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ベルリンという街

何年もベルリンという街に憧れている。

勿論それは私が大好きな音楽の聖地であるからというのが大きいけれど、あの地を踏むたびに憧憬の念が強くなる。そんな街には出会ったことがないし、これからも出会うことはないのかもしれない。

このnoteは、ベルリンに住む前の私がベルリンという街に対して思うことをつらつらと書く備忘録です。お住まいの方からしたら「そんなんじゃないよ」となるかもしれませんが、ハハハと笑って見逃してください。


ベルリンの良いところ
□ 比較的のびのびしている

日本に住んでいて、良いところも悪いところも沢山あるけれど、個人的に一番辛いのは皆が生き急いでいることだったりする。生き急がなければならない事情、社会システムや同調圧力、それに呑まれる自分自身。これまで日本という国が成り立つために必要とされてきた事ではあるけれど、心が削がれる瞬間がある。

皆生き延びるために都市部で暮らし、人口が集中していて、平日の大阪でさえ酷い人混み。東京なんてもってのほかで。かと言って、人と人との距離が近いかと言えばそんな事はなく、毎日のように誰かが淋しく身を投げていく。

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ロンドンには何度か行くことがあって、日本ほどでは無いけれど、少しそういう雰囲気を感じた。単純にそれは人が多かった事が大きな要因ではあると思うけれど、精神的にも忙しい場所だと感じた。

写真:いつかのロンドン
でも住んでみるかと言われたら、住みますと答えるけどね(街並み、美しいよね)

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その点ベルリンは、ほどよい空間的・精神的ゆとりを感じた。勿論それは私がいた場所がビジネス街から少し離れた街だったからかもしれないし、住んだ事もないからだけれど、日本と比べると時間がゆっくりと流れていたように感じる。

そのような空間ができあがる理由は、詳しくは分からないけれど、一つに「余暇」に重きを置く文化があるからだと思う。余暇とは、経済的利益を考慮せず行われる個人の自由な活動/時間だと理解しているけれど、ご存知の通り、その余暇こそ、人間の精神に豊かさと創造性、そして何よりゆとりをもたらしていると思う。

そしてベルリンは、その「余暇」を過ごすにピッタリの環境が整えられていると感じる。例えば、ベルリンには街中に美術館、ギャラリーがあり、ご存知の通り、アートの街である。ベルリン市としても古典・新興アート全てをひっくるめて文化的財産として支援している。

芸術や文化的活動は、今の日本において蔑ろにされている現状を見ても、資本主義社会の中で無益で不要なものとして扱われやすい(単純に多くの場合に於いて経済的利益に直結する活動ではないし)。しかしそのような一見無益な活動に対して価値を見出し、それらを正として支援していくシステムがあるからこそ、人々に充実した余暇をもたらし、(比較的)精神にゆとりのある空間を作り出しているのだと思う。

あと多分、労働時間が日本より遥かに短い。それに、物理的空間として、適当にダベれる広い公園と、緑と、川と、クラブがあるのは強い。


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□ 同調圧力が弱い

日本に住んでいると、他人から自分の見た目や行動、経歴についてとやかく言われる事が多い。

電車の広告は、毛を剃れだの、エステに行けだの、英語を学べだの、端的に言って煩わしい。

個人的に特に言われるのは「毎日黒着てるよね」の一言。欧州、特にベルリンでは真っ黒の服を着ていても人目を感じる事はないけれど、日本にいるとよく注目される。そんなに人の見た目に興味があるのか?と思うけれど、多分そうなのだと思う。

出る釘は打たれるというけれど(私なんて寧ろ引っ込んでる方だと思うけど)、何から何まで人に合わせなければいけない空気を感じる。ずっと抗ってきたけれど、疲れてしまうことも多い。

何となくだけど、ベルリンでは人と違う事をしていても、認められる感じがする。街を歩いていても一人一様、色んな事やってるんだなと感じ取るけれど、誰も気にも留めていない。これは欧州全体に言える事なのかもしれないけれど、皆ほどよく他人に興味がなくて、居心地が良い。個人主義的ではあるけれど、日本のような全体主義的な環境からみると、とても新鮮だった。

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まとまりのない話になってしまったけれど、ここまで読んでくださりありがとうございました🍂

追記:
ベルリンという街が抱えるネガティブな側面を見聞きしてもなお、まだベルリンに憧れてしまうのは、一種の執着なのかもしれないね...

でも、いつか住めますように!