ナイナイのオールナイトで青春を過ごした37歳の筆者が岡村発言に感じた「精神的孤独死」
ナインティナインの岡村隆史の発言が炎上している。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200427/k10012408051000.html
>「いまおもしろくなかったとしても、コロナが終息したら絶対おもしろいことあるんです。短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。なぜかというと、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」
この発言に、「最悪」「下劣」「キモい」と非難轟々らしい。極めて当たり前の話だ。非難を浴びない理由がない。なので、それはそれで、しかるべきところで非難を浴びていてもらえればと思う。
僕がこのニュースを見て感じたのは、それとは別の、ある「悲しみ」だ。
大してナインティナインの大ファンというわけでもない、思春期をナイナイのオールナイトニッポンで過ごしたというだけの僕が語るのはとてもおこがましいことかもしれないが、少し語ろうと思う。
【1】「ダウンタウンのチンカス」
小学生の頃、僕はバリバリの「ダウンタウンっ子」だった。
ごっつええ感じと元気が出るテレビの日曜8時戦争は、もちろん100パーセント「ごっつ」だった。
毎週月曜日の朝、片道30分くらいの、上り下りの坂だらけの田舎の通学路を友だちと歩きながら、昨日の「兄貴」や「板尾係長」を語り合うのが
小学生の僕の楽しみだった。
今のように筋肉の鎧に自我を隠してしまう前、ヒョロヒョロの身体の松本人志は白いTシャツにジーパンで、ヘアターバンを巻いて不機嫌そうな顔で、お笑いのことばかりを四六時中考える、職人であり哲学者だった。憧れた。
1994年に発売された「遺書」は、そんなお笑い職人の考え方が凝縮された、ファン必携の聖書だった。芸人論、男論、果ては毛じらみまで、憧れのお笑い職人の人生観が全て詰まっていた。お腹いっぱいになって、僕はあとがきを読み進めた。すると、こう書かれていたのだ。
「ナインティナインなんて、ダウンタウンのチ●カスみたいなもの」
これが、ナインティナインとの出会いだった。
たぶん、その前から僕はテレビでナインティナインを見たことはあったんだろうと思う。「遺書」が刊行された1994年は、まさにナイナイ一の長寿番組となる「ぐるぐるナインティナイン」が始まった頃。「ジャングルTV~タモリの法則~」なんかにも出ていた。知っていたはずだ。
ただ、はっきりと存在を対象化したのは、この文章がきっかけだ。
やたらイキった、動きで笑いを取ろうとする猿顔の岡村と、突っ込んでるんだか突っ込んでないんだかわからない(というか、単純に下手くそだった)矢部に、前述の「チンカス」記述もあって、僕は強烈な嫌悪感を抱いた。
「なんだ!こいつら。レベルの低いお笑いしやがって」
※「笑いのレベル」。当時のダウンタウンっ子なら分かってくれるのではないだろうかと思う。「教祖」の笑いへのこだわりが、いち観客を洗脳してしまっていたのだ。もちろん、そういうお前の笑いのレベルは…という話だ。
【2】ダサいAMラジオに現れた「モテナイ男のカリスマ」
中学は、中高一貫の男子校に入った。
運動部に入ろうとして挫折した僕は、学校から帰った後、寝るまでの長い時間を持て余すことになる。
「行け!稲中卓球部」というマンガを、若い人たちも一度は聞いたことがあるだろう(と思う。オッサンだから若い人のことはわからない)
そのマンガに、こんなシーンがある。
「昨日何してた?」と聞かれ、恥ずかしそうに「ラジオ聞いてた…」と答える田中(たぶん)。「J-WAVEだよな?J-WAVEだよな?」と問い詰める前野(たぶん)。「AM…」と、顔を真赤にしながら答える田中。
まぁ、そうだった。
まず、テレビと比べてラジオはダサい。
100歩譲って、FMだ。軽やかな音楽に乗せてDJがイケてる洋楽を流す、FMだ。
BGMもなく、人が訥々と喋り続けるAMなんて聞いて、だっせー!
