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2021年夏

やっほー!みんな元気してる?私は季節の変わり目とストレスで胃腸がぶっ壊れてます笑

今日はちょっとずーっと出そうか迷ってたことについてお話ししようかと思うね(今この段階でまだ公開するか迷ってるけど)

何についてかというと、去年の夏のこと。いきなりこんなツイートをしてみんなをビビらせちゃったやつです

自分の体のことについてこういう場所で話すのは正直違うのかな…と今文字を打っている段階でもまだ思ってますが、世の中には名前しか知らない病気みたいなのがあって、苦しんでる人意外とおるのを知ってほしいし、同じような症状で悩んでいる人の力になれたらなと思っています。


ことの発端は7年前、ハタチなるかならんかぐらいの冬。
気温の数字的には連日0℃超えるかどうか、かなり寒い冬だったのに私はヒートテックもダウンもマフラーも手袋もつけず登校し、トレーナーとジーンズで大学の講義を汗だくで受けてた。

気づいたら大学の「ミールカード(1日1200円まで食堂で食べられるカード)」を毎日満額使って3食、+朝と昼の間に1食、家に帰ってから1食の1日合計5食食べてるのに身体はどんどんやせ細って2か月で7kgやせたBMIは18ぐらい。食べても食べても太らない。

もともとどちらかというと痩せ体質なのでこの辺りまでは「そういう時期なのかなあ」とよくわからない言い聞かせをしていた。

当時入っていたバスケサークル、朝6:30からゲームが始まるゴリラみたいなサークルだったんだけど、毎日行ってるのに体力はつかず逆に急に体力が落ち、いけなくなっていた。

そんな冬が明けそうな2月末。久しぶりに会った母の一言目。
「顔やった?」

「やった」というのは「整形をやった」の意味である。私は顔にメスを入れるのが怖いのでやってないんだが一言目でそれは失礼すぎるだろう。
とりあえず理由を聞いたら「目が大きすぎる」と。
私もともと目は小さくなかったし、最近撮った写真全部ふざけてるから目が全開だったんよね、でも確かに黒目のまわり全方向に白目があった。いわゆるびっくり目みたいなやつ。結構ショックだった。

参考程度に目もとの写真を。もともと私はホリが深いほうで奥目、で目もとに影が出来ていて二重幅せま目だったんやが、すっかり出目の二重幅広めになった。

病気になる前 奥目ですなぁ



最近。病気の手術してしばらくしてマシになった。
病気最初の方は目がもっとバッキバキで黒眼の上下に常に白目がある感じ。当時はびっくり目で出目過ぎて横顔とっても向こうの目が見える感じ。


そこから少しして帰省。久しぶりに会った家族に怒涛の指摘をされる。
「首だけ太った?」
「あんた髪の毛抜けすぎやない?」
「なんで毎日走ってるのに体力戻らんの?

他にもいろいろ。
大学の友達は毎日会ってるからアハ体験みたいに変化変わりづらかったんかな、あと気を使ってくれてたのかな、その分家族は容赦ない。体の変化よりも言われまくったことがつらくて一時期家族と距離をとった。



しばらくたってある日。母がまた来た。
言われた体の変化は戻らない。いつしか体重は最初から12kgぐらい減ってた。
3月末だというのに娘は首を腫らし目はギョロっとしていてご飯は1日6食。(増えとる)テレビを見ながらランニングショーパンで横になり息を切らしながら汗を拭いている。
母は全身ヒートテックにフリース、暖房をつけていいか聞いてくるほどだった。

基本的に私は現実から目をそらしたい楽観主義者なのでこの異変が続きすぎているのが本当に怖かったが向き合いたくなくて目をそらしていた。

ごろごろしていると母が一言

「あんたバセドウ病じゃない?」

心配性の母は私の変化を怖がって症状でググったらしい。半年前ぐらいに歌手の綾香さんが会見していたアレか…体力的なアレは確かに綾香さんと一緒だけどこんなに目出てないし、首も腫れてるように見えない。もしその病気だったとして何をどうしたら健康になれるの?

