万葉の自己評価が低いのはある種当然。万葉視点での彼は誰の願いも叶えられていないから
※原神のありとあらゆるネタバレの危険性あり。
匂わせ程度ですがシムランカにまつわる一文もあるので、気にする方はそちらでどうにかしてね。
先日原神公式ラジオテイワット放送局94回に楓原万葉役の島崎信長氏がゲストに来た際「万葉は自己評価が低い」という話になった。
自分はあまり万葉をその視点から考えたことが無かった。
しかし自分のキャラクターに凄まじく入れこみ演じきるノッブがそう言っているんだからそうなんだろう、と万葉のことを考えてみた。
すると、確かに彼は自己評価が低いかもなぁ、とそのまま納得できてしまったのだ。
理由はタイトルの通りである。
『万葉の自己評価が低いのはある種当然。万葉視点での彼は誰の願いも叶えられていないから』だ。
しかし彼がそういった悩みを旅人にしたことがあるわけではなく、そういうネガティブだったり自信の無い性格という設定ではない。
だが一見控え目で前に出る性格ではない、というだけでもない。
それと「自己評価が低い」で「自己肯定感が低い」ではない。
彼は家族を愛し愛された記憶と自覚があり、自分が身に着けた知識やスキルを正確に把握しており使いこなしている。
また輪を重んじ、義理に厚く、周囲の人間を大切にしている。
どれも自分という軸を認められていないと上手くいかないことだろう。
彼は今は亡き家族や親友に、そして今は北斗や船員や旅人を始めとする友人に大切にしてもらっていると自覚している。
ただその上で、かつては自分を無能で何も成し遂げられなかった奴という評価を下していた可能性があるだけである。
以下に彼の人生を箇条書きしてみる。すると単純に「自分は何も成し遂げられなかった」が連続していることがわかっていただけるだろう。
楓原家編
・世が世なら名門士族楓原家に生まれるが、すでに家は傾いていた
・没落の原因は約百年前に起きた事件と陰謀
・幼き日、家に縛られず好きに生きると父と約束する
・万葉を自由にするため、父は家業を捨てる悪名を背負う
・楓原家当主となるがにっちもさっちもいかなくなる。使用人を解雇し家財を売り払い借金の返済にあてた
流浪生活編
・流浪の生活を始める。神の目を授かる
・『親友』ができる。彼とは違う道を行くため別れる
・突如目狩り令が発令、国内の混乱に拍車がかかる
・『親友』は将軍に直談判するため御前試合を申し込むが敗北、処刑される
・『親友』の神の目だけ奪い逃亡、お尋ね者となる
指名手配犯編
・しばらく抵抗軍として活動
・国外逃亡
・楓原家の数少ない財産と曾祖父の盆栽は天領奉行に差し押さえられた
・南十字船隊の一員となる
・旅人と出会う
・魔神任務稲妻編へ
ここまでですでにかなり悲惨だが、万葉視点で振り返る。
この万葉視点は万葉のキャラクターストーリー、2022のVer2.6華やぐ紫苑の庭の『光華容彩祭』、2022のVer2.8”金リンゴイベント”サマータイムオデッセイの『ありし日の春庭』、伝説任務、魔神任務、ストーリームービー「雷霆を追う孤独の旅」などを参考にしている。
楓原家編
・世が世なら名門士族楓原家に生まれるが、すでに家は傾いていた
・没落の原因は約百年前に起きた事件と陰謀
・幼き日、家に縛られず好きに生きると父と約束する
→成長するにつれ約束に背いてでも父の助けになりたいと願うようになる
・万葉を自由にするため、父は家業を捨てる悪名を背負う
→悪名は自分が背負うべきと考え、自分が家を継いでから片付けようと提案するも、その前に父が亡くなる。
・楓原家当主となるがにっちもさっちもいかなくなる。使用人を解雇し家財を売り払い借金の返済にあてた
→正直安心していた。重荷を降ろせたと感じた
サマータイムオデッセイで出た彼の心境を一部抜粋。
「本当に全てを諦めるのか?確かに今は大変な時ではあるが、父上には拙者がいるであろう。拙者は何の役にも立たぬのか?
