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読書メモ|資本主義の次に来る世界|ジェイソン・ヒッケル

 2019年、IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間の科学-政策プラットフォーム)は最初の包括的な報告書を発表した(略)1970年以来、鳥類、哺乳類、爬虫類、両生類の数は半分以下になった。100万種ほどが数十年以内に絶滅する危険性があるそうだ。
 苦境を招いたことに関して、化石燃料企業と買収された政治家の責任は重い。しかし、それだけでは無為無策の説明にはならない。(略)深刻な問題の症状にすぎない。その問題とは過去数世紀にわたって多かれ少なかれ地球全体を支配するようになった経済システム、資本主義である。
 2017年テレビ中継されたNYのタウンホールミーティングで、トレバーヒルという名の大学2年生が立ち上がり、世界有数の権力者で、当時下院議員だったナンシーペロシに率直な質問を投げかけた。この若者は、18歳から29歳までのアメリカ人の51%が資本主義を支持していないことを示すハーバード大学の研究を引用し、民主党はこの急速変化を受け入れ、資本主義に代わる経済のビジョンを示すことができるのだろうかと尋ねたのだ。ペロシは明らかに当惑していた「けれども残念ながら、わたしたちは資本主義者であり、これが現実なのです」と彼女は言った。
 現在の経済学では、必要であってもなくても経済の全部門は常に成長しなければならないという考え方が支配的だ。そのような経済運営は、良い時代にあっても非合理的であり、生態系が緊急事態に陥っている時代にあってはあきらかに危険だ。

はじめに 人新世と資本主義

 1347年に黒死病が流行すると、ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやり未曾有の社会的、政治的危機をもたらしたのだ。この厄災の後、思いがけないことが起きた。労働力が不足し、一方土地は豊富にあったので、小作農と労働者が交渉力を持つようになったのだ。(略)彼らは以前より希望と自信を持つようになる
 有力なスコットランドの商人パトリックコフーンは、貧困を産業化のための必須条件とみなし、次のように述べている。「貧困とは、個人が財産を持たず、生計を立てるには勤勉に働き続けるしかない状態を指す。(略)貧困がなければ、国家とコミュニティは文化的な状態を維持できないだろう。(略)貧困でなければ人々は働かず、金持ちは存在せず、富の所有者たるべき人々にとって、改良、快適さ、利益は存在し得ないからだ。』哲学者デヴィットヒュームも「政治論集」において「欠乏が何年も続き、それが極端でない場合、貧民はより勤勉になり、よりよく生きるようになる」と希少性の理論を説明した。これらは驚くべきパラドックスを明らかにする。資本主義の支持者たちは、富を生み出すには人々を貧しくする必要があると考えていたのだ。
 囲い込みと植民地化は、ヨーロッパで資本主義が台頭するための前提条件だった。その2つは資源を強奪するための新たなフロンティアを開き。自給自足経済を破壊し、安価な労働力を大量に生み出し、人為的希少性を生み出すことで競争的な生産性を作動させた。
 アミニズムを信仰する人々は、生態系が再生できる量より多くは取らないよう注意を払い。土地を守り修復することで生態系にお返しをしている。(略)アニミズムの人間観は、二元論とは根本的に異なる。アミニズムは相互依存の存在論なのだ。
 自然をモノとみなすことができれば、それをどう扱ってもいいはずだ。資源の所有と採取を縛る倫理的制約が取り除かれることは、資本家にとって大いに喜ばしいことだった。こうして土地は財産になり、生物はモノになり、生態系は資源になった。(二元論)
 囲い込みと植民地化は労働の強奪も可能にした(略)労働者にはわずかな賃金を支払ったが、産み育てる労働者、すなわり食事を作り、病気のときは看病し、自制の労働者を産み育てる女性には賃金を支払わなかった。(略)それによって女性は生計の手段からだけでなく、賃金労働からも切り離され、出産の役割に閉じ込められたのだ。実質的に無料で支配階級に利用された。