考えたら不安で不安で仕方なくて急に涙が止まらない。
とりあえず次の日病院に行くことに。

小さな病院で血液検査後、院長先生が病名を言う前に「今日このまますぐ大きい病院に行ってください」と。軒2軒目で先生から「バセドウ病」と診断された。安静時10mほど歩いて心拍数と血圧を測ると【心拍数157】【血圧126-189】だった。この数字は一生たぶん忘れないと思う。バセドウ病そのものが直接の原因で死ぬことはあまりないらしいがあまりに非現実的な数値である。
ちなみにあのままバスケとか運動を続けていたらもう少しで心筋梗塞になるぐらいだったらしい。心拍数が上がる→心臓に負担がかかってしまうなので本当に怖かった。当時浴びるように飲んでいた酒も心拍数が上がってとても危険なのですぐにやめてくださいと言われた。

バセドウ病ってのは甲状腺、代謝系の病気で、簡単に言うと代謝をつかさどる甲状腺ホルモンが出すぎて自分を攻撃してしまう。のどが腫れていたのは甲状腺の腫れで、私のは発見が遅れて通常の人の5倍ぐらいあるらしい。目が出るのも息切れも暑いのも食べすぎなのも有名な症状の一つらしい。とりあえずバカみたいな量の薬を処方された。薬が遠足で食べるラムネみたいに思えてくるぐらいにバカみたいな量だった。あーあこれが全部ヨーグレットだったらよかったのになあと本気で思った。

バセドウ病の治療には大きく3つの治療法がある。
①薬→「メルカゾール」という薬を摂取して活動を抑える
②放射線治療→錠剤タイプの放射性物質を摂取して活動を抑える
③手術→効かぬなら 全摘してまえ 甲状腺

私はとりあえず①から始めた。薬、体に合う合わないがあるんやが私にはあっていたようで数値は落ち着いてきて続けることに。
気になっていた症状も収まり、びっくり目も少しマシに。

ここからが本当の闘いだったんよね。
この病気って根本的な原因がわかってない。薬とかで数値はある程度抑えられるけど例えば原因はストレスとか言ってくれたらもう少し楽だったかもねと未だに思う。
これがどう影響するのかというと、何もしていない調子のよかった体がある日いきなり不調になったりする。

この性質のせいで私は薬の量を最後まで安定させることができなかった。
私の中では根本的な原因絶対ストレスなんよね。自覚ないのに急に体調悪くなる時もあったけど、ストレスがあるとほぼ100%ですぐ体調に影響してくる→せっかく減ってきてた薬を再度増量させることに。何度も薬が減っては増えるのが繰り返し。このくだりは何度あってもメンタル的につらい。

このやり取りを5年ほど続けた去年の3月ごろ、再度薬増量してしまった私に担当医が
「この治療法で5年やってきたけど薬での寛解が望めません。別の治療法を検討します」

2年前ぐらいからうすうす気づいてたけど面と向かって言われるとつらいね。残る治療法は②放射線治療③手術

もともと見つかったとき甲状腺が大きかったこともあり②放射線ではたぶん再発するので③手術で決定。再発しないために全部甲状腺とるとのこと。リスクもあったし首を切るのが怖すぎて病室で涙が止まらんかったなあ。

とりあえず手術するにも数値を抑えないとということで薬の量は過去最大に。1食食べるごとに8錠。薬局で薬剤師さんの説明を受けながら大号泣した。
この時甲状腺の腫れはMAXに。顔の下に顔がもう一つあるような感じだった。

手術3ヶ月前。分かりにくいけど首の下の方膨らんでるのわかりますかね


術後しばらくして。首元スッキリ



手術直前の首。大きく膨らんでますねぇ


会社にも説明した上司に手術のこと言ったら「まあ俺は私は健康だからわからないけど…笑」と前置きを入れられて手が出そうになった。やっぱり当事者にしか分からんよな。一昔前なら「お前も同じ病気になってしまえばいい」と思っていたと思うけどいつか自分の言動を顧みる時が来るといいよ、と思っている。でも思ってても言葉にするなよ。く●ばれ(おい)。反面教師じゃないけど人の気持ちを分かれる大人になりたいなと改めて思った。お世辞でも「手術頑張れよ」とか言えよ入院する病院すら聞いてこなかったので悔しくてさすがに最終日に自分から言ったわ。

