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読書メモ|正義のアイデア|アマルティア・セン

  「子供たちが生きている小さな世界の中で、不正義ほどはっきりと理解でき、感じ取れるものはない」と『大いなる遺産』に登場するピップはいう。私はピップは正しいと思う。
  我々を道理的に動かすものは、この世界が「完全に公正な世界」ではないという認識ではなく、明らかに正すことのできる不正義が我々のまわりにあり、それを取り除きたいという認識である。(略)それは、我々が生きている、もっと広範囲に及ぶ不正義にも当てはまる
  啓蒙運動の哲学者たち(スミス、コンドルセ、ウィルストンクラフト、ベンサム、マルクス、ジョンスチュアートミル)は、制度だけでなく、実際の人々の行動や社会的相互作用やその他の重要な決定要因に影響されて、人々の暮らしがどのようなものになるのかを比較することに共通の関心があった。本書はこの伝統に沿うものである。

序文

  「先験的的制度尊重主義」(ジョンロールズ、トマスホッブス、ジョンロック、ジャン=ジャック・ルソー、イマニエルカント)と「実現ベースの比較」(アダムスミス、コンドルセ、メアリーウィルストンクラフト、ジェレミーベンサム、カールマルクス、ジョンスチュアートミル)との間の距離は極めて重大である。(略)完全に公正な制度を描写することは、現代正義論の中心的課題となっている。
  我々はガンディやマーティン・ルーサーキング・ジュニアやネルソン・マンデラやデズモンド・ツツのようになる必要はない。我々が享受する自由とケイパビリティをどう使うかを決めるのは究極的には我々自身である。(略)選択の自由は、実際に行動に移されるなら自分の行いに対する責任も伴う。ケイパビリティはなにかを行う力であり、その能力から生じる責任は、義務の要求、広く義務論的要求と呼びうるものへの余地を生じさせる。
  『3人の子供と1本の笛の例題』▼下図について
  功利主義者、経済平等主義者、労働権論者、まともなリバタリアンなどの様々な信念をもつ理論家たちは、簡単にみつけることのできる簡単で公正な解決策があると考えるかもしれないが、しかし、彼らはそれぞれ全く異なった解決策を明らかに正しいものとして論じている。不偏的な合意が生まれるような特定可能で完全に公正は社会的取り決めなど実際に存在しないのかもしれない。

序章 正義へのアプローチ
3人の子供と1本の笛の例題

  本章は、現代の最も重要な政治哲学者であるジョンロールズによって提示された正義論に対する批判である。(略)ロールズの著作から多くを得たのに加え、すばらしい友人として、同僚としてつきあうという光栄にあずかった。(略)彼の洞察に富むコメント、批評、示唆は常に私を啓発し、私自身の考え方に大きな影響を与えた。
  第二に、格差原理において、ロールズは基本財を良い暮らしに変換する能力が人によって多様であることを考慮せず、人々が持っている機会を保有する手段のみによって判断する。例えば、身体障害者は健常者と同じ水準の所得や基本財を持っていたとしてもできることはかなり少ない

第2章 ロールズとその後

  アショカ王の祖父、チャンドラグプタ王の宰相のカウティリヤは、社会的制度をつくり、利用することを強調した。(略)人々がよく工夫された物質的インセンティブと、必要なら規制と刑罰によって導かれることなく、自発的によいことを行う能力を持っているとカウティリアはほとんど認めようとはしない。(略)人々にもっとよく熟考するよう説得し、愚かな考えは粗野な行動を生み、おぞましい結果をもたらすことを理解させることで、人々の行動がよくなると信じていたアショカ王の楽観的な信念とは対照的である。
  道徳的行為の領域と到達範囲についてのアショカ王の楽観主義はあきらかに正当化できないが、懐疑的であった点でカウティリヤは正しいのだろうか。どちらもそれ自身は不完全なものであるが、社会正義を促進するための方法と手段を考える上で、両者の視点は注目する必要がある。

第3章 制度と個人

  第4章「声と社会的選択」では正義を促進するために「人々の声」に重要な役割が与えられる。正義について考えるとき、われわれは他の人たちの考えに耳を傾け、注意を払わなければならない。同様に、他者も我々の考えに注意を払わなければならない。正義論の頑固さは、討論と対話によって決まってくる。
  第5章「不遍性と客観性」では、エドマンドバークの(下した様々な判断)のように、矛盾しているように見えるかもしれないが、様々な主題について一人の人が行う判断をたったひとつの判断(「保守」か「革新」か)によって解釈しようとすることは間違っているとセンは主張する。
  偏狭性を乗り越えるために、アダムスミス(道徳感情論)の「公平な観察者」が(我々の視野の偏狭性を乗り越える方法として)取り上げられる。
  ひとにとって何が合理的な行動かという問いと、人は実際にどう行動するかという問いに対して同じ答えを求めることができないにもかかわらず、両者を区別しようとしない人間を「合理的愚か者」とセンは呼ぶ。

訳者解説

 15年も事業に専念してしまったため少し不安になり、建設系の中小企業に職を得て経理職として再び働き始めました。本業は変わらずなので「複業」状態で嬉しいのですが、家庭の問題も重なり、この本は読了できず、読書メモは途中までです。だからかな?アマルティア・センについて他の方が書いたものを読みたいなと思ってnoteをググったら、めっちゃいい文章に出会ってしまいました。わかりやすい言葉でしっかりと説明されていて感激なのです。

 次は、今回ノーベル経済学受賞したダロン・アセモグル「技術革新と不平等の1000年史(上・下)」を読むのをたのしみにしています。
 


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