第1部 多い方が貧しい_第1章 資本主義-その血塗られた創造の物語

  成長の複利的性質を捉えた古い寓話がある。古代インドの数学者の話だ。王は彼の業績を称えるために宮殿にまねき「なんでも欲しいものをいいなさい。それを授けよう」と言った。数学者は謙虚にこう答えた。「王様。私は控えめな人間です。わずかばかりのコメをいただければと存じます」彼はチェス盤を取り出すとこう続けた「一つ目のますにコメを1粒置き、二つ目に2粒、三つ目に4粒、というように最後のマスに行き着くまで米粒を倍々に増やしてください。それだけのコメをいただければ十分でございます」数学者が贅沢な褒美を望まなかったことを王は喜んだ。チェス盤の一列目が終わる時、米は200粒より少なく、1食分に満たなかった。しかし、その後、半分しかきていない32マス目で20億粒を超え、王国は破産した。最後の64マス目では米粒はインド全土を厚さ1メートルで覆い尽くすほどの米になっていただろう。(略)経済成長においても同様のメカニズムが働く。
 グズネッツはGDPは完璧ではないことを強調した。GDPは総生産の市場価値を集計するが、有益か有害かには関知しない。GDPは100ドル分の催涙ガスと100ドル分の教育を区別しない。(略)より重要な、生産に伴う社会的コストをGDPは考慮しないのだ。
 1945年以降の資源消費量の上昇は、世界のGDPの上昇とほぼ同じ経過を辿ってきた。(略)2009年以降、資源消費量の増加はGDPの成長を上回っている。(略)現在のペースで増え続けると、今世紀半ばまでに、現在の消費量の2倍、安全な限度の4倍だ。
 もし、高所得国が世界の平均的な水準で消費するのであれば、世界全体が安全な限度を超える恐れはまったくないはずだ。逆に、世界中の人が高所得国の人々と同じレベルの消費をしたら、全員を養うには、地球が4つ必要になる。
 気候変動がもたらした死の分布は(グローバル)サウスに偏っている。2010年には気候変動が原因で約40万人が亡くなった。大半は飢えと伝染病によるものだ。これらの98%以上がサウスで起きた。しかもそのうちの83%は世界で最もCO2排出量が少ない国々で起きている。気候変動がもたらす死は2030年までに年間53万件に達すると推定され、ほぼすべてはサウスで起きるだろう。一方、富裕国ではそのわずか1%にとどまると見られている。

第1部 多い方が貧しい_第2章 ジャガノート(圧倒的破壊力)の台頭

 クリーンエネルギーへの移行は莫大な量の金属とレアアースを必要とし、それらの採取は生態系と社会にさらなる負荷をかける。(略)問題は鉱物を使い果たしてしまうことではない。すでに過剰な採取がいっそう過剰になることだ。採鉱は森林破壊、生態系の崩壊、生物多様性の喪失の大きな要因になっている。

第1部 多い方が貧しい_第3章 テクノロジーはわたしたちを救うか?