てなわけで私はあのツイートをしたときバセドウ病の手術のため入院していたのでした。

コロナ禍で立ち合い禁止だったのでさみしくて4人部屋にしたわけなんだが
私が入院した初日、1人が同じ手術終わって病室に帰ってきた。
声がかすれていた。甲状腺は声帯と非常に近いため、手術中に声帯に傷がつきやすく、そうなると声が1年ほど枯れてしまう。つばを飲み込むのも辛そうだ。

だいじょうぶだいじょうぶ、と自分に言い聞かせるが毎晩横でかすれた声で受け答えし、寝ていてもタンが絡んで苦しそうなのを見ると本当に怖い。他にも同室にはいろいろな症状を抱えた方がいて「命の現場にいるのだな」とよくわからないけど分かったようなことを毎時間おもっていた。

手術日の前日は絶対しっかり寝たほうがいいのはわかっているけど、同室の他の3人のいびきが本当にえげつなくて(失礼)、あと緊張でYoutubeのヒーリングミュージックをイヤホンで流しながら寝た。

手術の日。私の執刀医の方はめちゃくちゃイケオジだったんやが涙目で手術室に入るとチーム全員が美男美女でびっくりした。手術台の枕に明らかに「ここに頭をはめてね」と、プラスチックの骨組みでくぼまされた部分があって、「ああ、これから首を切るんだ」と思って本当に怖かった。今まで味わったいろんなことを思い出しながら「これからはもうしんどくないんだね」と考えていたら手の甲から染みるぐらいキツイ全身麻酔の薬が。
眠りに落ちる前、これだけ考えたのはしっかり覚えてる、

「美男美女の前で眠りにあらがう姿を見せたくない」

睡魔と戦ってる時って、シチュエーション的には寝ちゃダメな時だから頑張って起きていようとするけど、それって傍から見たら超滑稽な顔面だよね、それを美男美女に見せたくないの一心で、スーッと眠りについた。



起きると集中治療室に。
集中治療室て命の危険があるときに入るイメージあったんやけど、今回は事前に説明を受けてました。全身麻酔はいろんなリスクがあるのと、首が動かせなくなっているため寝返りを打てないので床ずれ予防に看護師さんが定期的に体勢を変えてくれたり、ごはんのこととか色んなことを本当にしてくれました。

ベッドがたぶん10個ぐらい入る大きめの部屋に私とテレビと私につながってるやば目な装置。起きてまず思ったこと。「ここは死後の世界?」

あまりに殺風景だったけど自分が呼吸をしていること、首の感覚はないけどつながっていそうなこと、枕元にイケメン執刀医がいたことで生きてることを実感。いつもの白衣も素敵だったけど、えんじ色の手術着も素敵だったなあ。

まだぼんやりした意識の中でまさかの母登場。本当はダメなんだけどあまりに母が心配性を発揮しすぎたらしくイケメン執刀医の計らいで。

母には病気になってから何度か謝られた。遺伝性がないとは言えないものだからだ。でももう私の中では自我が芽生えたらそこからの病気とかは自分の運とかもうそういう物でなると思っているのでいつも謝らないでほしいと断っている。治療代も払うと言われているけどもうずっと自分で払っているし、病院も一人で行ってる。ここまで育ててくれた親に、娘の健康のことで後ろめたく思ってほしくなかったから。だから診察室で泣いたあの日も薬局で大号泣したあの日も母親には笑顔で「薬増えちゃった~」「手術するんだって~」と言ってる。

母は片方で手を握ってもう片方でスマホで写真を撮っていた。手術後は声帯のどうとかにかかわらず声が出にくいので何とか「ありがとう」だけ言った。そしたら母は2ショット撮ろう、とインカメにし始めた。母はメンタルめっちゃ若いのでこういうところに何度か助けられている。でもおもろすぎて満面の笑みで写真撮った。(と思ってたら自分がめっちゃ原始人で半目で草だった)

