資料「慰安所規定」
A.原文
1.資料写真
2.原文(読取り活字化)
3.ルビ付き
慰安所規定
一、本慰安所ニハ陸軍々人軍属(軍夫ヲ除ク)ノ外入場ヲ許サス
入場者ハ慰安所外出證ヲ所持スルコト
一、入場者ハ必ズ受付ニオイテ料金ヲ支拂ヒ之ト引替ニ入場券及「サック」一個ヲ受取ルコト
一、入場券・料金左ノ如シ
下士官兵、軍屬金貳圓
一、入場券ノ効力ハ當日限リトシ若シ入室セサルトキハ現金ト引替ヲナスモノトス
但シ一旦酌婦ニ渡シタルモノハ返戾セス
一、入場券ヲ買ヒ求メタル者ハ指定セラレタル番號ノ室ニ入ルコト但シ時間ハ三十分トス
一、入室ト同時ニ入場券ヲ酌婦ニ渡スコト
一、室内ニ於テハ飲酒ヲ禁ス
一、用濟ミノ上ハ直ニ退室スルコト
一、規定ヲ守ラサル者及軍紀風紀ヲ紊ス者ハ退場セシム
一、サックヲ使用セザル者ハ接婦ヲ禁ス
一、入場〓…
兵 自午前十時
下士官軍屬{ 至午後五時
自午後一時
至午後九時
《不明瞭に付き三行省略》
東兵站司令部
4.現代語訳
慰安所規定
①この慰安所では、陸軍の軍人と軍属(軍夫を除く)以外の入場を許可しません。
②入場者は、「慰安所外出証」を所持しなければなりません。
③入場者は、必ず受付で料金を支払い、これと引替えとして「入場券」と「サック(コンドーム)」一個を受取って下さい。
④入場券の料金
下士官 兵、軍属 二円
⑤入場券の有効期限は当日のみです。
もしも、入室しない時は、現金と引替えて下さい。
しかし、一旦、酌婦に手渡したら、払戻しは致しません。
⑥入場券を買った者は、指定された番号の部屋に入って下さい。
※但し、入室後のサービス時間は30分迄です。
⑦入室と同時に、入場券は、酌婦に渡して下さい。
⑧室内での飲酒は禁止します。
⑨用が済みましたら、直ちに退出して下さい。
⑩規定を守らない場合と軍紀風紀を乱す者は、強制退場させることになります。
⑪サックを使用しない者は、接婦することを禁じます。
5.韓国語訳(by Papago Trans.)
6.英語翻訳(by DeepL Trans.)
B.韓国高校教科書065頁にも引用記載されているが
1.引用掲載の趣旨
この写真は、韓国の高校教科書にも掲載されています。趣旨的には、日本が主体的に「慰安所」を運営して行きいたとのことの一点を事由とし、犯罪認定を行なう資料として掲載している様だ。
この写真は、韓国の高校教科書にも掲載されています。趣旨的には、日本が主体的に「慰安所」を運営して行きいたとのことの一点を事由とし、犯罪認定を行なう資料として掲載している様だ。
写真のキャプションの和訳は次のとおり。
書いていることは、形式論理的に一見まともには読める。
「管掌した慰安所の規定」の提示と、次の「強制動員」を論理的に結び付けるものは形式的にも記載がない。論理飛躍である。これは、単純に「軍管掌の慰安所」の存在が、核爆弾の威力を、韓国人の脳内で発揮し即強制制が確定してしまうから成立する論理なのです。
従って。写真として掲載した写真の内容については、完全スルーしている。そこにもし、強制制の記述が見付かるものなら、取上げたことであろうがそれ無しに、貴重な紙面を裂いて掲載した写真の中身には触れていないのある。もしや指導要領の中では、授業で中身を掘下げることにでも成っているのだろうか?小さくカットしたとは言え、下部コーナーのセンターを陣取った写真、しかも文字情報が詰まっているのである。そう在って欲しいものだ。
確かに、生徒と言われる未成年の時期の学習は正解を憶えることを強要され、それが出来ない子は、劣等感を味わう評価システムに置かれる。しかし、実社会に出て試ると、正解は自分で考え自分で探さねばならない。正解は与えられるものではなく、その時の最高のものが正解となるだけなのである。そういうことが出来る能力が、実社会では必要とされており、それが出来ない人材は、只の捨て駒として扱われることにつながり吠える存在になるだけた。