確かに父上ならば、拙者の歳にはすでにお祖父さまのお力になっておられただろう。拙者が無能なあまり、父上を失望させたのでござるのか、それとも」
「…父上…やめてくれ。当主としての能力がないなどという悪名を、父上が背負うべきではござらぬ。それに、もしその日が本当に来たら、拙者も矢面に立つ。しばし待たれよ。楓原家はいずれ拙者が継ぐのでござろう。その時になれば拙者が片づければよい」
結局父は自分で片を付けたし、万葉が矢面に立つことなく、父は亡くなる。
父の願い「万葉を自由に」「家のしがらみはここで終わらせる」は全て父自身が叶えてみせたのだ。
「もし拙者がもっと優れた武芸を有していれば、きっと父上の力になれたであろうに…はぁ…。ならぬな、家のことで頭がいっぱいで、またうっかりやってしまった」
かつての万葉は『影』のようであった 多くの迷いを抱え、重い運命に悩んでいた。
ここで影の言葉を使っていたと思うんだけど、つまり影ちゃんと重ねていて彼女の説明でもあったのだろう。
そして彼は「今の拙者が成長したということ。未熟な己を見られたのはちょっと恥ずかしい」と言いながら以下のようなポジティブな文言もこの時には話してくれた。
「稲妻を離れてから、拙者は長く各地を流浪していた。しかしそれは悪いことばかりではござらん。そのおかげで成長できたのだ。
昔の自分に会えれば良かったのであるが。今の拙者を見れば、あの頃の拙者にもきっとわかった。
人生の道のりは長い、それゆえ、拙者は旅にでるのだ」
流浪生活編
・流浪の生活を始める。神の目を授かる
・『親友』ができる。彼とは違う道を行くため別れる
・突如目狩り令が発令、国内の混乱に拍車がかかる
→万葉もその他多くの神の目持ちと同じように隠れ潜むようになる。とくに行動は起こさなかった
・『親友』は将軍に直談判するため御前試合を申し込むが敗北、処刑される
→偶然耳にして駆け付けたが、間に合わなかった
・『親友』の神の目だけ奪い逃亡、お尋ね者となる
→「最後の瞬間、彼がどのような顔をしていたのか創造する間も無かった。拙者は光を失いゆく神の目を奪いその場から逃げた。拙者に理解できたのは、彼の熱き願いを氷のように冷たき神像へとはめ込むべきではないということのみ」
サマータイムオデッセイより抜粋。
「「神の目」は「神の視線」から来ているそうだ」
親友「あぁ、俺も持っている。だが、神の眼差しを向けられるのは、必ずしもいいことばかりじゃないよな?」
「かもしれぬ」
「わけなど聞かずとも、目狩り令に抗う者たちの気持ちは分かる。願いは、我々の心に隠された最も純粋な力。失ってはならぬ。」
「やむを得ない時が来れば、ここを発つでござる。」
万葉は、御前試合前は背負う物がすでに無い自由な者としてどこにでも逃げられたはずだった。
「かつて自分に問うた。前途多難な流浪の旅になると承知で――それでも行くべきか?何処へ、そして如何にして?」
しかし彼は親友の神の目を奪い指名手配されたことから、以前とは比べ物にならないくらいの困難な道を歩むこととなった。
「祖父は生前璃月を観光し、父は本でモンドの景色を読んだ。拙者は…どこへ行くべきであろう?
…空が翳った。降りそうでござるな。この雨が止む時は来るのであろうか。」
指名手配犯編
・しばらく抵抗軍として活動
→ゴローや心海は評価しているが、何か大きな作戦を成功させたわけではない模様
・国外逃亡
→綾人の手引き。もしばれたら綾人も処罰を免れない危険な行動だった
・楓原家の数少ない財産と曾祖父の盆景は天領奉行に差し押さえられた
→自分も家宝の器で盆景を作ってみたいという心残りはあったが、手放したために叶わず
・南十字船隊の一員となる
→北斗のおかげ。自分から売り込んだりしたわけではない
・旅人と出会う
→旅人が南十字船隊を訪ねてきたから。自分から旅人に接触はしなかった
・魔神任務稲妻編へ
やるせないな。
旅人やプレイヤー個人としてはそんなことないよ、と口を挟みたくなるが、ノッブがそういう感想を持ちながら演技していたということは、万葉は「自分が役立たずだったせいで」「何もできなかった」認識でいたのかもしれない。
無論、これは過去のことである。北斗と出会う頃には自分の中で折り合いをつけていて、旅人との出会いはすでに彼は「浄」と「空」の考え方を見に付けていた。
「拙者にとって、過去などもう過ぎたこと。天地万物にはそれぞれの法則がある。人は…過去の道を歩むことはできないのでござる。」
「考えは、相応の結果に結びつく。とにかく拙者は気にしておらぬから、心配せずともよい。」
サマータイムオデッセイではそう言えるほど達観の域に入っている。
とくに考えは相応の結果に結びつく、というのは、原神で繰り返し語られてきた運命論と関係しており、同じ夏イベであるシムランカでも関係のある言葉となった。
アルハイゼンも似たようなこと言ってるし。他人の短冊で。
彼はたった一人でその考えに辿り着くほどひたすらに考えてきたのだろう。
早逝した母、子供の頃に共に過ごしてくれた祖父、自分のことばかり考えてくれていた父……自分は彼らに何ができた?何故できなかった?
自分に失望し続けて疲れていた時もあったのではなかろうか。
それが他人には穏やかな人格者に見えたのかもしれない。
自由で悩みなんてないくらいに。
え、キツ笑。思わずギャルになる。
実際彼をニート侍のようにいじる人も多い(彼のネタ元疑惑のある緋村剣心のネットミームからの流れなのだが)。
働きたくないでござるどころか「拙者が血反吐を吐いて働いたところで誰かを助けたり何かを変えられたり何かを成し遂げることはないでござる」が正しいかもねHAHAHA。
……落ち込んできた。
なんなら剣心もそういう心持ちなところあるからね。
旅人と言う友を手に入れたこと、今度こそ当事者として最後まで戦い抜いたこと、親友と二人で夢想の一太刀を止めたこと、愛した稲妻が前に進みだしたこと、様々な人の想いを背負いながらもそれに飲まれず自分の人生を選んだこと……。
今では本当に穏やかで控え目な少年として、自分で選んだ自由な道を歩いている途中なのだ。
これからの万葉に幸あらんことを。
最後にサマータイムオデッセイの締めの言葉を引用させていただこう。
「おぬしらは過去の拙者を見て、友に別れを告げてくれた。そうして拙者にまつわる全てを見届けてくれたことで。ようやくそれは真実、歴史となったのだ」
シムランカじゃん。
「人生で最も大切なのは、他者との絆。決して自分を責めることではござらん。過去に囚われる人には、未来はないのでござる。」
「拙者はここまで歩んできたから、この先も歩んでいける。皆にも、そう信じてもらいたいのだ。これからもよろしく頼む。」
『人生は続く。至るところに故郷はあるのだ』
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