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映画感想:ザリガニの鳴くところ

映画っていいなぁ。
先日、ネットフリックスにて配信中の『ザリガニの鳴くところ』を視聴して、久しぶりにそう思った。
豊かで美しい自然と寄り添い生きる人の危うさと強かさ、社会からの偏見と争う人の意志、もう好きな要素てんこ盛りで、語りたいことだらけ。
好きすぎて小説も買っちゃった。
まだ読んでる本があるからすぐ読めないのがむしゃくしゃする。
そのくらい大好き。
な・ん・だ・け・ど、好きな作品はあまりネタバレしたくない。
でも語りたいことだらけで、どうしたもんかとキーボードを打ちながら葛藤しているところだ。
半端に書くのは気持ち悪いけど、我慢できないので少しだけ書くことにする。
ネタバレにご注意を。
ぜひ映画見るか本を読んでからまた気が向いたらこの記事を見てくださいまし。

『ザリガニの鳴くところ』は、ノースカロライナ州の湿地で暮らすカイアという女性の物語だ。
カイアは街の人間からは「湿地の娘」と呼ばれ、差別されている。
ある日街の人気者のチェイスの遺体が湿地で見つかり、その殺人の容疑をかけられたカイア。
裁判を通し、湿地で暮らしてきたカイアの生活が浮き彫りになっていく。

とにかく主人公のカイアがめちゃくちゃ魅力的で好きだ。
街の人間にも馴染めず、家族にも見捨てられたカイア。
幼少期に家族に見捨てられた経験は彼女に大きな傷を残し、孤独は何度も彼女の心を蝕んで苦しめるが、その度にカイアは少しずつ立ち直っていく。
私のような凡人であれば、そんな孤独には耐えきれずなんとか社会になじむ方を選ぶだろう。
差別的な言葉を投げかけられればせいぜい「そんなに悪いやつじゃないな」と思われるよう攻撃されないように社会で生きるんじゃないかと思う。
しかしカイアは違うのだ。
世間知らずで傷つきやすいけれど、自分を偽るような弱い人間ではない。
湿地の自然や強かな生き物たちが癒しとなり、カイアは孤独の中で立ち上がる。
一般的でなくとも差別を受けようとも自分らしく、自分の生き方は自分で選ぶ強さも持っているのだ。
カイアの強さは踏み荒らされた自然が何度も自分の力で復活するような強かさで、こういう強さもあるんだなと感じさせるものだった。

カイアを翻弄する2人の男性もかな〜り魅力的だ。
1人は幼馴染のテイト、もう1人は街の人気者で権力者の息子であるチェイスだ。
テイトはカイアと羽を、チェイスは貝を与え合うのだけどそれらが2人の性格やカイアとの関わり方のメタファーになっている点も面白い。
正直この辺のことをめっちゃ語りたいんだけど、結末に触れずに語るのが無理なのでもうやめておく。
テイトとカイアのやり取りは可愛くて可愛くて。
ちょっとずつ距離を近づけて親しくなっていくウブな2人にニヤニヤが止まらない。
私もババアになったなと思う。
現時点で字幕で2回、吹き替えで1回見たのだけど、テイトとカイアはずっと好きなんだけど、回数を重ねるごとにチェイスがめっちゃ嫌い→嫌い→ちょっと同情するけど嫌い、と絶妙に感情が変化していった。
吹き替え声優の小林親弘さんの好感度が私の中で勝手に高いというのも影響していると思う。
繰り広げられる人間模様は残酷ながら自然の美しさで溢れている。
カイアのように自然の中で孤独に生きるほどの強さは持っていないけれど、やっぱり自分は田舎のような自然の多い環境で暮らす方が良いなと改めて思ったりもした。

また本を読んだら違うことを考えるだろうか。
特にチェイスに対してどういう感情を持つだろう。
吹き替えになるだけで少し印象が変わるのだから、原作でも変わるんじゃないだろうか。
また、「ザリガニの鳴くところ」が一体どこなのか、色々考えたけど正直映画を見ただけではあまりまとまらなかった。
小説を読んだら何かわかるかもしれない。
ハッキリした答えがなくても、考える材料は増えるかもしれないと思って期待している。
楽しみである。