この教科書を生徒が出会い、例えば私のこの頁に行き着いたら、悲劇に結びつくことになる。YouTuberのキムチさんが、高校時代にそれを味わったそうである。論理飛躍に気付く脳みそなら、これは悲劇です。
「日本軍兵站部が管掌していた現地慰安所」は存在しました。だから、この写真も普通に現存するのです。写真に写る「規定」の中身が、問題だから
掲載したのでしょうか? それならば、中身を掘下げねば成りませんよね。当時の半島の歴史を学ぶのです。原文は総て日本語です。高等教育の朝鮮語文献は殆んど無かった時代でした。当時の日本語を読んでの歴史です。
今の韓国が韓国史としている当時の半島は、日本語が公用語でした。それは、一新会等の半島の運動の盛上がりと、政府だった朝鮮王朝の行詰りを起因として、李完用総理の上奏により李王が裁可した結果、日本への併合の依頼が決せられ、それを日本が受入れたことにより、半島の王家から民衆迄、等しく日本国臣民としての法的位置付けを認められと共に、公用語に日本語が加わることに成ったのです。
そうは言っても、半島の有識者から末端のどれて扱いの農民に至るまで、日本語通じる者は略居ませんでした。そればかりか、半島の隅々迄伝わる言語が存在しませんでした。代表的な言語として都周辺迄の言語「京城語」が、唯一、漢語を豊富に持つ一択の主要言語でした。
そこで、「京城語」を半島の共通語とすることで意思疎通の円滑化を図り、その上で日本語も学ばせることにしたのです。その結果、小学生から、学びの場で、書き言葉の京城語を身につけるとともに、多くは日本語で、多様な科目と道徳心を培って言ったのです。
写真にある文字は、教育を享けた者ならば、読めたのです。当時の半島は、これが国語の一つだったのです。しかし、全員が可能であった訳ではなく、行政的に現地語として来よう行くした「朝鮮語」の官吏への教育は続きましたし、半島で事業を営む日本人は、当り前のこととして現地語を学び、活用したのです。或る意味、日本人にとって、朝鮮語も国語の一つと成った時代でした。
ですから、この写真の文字を読んで調べることは当然のことです。教師が読めない、読まないからと言って捨て置いて良いことではありません。それ抜きにして、結論在りきの脳内反応のみを生徒に詰め込むことは、思考力停止を、教え子に求めることになります。
社会にでたら、その様に、相手を思考停止に追込んで、世渡りするとこが正解なんだと、教えている様なものなのです。
この高校教科書を開いた時期に、気付き掘下げた生徒は、出来の悪い生徒のレッテルを貼られ、評価を落とされます。ですから、気付いても今は声を上げてはなりません。静かに、大人の手口を観察し、反面教師としての学びを今は続けるのです。それが、半島の今の韓国人社会の生きる正解なのですから。
しかし、時期は間も無く参ります。声が通る様に成ります。今は、その時に、声を出すだけの準備をしておくことですね。だれにも負けない思考力を培っておくことです。不幸にも、もし、気付いてしまったらです。
気付かない方は、凡人です。凡人としての生き方を考えましょう。感情で操作され騙されて、お金を貢ぐことの無い、懸命な生き方を身につけましょう。客観的論理思考による思考を選択する人とそうでない人を見分け、前者に付いて行く様にしましょう。そうすれば今の韓国人社会よりは、明るい社会に成って来ます。詐欺師共に、リセットされてしまうことは失くなりますから。
この様なことが、この一枚の写真から学ぶことが出来ます。教科書に書かれたその他の文字は、総て感情を正解とする判断で並べられたものです。
生徒から思考力を奪い、正解と思わせる為の洗脳の呪文です。憶えても価値はありません。感情は個体の中でも移ろいますし、他人事でも、状況次第で切り替るものだからです。
2.韓国歴史教科書写真(原本のまま)
3.韓国歴史教科書写真(イメージ和訳)
C.実体は、今の韓国人の脳内イメージの投影物
1.存在を認めたら「脳内イメージ」が過去に飛んじゃうの?