母が帰った後が地獄だった。麻酔から完全に覚めた後、目がさえた。いろいろなことに気づく。
首って内部の構造的にも重要だけど、物理的にもめっちゃ大事なんやなと思った、しばらくたっても寝返りはもちろんできないし、いつもならちょっと横を見れば見える角度にあったテレビが見れない、みじんも動かせない。私はそれだけでナースコールするのが恥ずかしくて、甲子園の放送をラジオのように聞いていた。

何時間かに1回くる看護師さんが2人がかりで寝る方向を変えてくれる時間が本当に怖かった、自分の下に敷かれている布と一緒に体勢を約180度変えてくれるんだけど、結構スピード感があって首がちぎれそう(な気持ち)になる。夜中も定期的にやってくださるので本当にありがたいけど心の底から「早く自分で寝返り打てるようになりたい」と思ったなあ。

1晩たって入院していた部屋に戻ることに。イケメン執刀医によると声帯は傷ついていないし成功しているとのこと。普通に声が出た。声出すのが怖いなんて思う日が来るとは思わなかった。毎日2回、イケメン執刀医が回診に来てくれる。まだ起き上がれない私にはそれだけで嬉しかった。モチベーションってこういうことなんだなと心の底から思った。でも首の内部が大けがをしているような状態なのでものを飲み込む時は鈍痛がしたしぎりぎりおかゆしか食べられない、でもおなか空いてる…というもどかしさで頭おかしくなりそうだった。

入院期間中はずーーーーーーっと会社からの仕事メールを無視してYoutubeとネトフリを見ていました。ここからがしんどい。ずーっと横になってるとよく分からんタイミングで定期的に寝ちゃうので夜中寝れない。

ただでさえ寝られないところにきて同室の3人(手術から帰還したら3人全員変わってた)がまたもやいびきの大合唱、動物園の中にいるみたいで目がバッキバキ。やけくそで夜な夜な韓ドラを見ていました。

看護師さんにいびきを言ってしまおうか迷っていたある朝、隣のいびきおばあちゃん(ひどい)が朝食時に来て「ふりかけあげる。若いのに一人でよくやるねえ」と言われて踏みとどまった。笑(笑うな)

看護師さんも個性豊かな人がたくさんいて、毎日2人1組で違う看護師さんが私についてくれるんだけど明らかに付き合う直前の男女ペアにドキドキしたり、怖そうなベテランさんと明らかにビビってる新人さんペアにそわそわしたり楽しかった。何もできない私は看護師さんにもたくさん助けられました。

コロナによるものなのかどうなのかはわからないけど、首からのドレインが抜けた1週間で退院させられて家での療養に励むよう言われた。まだ一人で起き上がれなかった私は還暦を超えている母親に補助してもらいながら寝た切り生活をしていた。老老介護じゃなくて老若介護?である。謎すぎる。ありがとう。

手術後は一時的にカルシウム不足でしびれていた手足も治り、すぐに振り向けなかったり一人で起き上がれないとかのそういう不調以外はなくなったある日。イケオジ執刀医からの指示で傷口のテープをはずした。見るのがとっても怖かった。

首と鎖骨の間に12cmほどのアーチ型傷口。薄まることはあっても一生なくならないこの傷も含めて自分になるんだなと改めておもった。初対面の人には「ネックレス引っかけた?(どんなシチュエーションだよ)」が9割。「そういう性癖?(どんな趣味だよ)」他が1割という感じである。

そして手術からもうすぐ1年。術後は恥ずかしくて「どうやって隠そう」と思っていた傷口もだいぶ薄まりあまり隠さなくなった。どう思われても大丈夫、(ちゃんと薬飲めば)健康なんだから。

今思うのは
・変化に気づいてくれる人の意見は大事にした方がいい
・疑わしきは診察せよ
・バセドウと闘っている人はたくさんいるよ

です。

自分とか周りでもし私と同じような悩みを抱えてる人がいたら、助言してあげてほしい。そして早く見つけたら薬だけで治る可能性が高いことを教えてあげてほしい。私は見つかったとき甲状腺が健康な人の約5倍、手術時には10倍近くまで大きくなっていたのでこれを学会での発表に使うそうです。(今となっては笑える)

ということで珍しくちょっと真面目回。ここまで見てくれた人ありがとう!



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