 事実、国民一人当たりのGDPは比較的低いのに、驚くほど高レベルの福利を実現している国が数多く存在する。(略)要するに分配が肝心なのだ。万人向けの公共財への投資である。
 質の高い公的医療制度(と教育システム)を実施するのに費用はそれほどかからない。公的サービスは民間のサービスより費用対効果が高い。(略)アメリカの営利目的の民間システムは一人当たり9500ドルという極めて高額な費用を吸い上げているが、国民の平均寿命はスペインより短く、健康アウトカムは良好ではない。
 実証的な証拠はGDPが高いレベルでなくても人間開発指数(寿命、教育、識字、所得の複合統計指数)を高レベルにできることを示している。
 GPIはGDPとおなじく「個人消費支出」をベースとしながら、所得格差や経済活動に伴う社会・環境コストなどの要素を計算に加える。(略)このデータを時系列でグラフ化すると、世界のGDPは1970年代半ばまではGDPと足並みを揃えて成長してきたが、それ以降グラフは平坦になり下降していく。社会・環境コストが増大し、消費から得られる利益を打ち消したのだ。環境経済学者ハーマン・デイリーがいう通り、ある点を過ぎると成長は「非経済的」になる富より貧困を多く生み出すようになるのだ。
 こんな思考実験をしてみよう。ポルトガルが一人当たり38000ドル低いGDPでアメリカより高いレベルの福利を実現しているのであれば、アメリカの一人当たり38000ドルの所得は事実上「無駄」だったことになる。その額はアメリカ経済全体で年間13兆ドルにものぼる。13兆ドル分の採取・生産・消費と環境への負荷は、人間の幸福にとって何のプラスにもなっていない。(略)アメリカの経済を現在の65%に縮小しても、庶民の生活を向上させられるのだ。
 有意義な人生を送っていると感じるのは、思いやり、協力、コミュニティや人とのつながりを体現しているときだ。そうした価値を「内在的価値」と呼ぶ。内在的価値は、収入や消費によって得られる束の間の快感よりはるかに協力で長く持続する。(略)社会がより平等なデンマークの国民は、購入する衣服が少なく、長くつかうことが明らかになっている。企業が広告にかける費用も少ない。不必要な贅沢品を買うことに人々が興味を示さないからだ。(略)ピケティは不平等に関する世界的権威だが、遠慮なくこう述べる。「最富裕層の購買力を大幅に下げると、それだけで排出量削減に世界レベルの影響を及ぼすことができるだろう」(略)公的サービスはほとんどの場合、民間のサービスより炭素・エネルギーの集約度が低い。たとえばイギリスの国民保健サービスは、アメリカの保険制度に比べてCO2の排出量は3分の1だが、よりよいアウトカムをもたらしている。公共交通機関はエネルギーと物質の両面において自家用車より集約度が低い。水道水はペットボトルの水より集約度が低い。(略)公共財の存在は、所得を増やさなければというプレッシャーから人々を解放する
 アメリカのGDPは1970年代の2倍になった。貧困率は高くなり、実質賃金は低くなった。半世紀の間成長しつづけたにも関わらず、退行しており、利益のすべてが富裕層に流れている。
 富裕層の所得は、世界経済が生み出す所得のうち、想像を絶する割合(上位1%の富裕層の収入は世界のGDPの4分の1近く)をしめているのだ。それは貧困層の土地と身体から搾取したものだ。
 世界銀行とIMFでは、アメリカが重要な決定のすべてに拒否権を持ち、高所得国が議決権の過半数を握っている。WTOでは交渉力はGDPに左右されるため植民地時代に豊かになった国がルールを決めている。WTOの貿易ルールが公正になれば、貧困国の輸出収入は毎年1.5兆ドル以上増えると国連は試算する。
 ロバートケネディは1968年カンザス大学でグズネッツと同様のメッセージを伝えた「GDPでは、機知も勇気も、知恵も学びも、思いやりも国への貢献も測れない・・・それによって測定できるのは、人生を価値あるものにするもの以外のすべてである。」
 GDPは論理的必然性のない経済指標ではない。(略)GDPが社会と生態系のコストを計算に入れないのは、資本主義が社会と生態系のコストを計算に入れないからだ。

