[金錫友(キム・ソクウ)コラム]克日の完成
この記事は、韓国、©ペンアンドマイクの以下の2022.04.12掲載記事をPapago翻訳したものです。
長いひと言
コラムニストについて
金錫友(キム・ソクウ)客員コラムニストは、外交畑をして歩んで来た人材です。戦後の教育で育った世代であり、反日を是とし、克日という日本利用を当然とする認識である保守系の論客の様です。
この脳内活動自体で日韓関係の進展は望めない
機械翻訳の為、若干のニュアンスの差や抜け落ちがまだ、存在するかもしれないが、日本人の自分が読む限り、今の日本社会に国家の意思、そして国民の一般的認識として晒したら、日韓関係の進展は殆んど望めないであろう。
半島の朝鮮人にアイデンティティは無かったか?
半島の朝鮮人にアイデンティティが無かったかと言うと、そう言うことでは無い。在ればこそ、三・一運動で万歳も叫んだし、廃華事件も起こし半島の中華街を殲滅したし、内地でも同様の反応を起こしました。これは、日本人では起こりえないことです。明らかに、そう言うレベルのアイデンティティだったら育っていた。それが今も変わらぬ素の民族特性です。今の韓国人が、「情」とか「恨」とかの概念語で著す、「主観脳」がやらかす感情的な反応の特性なら、群れ共通として保有しています。されが無限ループし、その反応に順応出来ない個体は生物学的遺伝子的にリセットされて今に至っています。望む望まないに拘らずそれが本性です。
一世代程度の親子が文化的恩恵を享けて終った
しかし、日韓併合期はたったの35年間であり、一世代程度の親子が辛うじて、日本式の教育に染まっただけです。
先ずは諺文と漢字混じりの文章を半島全土で読める様になることを目標にし、その基底を確保した上で、高等教育は、日本人教師と日本語文献で、学ぶ体制と成ったのである。半島に諺文つまり朝鮮語の書き言葉で書かれた学術文献はほぼ存在しなかったのだから、発展を目標にすれば、当然の帰結であった。
この日本式教育で、半島全土に書き言葉としての「京城語」が普及しました。それで遷ろう方言も学術的調査を進め記録したし、古典の半島語も研究し辞典に納め消滅を防いだのが、日韓併合期でした。半島の言語研究の第一人者小倉氏は一生を半島での言語学研究に捧げ、半島で生涯を閉じました。
官製辞書として辞典も残しましたし、史実として併合期に民間の朝鮮語辞典の出版もなされていた。戦後は反日熱を煽る目的で「群れの真実」を量産しているだけです。そういう群れに劣化変質したのは半島から日本という文明の実体か消えた戦後のことです。
教育しようにも文献が無い朝鮮語には無理だった
戦前の日本式教育を享けた世代は、日本語で学習したので日本語前提の技術や知識を持っていましたが、朝鮮語では著し次世代に伝えるしかありませんでした。しかし、それは、反日により封殺されました。教育現場から日本語は消えましたし、従来の高等教育の書籍は使えなく成りました。不足を補っていた日本はもう居ませんから、不足は不足のまま放置されました。
今韓国語時点の語彙は、併合期に総督府主導で方言や古典文献を研究することで集積したものです。需要の観点から、日本人が利用する前提の韓日辞典のみが公的に発刊されましたが、民間での辞書出版は併合機に実際に行なわれていましたし、新聞等も諺文漢字混じり文で終戦間際迄発行されていました。民心掌握は当地の基本、歴史にタラレバは在りませんが、本当に朝鮮語禁止を総督府主導で行なっていたら暴動が絶えなかったことでしょう。しかも、地域で言語も異なり通じないので両班同様の暴力での統治しか出来ません。戦前の朝鮮人も、今の韓国人同様の性格でした。群れとしてみれば同じ行動をとります。そのスペックは、35年の前の少なくとも千年以上の半島社会が、形成したものです。一朝一夕で近代化するとこは在り得ません。
物理的に、世代を超えた積重ね無く、文明の形成は無理筋ですし、今でも韓国人は借物は借物のままです。土台が無く、下駄を履かせて貰い、同じことを出来る様に成っただけの群れなのは、そういう理由です。用日を叫ばねば、維持すら出来ない現実を思考で理解しなければなりません。