それが当時の多数の中高生の価値観だったと思う。
この描写で分かるように、関東の中学生の間ではJ-WAVEがラジオ内で最高峰に位置していたんだと思うが、僕は名古屋に住んでいたのでZIP-FMだった。
ただ…AMだった。
その頃の僕は圧倒的にAMだったのだ。
まず、洋楽を聴けなかった。
愛知県の田舎町のCDレンタルショップで借りてくるBON JOVI、Mr.BIGあたりが精一杯で、それも当時まだ耳馴染みしなかった。
普段聞いている音楽は、B'zや安室奈美恵やチャゲアスだった。
(この並びが雑多に来るところが90年代だなぁと思う)
「新舞子海岸にジェイムズ(・ヘイブンス:当時ZIP FMで有名だったDJ)が来るイベントがあるから行こうぜ!」と友だちに誘われたその日、ぼくは新聞のラジオ番組表をくまなく見て「ジェイムズ」という名前のDJを探して見栄を張ろうとした。その一方で、休みの日や、平日の深夜に、中学生のぼくはAMラジオを夢中で聞いていた。
※または、カセットテープに撮っていた
そんな時に巡り合ったのが、「ナインティナインのオールナイトニッポン」だ。
【3】ラジオだから分かる、素の人間性とコンプレックス
その頃、「ごっつええ感じ」ではキャシィ塚本、Mr.BATERといった大ヒット作が終わり、黄金期を過ぎたジャンプのようになっていった記憶がある。
少し退屈しかけていた僕の前に、「チンカス」が現れたのだ。
ラジオの岡村隆史は、テレビで見るキラキラした姿とは少し違っていた。
「俺、家に帰ったら家から出えへんで。一人で踊って、テトリスして、ほんでまたちょっと踊ってウインナー炒めて、ビール飲んで、『ほな、寝ますわ!』」
「俺、家の中ではおかしいかもわからん。全裸で靴下だけとかになったりするから」
「家の中は自由やねん。裸で寝転ぶと気持ちいいねん」
あれ、この人、今まで思っていたのと少し違うな。
ひょっとして、「根暗」じゃないか。
そう、キラキラとレベルの低い笑いを提供していたアイドル芸人は、実は自分と同じ根暗男だったのだ。
※僕は家の中で全裸にはなりませんが
そんな根暗男が、海外ロケで外国人にナメられないように悪戦苦闘する話。
久しぶりの高校の友達と全裸でサッカーをする話。
帰省中、大阪の飲み屋で紹介された女性が「私モデルなんです」と言ってアピールしてくることに腹を立て「君、職業なんやったけ」とあえて聞き、「モデルです」と答えた瞬間にビールを顔にぶっかける、といったエピソードもあった。
このエピソードはまぁやりすぎなのだが、ひとり家で布団にくるまりながらAMラジオを聴いている、女っ気の欠片もない中学生にはこれらの話がぶっ刺さってしまった。
この人はぼくと同じ、陰キャ中学生なのだ。
陰キャ中学生が、そのまま芸能界に行き、乱暴に成功して、僕はそれを疑似体験しているのだ。
自分とは対極のアイドル芸人だったはずの岡村の意外な側面に僕はコロリと共感するようになってしまい、毎週貪るようにラジオを聴いていた。
ただ、別にライブを見に行こうとは思わなかったし、グッズを買おうとも思わなかった。「ファン」ではなかったのだ。
僕はナインティナインの姿に、「芸人」ではなく、純粋な「よき親友」の関係性を見、憧れた。
【4】矢部浩之という存在
思えば、ナイナイのオールナイトニッポン、それから金字塔の「めちゃイケ」含め、「岡村・矢部の物語」は、随分と長い間、多くの人に共有され、
愛され続けてきたように思う。
「岡村さん、『夕やけニャンニャン』って見てはります?僕あれ観てるとドキドキするんですよ。」
デビューのきっかけはWikipediaにも書いてあるし、大したファンじゃないぼくでも知っている話だ。
メディアの前に出てくるナインティナインは、いつも暴走気味になる岡村と、それを優しくなだめる矢部で成立していた。
背がちっちゃくて、猿顔で、真面目でガンコで女っ気のない岡村に比べ、昔から付き合っている彼女(ひとみちゃん)がいて、顔つきもシュッとしてスタイルもよく、途中から歯も矯正しオシャレになった矢部は、まさにクラスの中で対極のタイプだ。
※実際には岡村さんはそれなりにモテていたみたいだが
そんな二人が、昨日あったことや思っていること、面白いこともつまらないことも含めて、色んな話をしている。ちょっとどうかな、と思えることまで、思ったことをすべて話している。それが好きだった。
