職を転々とする人
職場をころころ変える人に世間の人はどんなイメージをもっているのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎるのは、
私が転職を繰り返しているからだ。
世の中の人は他人が職を変えようが
特別あまり気にしていないかもしれない。
(面接官は気になるかもしれないけれど。)
でも、職場をころころ変えていて、なおかつ、それがポジティブな理由とは言えない当の本人からすると、転職する度にコンプレックスがどんどん蓄積されていくような感覚がある。
だったら、転職しなければいいんじゃない?
と自分に問うが、
それはそれで、
そんな簡単な問題だったら苦労しないし、
転職しねぇよ……という話で。
自分なりに悩んで悩んで悩みまくって決めたのだ。
だったら、後悔すんなよ。
……それはそう。
でも、そんな簡単に割り切れるもんじゃない。
転職を決めた切なさというか悔しさも少なからず、ある。
ここまで転職回数を重ねてくると、
自分は社会不適合者なのでは?と思う。
転職 イコール 社会不適合者、
というわけではまったくないと思うのだが、
私の場合は転職理由が、問題。
職場の人間関係が蓄積されていくことで、それに対して疲れてきてしまい、嫌気がさしてしまう。
仕事自体は楽しいと思ったことはないが、
嫌いじゃない。
好きでもないけど、べつに大したことじゃない。
でも、職場の人間関係はいつまで経っても難しい。
大きなトラブルがあるわけではない。
でも、なにかしっくり来ないというか、
人間関係の築き方が分からないから、上手く築けている気がしない。
そして、行き詰まる日が来てしまう。
誰が悪いわけでもない。
多分、私が悪い。
割り切れなかったり、乗り越えられない私が。
社会不適合者なんてね、
いや、もう分かっているんだけどね、そんなこと、自分が一番よく分かっているのよ。
でも、それでも、働いて、生きていかなきゃならないわけで。
働かずに済むなら、働きたくない。
仕事が楽しいと心の底から思ったことなんて、ない。
というか、人間関係が苦しくて働きたくない。
でも、働かなければ生きていけない。
かじるスネも、私には皆無。
正直言うと、ちょっとくらい欲しかったけど。
ないものは仕方がない。
来月、私は新しい職場へ、また飛び込む。
飛び込むって聞こえがいいように書いてみたけど、
一箇所に留まれるなら留まれる人生でありたかった。
そんな切実な、でも多分叶わない願いを抱えながら、
今の職場で残り少ない出勤日数カウントダウン。
せめて最後に、少しでも今の職場の人に喜んでもらいたくて、
最近地元で人気のお菓子屋さんで、焼き菓子を買ってきた今日。
……なぜだか美味しそうなお菓子たちを見て、
やはり切ないのだ。
次の仕事は、決まっていて、
転職活動をはじめてすぐに採用が決まったのだが、
そんなさらっと面接に受かってしまう自分が
これまた大嫌いだ。
社会不適合な理由で職場を離れているにも関わらず、
ネガティブなことをポジティブに変換して表現したり、自分の今までやってきたことを説明することは変に上手かったり、
単純に転職回数が多いと面接に慣れてしまっているのか、面接官と和気あいあいとしてしまったりする。
今回の面接、特に上っ面だけ上手くやれてしまっているような自分にほとほと嫌気が差した。
でも、受かったものは受かったし、
やってみたかった仕事ということに変わりはないので、精一杯頑張らせていただくけれども、
面接に受かったあともなぜか切なかった。
私は八方美人で上っ面だけそれなりにやれてるだけで、
本当のキャリアや人間関係は死ぬまで構築できないのではないか。
そんな絶望感があるからかもしれない。
明確な志しを持って転職していたら、
こんな気持ちにならないんだろうなということは容易に想像がつく。
私の転職にはいつも
職場を辞めるすっきり感と悔しさと切なさが混在していて、どんなに足掻いてもなかなかそのループから抜け出すことができない。
転々とする人は
いつまでも転々とする人のままなのだろうか。
どうかそうじゃないことを、願って。
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