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苦しみは握っておくことができない。主体なくただ起こっている

苦しみは握っておくことができない。主体なくただ起こっている


苦しみは誰もが避けたいと感じるものです。多くの人は、苦しみをどうにかして解消しようとし、そのためにさまざまな手段を講じます。しかし、その苦しみは本当に「自分」が握りしめているものなのでしょうか?ノンデュアリティの視点から見ると、苦しみは特定の主体によって保持されているのではなく、単に「今ここ」で起こっている現象に過ぎないのかもしれません。

私たちはしばしば、「自分が苦しんでいる」と思い込んでしまいます。これは、苦しみを一種の所有物のように捉え、自分自身がその中心にいるという感覚を持っているからです。しかし、苦しみを冷静に観察してみると、それがどこから来て、どのように発生し、そしてどのように去っていくのかが見えてくるでしょう。実際には、その苦しみは特定の「自分」に属しているわけではなく、ただ「今ここ」で生まれて消えていくものなのです。

例えば、心の中に不安が湧き上がるとき、その不安を感じているのは誰なのでしょうか?その不安は、誰か特定の「自分」が握りしめているのでしょうか?あるいは、それはただの感覚であり、主体が存在せずに自然に起こっているのでしょうか?ノンデュアリティの視点に立つと、不安や苦しみは特定の主体なく、単に起こっているだけの現象であり、私たちはその現象を一時的に体験しているに過ぎないのです。

この視点に気づくことで、私たちは苦しみから解放されるかもしれません。なぜなら、苦しみが「自分のもの」ではなく、ただの現象であると理解することで、その苦しみを手放すことができるからです。手放すというよりも、実際には苦しみを「握りしめる主体」など存在しないことに気づくという方が正確かもしれません。

苦しみを通じて学ぶことができるのは、すべての感情や経験が、主体を持たずにただ起こっていることであり、その流れの中に私たちが自然に存在しているという事実です。苦しみを無理に取り除こうとするのではなく、ただそれが「今ここ」で起こっている現象の一部であると受け入れることで、私たちはもっと自由に生きることができるでしょう。

最終的には、苦しみもまた、握っておくことができないものであり、それに固執する必要もないという理解に至ることができます。私たちの役割は、その理解を深め、苦しみが消えていくのを静かに見守ることだけなのかもしれません。

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