は、この、綺麗な円を(みんなで)作るっていうことも、結構重要なことだと思っていて」と仰ったのだ。
その時は、「さすが武藤さんだな、こまやかなところまで感覚が行き届いて」と勝手に称賛していたが、今なら分かる。それってどちらかというと基本的な話だ。

自分たちが舞台上にいる体で、綺麗な円を作るということは、
お客様に向けて、何をして何を見せているのかという意識と視点が必要になり、
相手との(有言と無言両方の)コミュニケーションも必要となるから。

だから、舞台に出ている人間たちが、みんなで綺麗な円を作れないなら、それはゆゆしき問題なのではないかと思うのだ。
(それだと、自分の立ち位置も分からず、相手のことも感じられていないことになるからね)

震源地ゲーム。
あなた、私ゲーム。
言葉を使わずに誕生日順にみんなで並ぶゲーム。

まだまだだけど、お互いを感じ合い、表現し合い、受け取り合う訓練はできたと思う。

そして、午後はお待ちかねのメソッドを使った課題。
今回は、前回習ったメソッドを使って、脚本を演じる。

しかしこれがね、本当に難しい!!
前回の「私はあなたに愛される必要がある」にもだいぶ苦戦したのだが(→前記事参照)、
今回のお題は「私はあなたに勝つ必要がある」。そして、脚本は、
A:若くして結婚し、子どもを産んで家庭を守る専業主婦 VS  B:仕事で大成功を収めた、人気インフルエンサー女社長
どちらかの役になり、相手に誰かを当てはめて行う。
またしても苦手なテーマ、キタ〜!!!と酷く目眩がしたが、
とにかくこの相手=代替者というのが、イヴァナの提唱するメソッドの特徴であり、誰を選ぶかが重要。

当たり障りのない人では面白くない(パワーが出ない)ので、どうしても勝ちたい、心が震える人ような人が良いわけだけど、
イヴァナ本人も、ご自身のワークショップで、この代替者の人選について、ちょっとのけぞりたくなるようなエグい人を充てるよう指導する(なぜならそうしないと面白くないから)という話を、しーちゃんの過去の配信からも川島さんからも武藤さんからも聞いたので、どうせなら私も、と思ったのだが、私は、あまり「他人に勝ちたい」という文化を持っていない(持たないように生きてきた)ということに気付く。

最初に思い付いたのは大好きなしーちゃん。そしてHAPPYちゃん。
その対象者に勝たなくてはいけない理由を書き出してみましょうと言われ、レポート用紙に書いてみて気付く。
しーちゃんやHAPPYちゃんに勝っても、私、全然嬉しくない。
…それってつまり、大好きな2人には、まだまだ自分の上に居て欲しいと思ってるってことで、
2人が負っている程の責任は負いたくないと思っていることでもあり、
更には、(これがいちばん痛い、かなしいことだが)私は自分を信じ切れていない、自分の上に他人を置いて平気でいる、ということに他ならない。

ところで、この代替者について、今回大きなチャレンジをされた方が数人いた。
「代替者は誰ですか?」と言われて「うっ…言いたくない」となった方々だ。
それぞれ好きな方を選ばれていて、私は、そこがとても羨ましかった。

私は、まだそこまで行けなかったから。

それに対してその数人のメンバーは、自分の中の闇を見て、認めて、抱きしめようとしているように、怖いのに必死でそこに手を伸ばしたように見えたから。

自分の軸を立たせるにも、すばらしい表現者となるにも、そこは絶対に避けて通れない場所で、私も覚悟を持ってこのアクティングスクールに参加している身であるから、自分では逃げようとは思っていないのに、思考が阻むのか何なのか、とにかく私の今の実力では、その境地へはまだ行かれなかったのだ。