第2部 少ない方が豊か_第4章 よい人生に必要なものとは何か





 すなわち、資本主義は巨大なエネルギー吸引装置なのだ。(略)商品生産の大半が目指すのは、人間の要求を満たすことではなく、利益を蓄積することだ。したがって、人間の要求をあえて満たそうとせず、要求を持続させようとする。(略)ここにパラドックスがある。資本主義は効率重視の合理的なシステムだとわたしたちは考えがちだが、まったく逆だ。計画的陳腐化は意図的な非効率の典型である。その非効率さは利益の最大化という観点からみれば合理的だが、人間の要求とエコロジーの観点から見れば、非合理的だ。
 必要という限界を超える解決策を求めていた企業は、フロイトの甥であるバーネイズが開発した広告理論にそれをみつけた。心理を操作すれば、必要をはるかに超える消費を促すことができると指摘した。人々の心に不安の種をまき、それを解消するものとして(略)あるいは、その製品が社会的受容、階級、性的能力を提供するとして売ることもできる。
 理論上はファストファッションを規制するだけで、布地の消費量を80%まで削減できる。広告の力を抑制する方法はたくさんある。公共空間から広告を締め出すのも一手が。人口2000万のサンパウロは、すでに都市の主要な場所でこれを実施している。
 食料廃棄を終わらせれば、必要とされている食料を確保しつつ、農業の規模を半分に減らすことができるのだ。
 牛肉を非反芻動物(とりなど)の肉や、豆類などの植物性タンパク質に切り替えると、約1100万平方マイルの土地が解放される。これはアメリカ、カナダ、中国を合わせた面積に相当する。(略)IPCCの試算によると、co2の排出を最大で8ギガトン(20%)削減できる。研究者はレッドミートへの課税は、排出削減につながるだけでばく、人々の健康を増進し、医療費を抑える」としている。
 アメリカの研究では、労働時間が短いひとは、長い人より幸福度が高いという結果がでた。所得の差を補正しても同様だった。(略)加えて職場と家庭の両方で男女平等を促進する。(略)フランスの家庭を対象とする研究では、長い労働時間は、環境負荷の高い商品の消費と直結していることが判明した。収入の差を補正した場合も同様だった。
 わたしたちは資本主義は自由と人間の解放を軸として構築されたと考えがちだ。それは資本主義が売り物にしているイデオロギーだ。しかし、ニーズを満たし、不要な労働から解放できる技術力を備えているにも関わらず、その技術を新たな「ニーズ」を生み、生産と消費のトレッドミルを際限なく拡大するためにつかっている。真の自由をもたらすという約束は永遠に果たされない。
 富の不平等から生じる問題は、最富裕層が搾取的なランティエ(不労所得生活者)になることだ
。必要をはるかに超えるお金と財産を蓄積すると、不動産、特許ライセンス、ローンなど、あらゆる形でそれを貸し出すようになる。(略)人々はあくせく働いて自分が必要とする以上の収入を得なければならないが、それはひとえに富裕層に家賃を支払ったり借金を返済したりするためなのだ。(略)これほどの富を所有するに値する人はいないのだ。それは自ら稼いだものではなく、低賃金労働者や安価な自然から搾取したものだ。極端な富は社会と政治システムと自然界を腐敗させる
 高過ぎるロンドンの住宅の価格は、土地、材料、人件費とは無関係で、政治的決定がもたらしたものだ。公営住宅の民営化がすすみ、低金利と量的緩和が資産価格を押し上げてきた。
 さらには時間も人為的希少性の対象となる。不必要な長時間労働を強いられる人々は、自由につかえる時間がほとんどなくなり、料理、掃除、子供や親の世話といった自分でできるはずの仕事をお金を払って企業に委託せざるをえなくなる。(略)成長志向のシステムの目的は、人間のニーズを満たすことではなく、満たさないようにすることなのだ。不合理で生態系にとっては暴力的だ。
 その高金利のせいで、グローバルサウスは永遠にウォール街に隷属することになった。悪徳金融業者からの借金や、退陣した独裁者が残した借金もある。(略)
”債務の帳消しが有益なのは、人間の苦痛を大幅に軽減できるからだけではない。お金は重要ではなく、借金の返済が道徳の本質ではないこと、さらにこれらすべては人間が決めたことであり、民主主義の真髄は、全員が同意する形で取り決めを変更できることであることを、わたしたちに気づかせるからだ。(デヴィッド・グレーバー)
 わたしたちの手を渡っていく通貨のほとんどは、だれかの借金なのだ。この借金は利子をつけてかえさなければならず、それにはより多くの労働・採取・生産が必要とされる。結局のところ銀行は何もない(部分準備銀行制度では10%かそれ以下の資金があればいい)ところから無料で作り出した製品(お金)を効率よく売った後、人々には、現実の世界で実質的な価値を持つものを採取・生産することを要求しているのだ。常識はずれの突拍子もないことなので、人々はそれが事実であることを理解できない。
 債務が指数関数的に膨らむ現在の複利システムを単利システムに切り替えるだけで、貨幣制度は生態系と調和するものとなり、脱成長経済に移行できるだろう。
 2014年ハーバード大学とイエール大学の科学者チームが自然界に対する人々の考え方について調査した。68%の人が持続可能な形で資源を管理することを選択し、再生可能な量しかとらなかった。将来の世代の繁栄のために自らが得られるはずの利益をあきらめた。問題は残り32%の人が目先の利益のために共有資源を存分につかうという選択をすることだ。(略)しかし、直接民主主義によって集団で決定することを求めると利己的なひともより持続可能な決定に投票するようになったのだ。