日本人も日本国政府も誰一人として「慰安所」の存在は否定していない。存在していたし、その建物は、大工等の建築技術を持ち徴兵された工兵が現地の資材を使い、職人技で完成させた。戦争における工兵の存在は不可欠で、臨機応変に、大部隊の移動を物理的に可能にする部隊なのである。だから出来ることなのです。
そこに、応募して来た『貸座敷営業者』の中から選定し、その営業者が募集した女性とその管理者が兵站地間との移動手段の手配し、受入れ入居させた。
故に、管理上、そのテナントには軍専用として運営を強制した。身元や国籍も不定な「軍属の集めた軍夫」を除いた上で採算がとれる待遇を与えた。
目的的には、元々「性病管理が大きかった」とは思う。不特定多数からの、性病の病原体侵入は女性を介して利用兵士に蔓延する。その予防管理の為にも、利用者限定は必要だった。
民間の『貸座敷営業者』が、営業所を作り稼ぐには、立地の確保と、規則に適合した建物建設が義務付けられていた(「娼妓貸座敷営業取締規則」)。 そのコストが慰安所入居テナントにはかからない。移動の便宜もある。途中で入れ替る女性の船舶手配は軍がしてくれる。
採算で言えば慰安所のテナントは、それだけでも勝ち取りたい所でした。故に、高額で有利な条件での女性の募集が可能でした。少なくとも半島の貧しい家庭で見れば、それは破格の条件でした。貧しい家庭は多く、当時は、今の様な生活保護制度も破産制度も完備されていませんので、借金は親から子に引き継がれる認識でしたので、子も親の借財を負う立ち位置に居たのです。
一家で首を吊るか、娘の「年季奉公特約付金銭消費貸借契約」で、明日につなげるなら、可能な限り好条件の年季奉公先を選びたかったのです。娘さんにしてみたら、地元での「年季奉公先」で住めば嬉しい面もあったことでしょう。それが当時でも「醜業」と世間に言われることが無い仕事ならばです。でも、貧しさが、それで済むレベルを超えた時、「おしん」の世界になることもありました。幼く奉公先で下働きすることで食い扶持を減らす。その程度で済むならば吉でした。親元を離れることは幼い娘には酷なことです。でも、当時は豊かな商家の慈善事業的徒弟制度で仕事を学ぶ機会でした。
しかし、それも適わぬ程の借財を抱えた家庭のとれる最適手段が「娘の身売り」でした。そこには、多くの朝鮮人プローカーが暗躍しました。正業としての「周旋業者」も居たでしょうが、誘拐、詐欺が横行していたことは、犯罪統計からも言えるとこでした。これを総督府は放置したかと言うと、そうではありません。問題視して、取締を強化し検挙を続けます。
結果、悪徳な犯罪人は次第に減って行ったのです。その努力をしました。無論、周旋業者の中に一人も犯罪をしなかった。女性を一度も騙さなかったとの証明は立ちません。でも犯罪の立証も同時に可能な証拠も無いのです。 単に、心証、今の感情で言っているだけの主張は、当時と日韓基本条約締結前後には、問題提起すら無かったことで、証明されたと診るのが立証主義の見地では当然のことなのです。
そして、例え就職詐欺が在ったとしても、それに総督府や自治体、警察署が関与したり、地縁の存在しない兵站地の軍が関与すること自体が不可能なのです。もし、何らかな関与をするとしたら、公権力側の半島由来の日本人(朝鮮人)が末端に成ればなる程多く採用されていました。
強制連行には徴兵や徴用の様な、戸籍に基づく本人指定の礼状を発行することに成りますが、その様なことは記録にも、噂にも、新聞記事にも成った形跡が無いのです。民間業者や家庭内のことに、当時も含めて、日本的統治社会は、深く関与出来る行政機構は存在していませんでした。
それを可能にするシステムは、主に社会主義国家の密告制度として確立されました。なんと、これは韓国でも存在しており、韓国では密告の報奨金が商売に成ってしまっています。そんな今の半島の韓国人社会を当時と今の日本社会に重ねて感情的に判断し、批判されても困るのです。
❶強制連行は無い
➋日本軍も出身地元警察署も地方自治体も関与なし。必要性が無い。
➌兵站地間移動の便宜は「貸座敷営業者」と「娼妓稼業女性」に提供。
➍兵站地の営業所の建物は軍が準備した。
➎利用規則を兵士と「貸座敷営業者」に守らせた。
➏軍紀風紀と言う道徳面も、顧客の兵士には課せられたお店。
➐「30分制限+用済みで直ぐ退室」の高回転稼業。
➑営業時間と「慰安所外出證」の許可時間が過ぎたら現金払戻しで帰隊
➒月一回の収支を「貸座敷営業者」と「娼妓稼業女性」は帳簿確認
➓「娼妓稼業女性」は直接軍にものが言えた
これで、少なくとも兵站地限定の夢の職場「慰安所」に、「強制動員」や「強制的勤務」を言える根拠は無い。「娼妓稼業女性」への同情的な兵士の手記からも、現地での虐待等の声は聞かれない。
つまり、所謂「日本軍『慰安婦』」は、戦後の今の韓国人の脳内で創られた「事件」なのです。その実体は、今の貧しい女性を見世物にし、詐欺を働いた言葉に嵌められ、真心から金を注ぎ込み続けている韓国人の脳内に存在する幻想です。
「詐欺ビジネスの実体」を人権活動と勘違いしているだけのことです。
補足資料
「慰安所規定」には、他にも存在し、全てが同じではない。