ズキズキした痛みを感じながら、だけどこれでは代替者として成立しなさすぎるので、諦めて、身近な人を探す。

まずは父。
私の父は、自己中で、自分の思い通りにならないと怒鳴り散らす。それでも言うことをきかないと暴力。
私は、基本は平和主義な人間だけど、そういうタイプの人(暴力・権力を振りかざして、立場の弱い人間を踏みにじることを厭わない人)に対してはスイッチが入ってしまう(権力振りかざして暴力で脅せば言うこときくと思ってあんまりいい気になってんじゃねぇぞクズ野郎、矢でも鉄砲でも持って来やがれ!という気持ちになる)ので、殴られようが蹴られようが、基本一歩も譲らない。
お互いに譲らないので、父と娘の仁義なき闘いは終わりを見せず、昔から今に至るまでずっとケンカしてきたし、父のそういう態度には、ずっと怒りと憤りを感じてきた。

だけど、それでも、どうしてもパワーが出ない。
今までしてくれたことや彼なりに私を大事に思っていることを知っているので、正直なかなか勝ちたい、という気持ちにはなれない。

次に考えたのは、自分の身近にいる人で、しーちゃんと対等にお仕事をしていたり、しーちゃんと仲良く遊んでいるみなさま。
わぁ〜、いいなぁ(⁠๑⁠♡⁠⌓⁠♡⁠๑⁠)と羨ましく思ったことがあったから。

例えば武藤さんと川島さんはどうだろう??
…いや無理!私はお2人が大好きで心から尊敬しており、その魅力も才能も知っている。
その上彼女たちは、しーちゃんに直感が降りたら、その波を逃さないよう仕事をするため、スピードと順能力と体力が求められることも知っている。正直、人格的にも能力的にもしーちゃんがお2人を選ぶ理由に大共感なのである。どんなに優秀な方がいたとて、誰かが彼女たちのポジションに代わったら、それは私にはなかなか耐え難い話だし、万一私が彼女たちのポジションに立つという意味で勝つことがあったとしたら、私が泣いちゃう。もう西遊記も見られなくなるし。
個人的な感傷を超えて客観的に見ても、しーちゃんが今のような素晴らしい仕事をする際に、今の私ではその立場に相応しくない。(これも痛かった。私は私を全然評価していない。誰に評価されないより辛いことだ。)

じゃあゆかりはどう??旺季会有名人かつファンクラブでもお世話になったゆかりは、しーちゃんとずっと遊んでいて、しーちゃん主催のイベントやワークショップには多数参加していて、しーちゃんの神コンサルを受けている。
う〜ん、旺季会の会費158万とかかけて、1000万円以上回すことができる実力があって、しかも度々、フォロワー1万人のアカウント上で公にネタにされて…いや、今の私にはとてもとてもその条件は厳しすぎて無理。
結論、私はゆかりは羨ましくない。う〜ん…。

そんなこんなで、凄く頭がうるさくなる中、
結局、いちばん書けたのは、仕事の同僚。
とても苦手に感じる人が居て、使わせてもらった。
どういう人かというと、まだ20代後半の絶賛成長中の女性なのだけど、被害者というものが大好きな人。自分のことも他人のことも、やたら被害者にしたがる。
真面目で、責任感が強く、自分の仕事以上のことをキッチリやられる方なのだけど、その上で、私はこんなに頑張ってるのにあそこがここがあの人がこの人が納得いかないと他者への文句を言い続ける。
その上、あの人可哀想、私が何かできることはないかしらと勝手に相手を低く見積もり、頼んでないのにズケズケと他人の領域に入り込んで、その人のことを調べ上げて、無駄に拡散する。

ひたすら陰口を言う人で、他人の悪口を止められない癖に、言うだけ言って周りに口止めすることを忘れない。
物凄く強い人で、基本失礼なことばかり言ったりやったりするのに、「自分は繊細で、HSPと診断受けたから、みなさんとは違うんです(私が言ったことがバレたら生きていられない、だからお願いです、誰にも言わないでくださいね、と言い続ける)」と弱ぶる。