第2部 少ない方が豊か_第5章 ポスト資本主義への道

 あらゆる生態系が原生林のバイオマスの90%にまで自然に回復するには、平均でわずか60年しかかからないことを国際的な科学者チームが発見した。ただ、放っておくだけでそうなるのだ。わたしたちが過剰な産業活動を縮小し始めれば生物界は驚くべきスピードで回復するのだ。しかし、迅速に行動しなければ生態系がその再生能力を失う可能性が高いからだ。
 「人生最大の禍は、我々のたべるものすべてに魂が宿っていることだ」と北極圏に暮らすシャーマンは人類学者のクヌムート・ラスムッセンに語った
 先住民族は根底に互恵の精神がある。「とってはならない」ではなく「相手が望むより多く、あるいは、与えられるより多くとってはならない」すなわち、生態系が再生できる量を超えてとるべきではない。
 地球の生物多様性の80%は、先住民族が管理する地域で発見されている。あきらかに先住民族は正しいことをしている。彼らは生物を守り育んでいる。すべての生き物が基本的に相互に依存していることを理解しているからなのだ。成長主義が地球史上6度目となる大量絶滅を加速させるにつれて、アミニズムの価値観と資本主義の価値観の対比は、顕著になっていくだろう。
 自己は抽象的で超越的な精神の中には存在し得ない。すべての意識は現象を経験することから生まれ、経験は基本的に身体に依存する。わたしたちが知るすべて、考えるすべて、すなわり自意識は、世界における身体的経験から生まれる。
 わたしたちの腸、皮膚、その他の器官には何兆もの微生物が生息し、わたしたりはこれらの微生物に支えられている。(略)最近の科学者たちは、微生物を除去されたマウスは反社会的な行動をとることを発見し、人間も同様である可能性が高いと予想している。(略)共に生き、身体的、精神的状態を共に管理し、それなしでは生きていけない数兆もの他の存在と容易には区別できないのであれば、自己とはいったいなんなのだろうか。ジョン・デュプレはこう述べている「これらの発見を知ると、生物は独立した存在だと主張しにくくなる。その生物がどこで終わり、どこから他の生物が始まるかを区別することさえ難しい」
 ”枯れかかった木は自らの資源をコミュニティに譲渡しているらしい。また、日陰に生えた苗木は、強力な隣人から余分な資源を分け与えられている可能性がある。違いに警告を送ることもできる。アブラムシに攻撃されている植物は、近くの植物に、アブラムシが来る前に防御反応を高めておくよう指示するのだ。このようなことは、植物ホルモンを介して地上でコミュニケーションするより、地下の菌類ネットワーク(菌根菌)で送る方が発信と受信の両面においてより正確である。(ロバート・マクファーレン)”
 木は、互いとつながっているだけではなく、わたしたちともつながっている。(略)日本の科学者チームの実験で、森を散歩したひとは都市を散歩した人と比べて大幅に気分がよくなり、緊張、不安、怒り、敵意、鬱、倦怠感が減少した。効果はすぐ現れ強力だった。(略)また、人は木の近くで過ごすと、より協力的で親切で寛大になることを発見した。世界に対する畏怖や驚きは増し、攻撃性や非礼な行為が減る。樹木が多い地域では暴行強盗薬物使用などの犯罪が著しく少ないことが明らかになった。
 たとえばアラスカでは、狼がカリブーの個体数を抑制している。これはカリブーが若木を食い荒らすことを防ぎ、森林が成長し、繁茂することを可能にする。森林が侵食を防ぐことで土壌の健全さが保たれ、川にはきれいな水が流れる。健康な土壌でベリーや地虫が育ち、澄んだ川で魚やその他の淡水生物が育つ。魚やベリーや地虫は、やがてクマやワシの餌になる。こうした相互依存性は生態系に強さと回復力を与える(略)狼が絶滅した地域では生態系がバラバラになる。森林は崩壊し、土壌は侵食され、川には沈泥が堆積し、ワシやクマは姿を消す。(略)個体というのは幻想だ。地球上の生命あすべて、関係性が織りなす網の目の一部なのだ。