文明成立の前提となる言語システムの存在vs吠え言葉
文明は、言葉のその言葉に結び付く概念が社会に存在することで、その地域社会に有意な概念語として定着し、群れの中で使われ存在可能なものです。そして、その定着には、次世代への継承が更に数世代経て、全てが入れ替る迄継続することで仕上がるものです。
言葉には欧米近代国家の概念語が在るからと言っても、社会に概念の実体が存在しなければ、社会で共有された概念語は、不安定で歪な別の用途の用語に変質してしまうものなのです。
英語やフランス語を公用語とした発展途上国で、発展がままならないのは、社会に概念の実体が適切な形で定着出来ないからなのです。これは、今の韓国も例外ではありません。
この記事にある「道徳」の観念は今の韓国人独特のものであり、日韓併合に当り、李完用が現況した「日本は何かにつけ『道徳』と五月蝿いが」とした『道徳』とは別物なのです。日本における道徳は、内なる規範であり、自決するものです。良い悪しは、自らが判断し、自らを処す、糺すものなのです。今の韓国人には存在しない概念です。
日本型の道徳は、日本社会の他者を「慮る心」によるつながりを前提に積重ねられ実体が存在したものを著す言葉です。
それに対して、今の韓国人社会の「道徳」は、他者をして諌めるというより、マウントする時に使う効果的な「吠え言葉」としての用語に変質しているのです。
多重異民族支配の歴史下の半島人類
半島社会は、少なくとも中華帝国成立以降、その官吏として派遣された「漢族」に皇帝と同じ儀礼を王が尽くす、皇帝→漢族の官吏→王→半島の官吏→民衆という、固定された多重異民族支配の中に置かれ続けました。
中間管理職的な「漢族」の持つ現実の中華文明は、文字と言葉を武器としたマウント関係の構築にあります。「小中華」とはその模倣を欲し、あわよくば、「漢族」に取って代わりたいとの願望を著す概念でした。
眼前で、自らが使える王に皇帝へと同じ礼を尽くさせる「漢族の官吏」を視続ける半島の官吏は、同じことを、民衆に強いることに成りました。それは、当然、民衆の中にも蔓延り、高階層のマウント社会が半島では実現したのです。それは20世紀初頭迄続きました。今、今の韓国人が口にする人類の普遍的価値は存在すらしませんでした。それを意識させたのは、日韓併合期だったのです。
女性の地位は、元々低いもので物扱いでした。毎年の貢女選抜の影響かと思われますが、幼年婚で幼くして嫁入り先で家事に専念させられる麗しい文化が在りました。女性の教育は家事と子を生むこと。しかも長男をあげることでしか存立の地位を確保出来ませんでした。娘だけでなく妻も販売対象でした。「身売り」では在りませんよ。売切りでした。
それが、日韓併合期の35年間の法秩序社会の教育と行政と刑罰で少しずつ他者に対する人権意識が身について言ったのです。今もそけが不充分だから、群れの外の他者である日本に対しては人権意識がまだ持てませんよね。
今も、そのレベルの文明なのです。人類の普遍的価値の獲得は出来てません。それを世界に晒しているだけです。このことで、どれだけ有色人種が貶められていることか、考える脳みそが働くものなら考えて欲しいものです。
コラムニストは主観脳で吠ているだけ!こんな韓国要らないよ!
結論です。「日本に対する道徳的優越性」は主観による「群れの真実」に過ぎません。「克日」と言おうと「用日」と言おうと、主観基準の吠え言葉に過ぎません。吠ているだけに過ぎない。そんな内容のコラムを晒しているだけです。「無償3億ドル、有償2億ドル」は貰いが少なかったとの主観に、群れの本性が現われている。そう視えませんか?韓国人が、そう思える時に、初めて日韓関係は正常化に向かう可能性が産まれるものと、日本人の自分には視えます。このコラムを眼にした日本人は、韓国との関係は要らないと思いますよ。これが韓国の現状と言うことですね。
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