しかし、そういう彼女のやり方は功を奏し、会社や昭和生まれの方からの評価がとても高く、彼女にばかり良い仕事が行き、勿論その分の彼女のお給料はプラス、そんな彼女の好待遇の陰で、他の同僚が無駄に冷遇され続けている、というタイプ。

本人には悪気がなく、必死で生きているだけであるし、彼女なりに頑張っているからと思って見守ってきたが、
悪口ばかり聞かせてくるけど、それに対するこちらの言うことは聞かないし、それはやめて欲しいと言ったことはスルーだし、気付けば一方的に利用されて終わりという関係となってきたこと、加えてあまりにも彼女のエネルギーが重いので、関わると息苦しくなるため、少し距離を置かせてもらうことにした。

また、本人だけでなく、そういう人を高く評価する会社自体にもほとほとイヤになってしまった。

だから正直、もう沢山!関わりたくない!!というだけで、勝ちたいというのとはちょっと違うんだよな、と思いながら臨んだのだけど、やっぱりどこかスッキリしない。

「あなたに勝つ必要がある」というよりは、「あなたなんかと同じ土俵で闘いたくない」が本音なのだから当然だ。勝ちたいとか悔しいとかいう感情もあまり湧かない。

そんな私に対し、パートナーのYちゃんが色々仕掛けてくれたお陰で何とか感情を動かすことができ乗り切ったが、不完全燃焼も良いところだった。
チーン、という効果音がした。

数日経った今、勝ち負け、ということについて、思うことがある。

私はスポーツを観るのは大好きだが、スポーツ以外の場所で、人として勝つか負けるかという発想が基本的に嫌いだ。何かがズレているような、強烈な違和感を感じるから。
自分以外の誰かに勝てと言われると、強い反発が湧いてくる。

例えば、平成の世にはびこっていた、いわゆる競争原理(=競わせることで、全体の成績や目標達成率を上げるという考え方)なんて反吐が出そうに嫌いで、愚の骨頂だと思ってきたから、そこに乗るのがイヤで、誰かに利用されるのが許せず、勝者が称賛されるコミュニティの中で勝ち続けてそれを利用される強者になるくらいなら、何もできない弱者でいいわ、ざまぁみろと思ってきた。誰に対して?相手に勝てと煽ってきて、その競争原理を利用し、漁夫の利をがっちり手にする輩に対してだ。お前みたいなヤツに利用されるわけねえだろ、ざまぁみろ。(だから、お勉強でも何でも、成績優秀者が優遇されることが分かっているのに、ずっとできない人の位置に居た)。

そういえば、東京オリンピック2020のスケボー女子で、最年少13歳の西矢椛ちゃんが金メダル獲った際、彼女はハイリスクハイリターンの技にチャレンジして失敗した金メダル候補の選手たちを抑えて優勝しそうたが、その内の1人は同じ日本代表選手で、彼女が高難度な技を決め切れずに涙にくれた時も、椛ちゃんが金メダルを取った時も、パフォーマンスが終わると、日本代表選手はいつも皆一斉に駆け寄ってきてハグをし、ミスをした選手を慰め、頂点に立った選手を讃え喜んでいた。
インタビューで、「明日からまたみんなライバルですね」みたいなことを言うインタビュアーに対し、「私たち、ライバルとかそういうの全然ないんです(にっこり)。仲間っていう感じで。」
というような言葉が、私にはとても清々しく気持ちよかった。
そうだそうだ!これからの時代はそうなんだよね、と勝手に思ったものだ。

で。
この違和感が何なのか、一週間考えたけど、やっぱりどうにもスッキリしない。
もう明日は第4回目となるので、諦めてここで一度投稿させてもらう。

少しずつでも、進めたらいいな。

大好きで、大感謝かつ大尊敬している講師のお2人の写真貼って元気出そう…


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