 作物を収穫したり、木を伐採したりすることは、必ずしも非倫理的な行いではない。狩りや動物を食べることも同様だ。非倫理的なのは、感謝の気持ちや互恵の念を抱かずに、そのような行為をすることだ。必要とするより多く、返せるより多く取ることだ。なお悪いのは無駄にすることだ、とアミニズムのコミュニティの彼らはいう。
 現代の工業型農場は、単一栽培用の広大な農場として建設され、他のあらゆる生物を駆除するよう設計された化学殺虫剤や除草剤をふんだんに浴びせられている。(略)資本主義農業のもとで、土地は全体主義の倫理に従い、ただひとつの目標のために作り変えられる。短期的な収穫を最大化することだ。このアプローチは豊かな表土を粉塵に変え、地中にたまった膨大な量のCO2を放出させてきた。昆虫と鳥の個体数は激減し、化学物質の流出により淡水の生態系全体が破壊された。(略)世界中の勇敢な農家が「環境再生型農業」と呼ばれる、よりホリスティックな方法を試している。(略)この方法を導入した地域では、収穫高が増え、ミミズが戻り、昆虫や鳥の数や種の多様性も回復した。なによりありがたいのは、不毛な土地が回復するにつれて膨大な量のCO2 が大気中から消えていくことだ。いまのところ、これはどのような炭素回収技術よりもはるかに効果的だ。
 企業をひととみなすのであれば、セコイア、川、川の流域に人格を与えてもいいはずだ。(略)ニュージーランドでは、2017年ワンガヌイ川に法的人格を認める判決が下された。現在、この川と川にまつわるすべての物理的要素と理念的要素は「不可分の生きた存在」として認められている。マオリ族は1870年から戦ってきた。「わたしたちは昔からずっと、川を祖先とみなしてきた」同じ年、同様の法人格をタラナキ山に与えた。その数年前にはテ・ウレウェラ国立公園が法的人格を認められ、政府が管理する国有財産ではなく、自立した存在になった。ニュージーランドでの判決に続き、インドではガンジス川とヤムナ川に法的権利が付与された。「生きた人間に付随するすべての権利義務法的責任」を与えられたのだ。コロンビアでは最高裁判所がアマゾン川に法的権利を認めた。今後、これらの川に害を及ぼす行為はすべて起訴される可能性がある。

第2部 少ない方が豊か_第6章 すべてはつながっている

 実のところ、成長の追求は考えること自体を拒むのだ。わたしたちは我を忘れあくせく働き、深く考えようとせず、自分がなにをしているのか。周囲でなにが起きているかに気づかず、自分がなにを、だれを犠牲にしているかに気づかない。脱成長という考えは、私たちを夢から目覚めさせる。詩人ルーミーはこう記している「座って、じっとして、耳を傾けなさい。あなたは酔っていて、わたしたちは屋根の端っこにいるのだから

謝辞

めっちゃ長くなってしまった💦
格差の拡大、環境破壊、問題だらけなのに、資本主義は加速してる。コスパ野郎、タイパ野郎、おごりおごられ、裏金、世襲議員、残念すぎることばかりの世の中。きちんと学んだり、考えたりすること、視野を広げること、メタ認知心掛けることが大切な気がしています。コインには裏表があるし、ゼロサムで勝つのは誰かが負けること。
次は田内学さんのご著書を読みたいけれど、全部人気で図書館で約半年待ちなのだ。

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