そうしたスタイルはおそらく、ナインティナインのお家芸とも呼べるものなのだろう。ちょうど同時期に「オファーシリーズ」で、 めちゃイケは第一次ブレイクを迎えることになる。
「真面目で努力家でちょっと暴走気味な岡村」と「優しくツッコむ矢部」。いわゆる「岡村さ~ん、何してはるんですかぁ」スタイルの確立だ。
前述の、「モデルにビールヴァー」事件の際も、エピソードを語り終えた岡村に対して矢部が「ちっちゃい天狗や~!」といって岡村が大爆笑するというシーンがある。ツッコミというのはそう言うものかもしれないが、矢部の存在は、岡村隆史とファンにとって、「ヤバイ岡村隆史」を相対化させ、客観視させてくれるものだった。それによって、ちょっとおかしな岡村の言動も、マイルドに映るようになる。
この関係性って、芸人、というよりは、友だちであり、仲間、だ。
めちゃイケがまさに代表しているように、ナインティナインのスタイルは、どちらかと言えば、自分たちの「仲間」の空気に、見ている人を取り込んでいくスタイルだったのだ。
【5】優しく崩れていく物語
昔の仲間がゆっくりと大人になり、家庭を持ち、疎遠になっていくように、この二人の物語も、時とともにゆっくりと崩れていった。
矢部浩之は、15年付き合った「ひとみちゃん」と別れ、あっさり女子アナと付き合って結婚した。めちゃイケから、山本圭壱は10年いなくなり、その間に岡村隆史は病に伏し、めちゃイケにはそれまでの馴染みの顔とは違う、新メンバーが登場した。
この頃、僕は就職して5年目で、30手前。就職して1~2年は「就職しても皆で遊べるよな~チョロいチョロい」と言って、週末の夜の街に繰り出していたものだが、徐々に仲間が結婚し、人数が減りだす頃だった。昔夢中になっていたナイナイのオールナイトニッポンも、めちゃイケも、すっかり縁遠くなっていた。
それでも、「ナイナイのオールナイトニッポン終了」のニュースを聞いたときは、驚いた。
終わったことよりも、「二人揃って終了ではなく、矢部のみが抜ける」ということに対して、驚きと、言いしれぬ寂しさを感じた。
いつまでもこの場に居続けたい岡村と、守るべきものがある矢部との「現実」が離れてしまった。そう言う風に感じたのだった。
みんな、現実に帰っていってしまった。
その中で、一人ぽつんと岡村隆史がクダを巻き続ける場所。
それが、オールナイトニッポンという暗闇だとしたら、こんな悲しい話はない。
【6】老いの悲しみ
さて、なぜ「モテない男のカリスマ」は、今「キモいオヤジ」になってしまったんだろうか?
冒頭で語った、僕がこの問題に対して持っている悲しさとは、「人間の精神的老い」だ。
岡村隆史の自分像は、おそらく今なお「若いモテない男のカリスマ」だ。
ただし、若くてモテない男は、自分と同じ、若くてモテない男に共感する。でも、50歳近くのモテない男には共感しない。
それは、自分はそうはなりたくないからだ。
そして、50歳近くのモテない男も、今更同年代のモテない男の姿なんか見たくないはずなのだ。凹むだけだから。
でも、彼はそれに気づいていないように思える。
そして、昔、彼がラジオでアダルトビデオの事を語っていたように、モデルにビールをヴァーかけたったわー、と語っていた感覚で。
ごく自然に、モテない男たちの共感が得られるんじゃないかと思って、恐らく出てきた、冒頭の発言なんだと思う。
「悪気がないからいい」のではない。
「悪気がないからなお悲しい」のだ。
モテない男の共感が得られるんじゃないかと思って「風俗に可愛い子が流れてくる」という発言が自然に出てくる感覚のズレ。これ、男でもそんなにいい気分するやつ居ないと思うよ。それに気づかない。
岡村隆史は、決定的に、老いたんだ。
コメディアンとしても人間としても。
キモいオヤジがキモいセリフを言うのはなぜか?
「それが面白い」と思ってるからだ。
その感覚は、残念ながら簡単には治らない。
なぜキモいのか、気づいてないからだ。
さらに、怖いのは、この現象は、「自分と他人の感覚のズレ」という点においては、他人事じゃないのだ。
もしも、こう言うことを僕も年齢とともに言ってしまうようになっていたら?いやむしろ、既に言ってしまっていたら?そう思うと本当にやるせない。
精神的に老いていくというのは、こう言うことなんだろうか。
そして、この暗闇の中では、誰もそれに気づかせてくれない。
もう既に、岡村隆史の精神は、孤独死しているんだ。
なぁ矢部っち、矢部っちが隣にいればこんなことにならなかったのかな。
そんなこともねぇか。