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読書メモ|資本主義の方程式_経済停滞と格差拡大の謎を解く|小野善康

お金が増えても経済が低迷しつづけるという現象は、従来の経済学では考えてこなかった資産選好によって説明することができる。資産選好とは、人々の持つお金や資産そのものへの執着である。

はじめに

資産選好とは、資産を持っていることへの欲望である。金融資産の総額が多ければそれだけで無条件にうれしい。実際にはつかってないのに持っているだけでうれしい。
 経済において本質的に重要なのはモノの動きであるが、モノよりカネという本末転倒が起こり、カネの動きがモノの動きと乖離して、カネを媒体として行われるモノの受給調整がうまく働かなくなる。

第1章 資本主義経済の変遷

 人が豊かになるほど貯める傾向を持っているなら、資産格差が拡大するはずである。貧しい経済では、豊かになるにつれて消費も増えていくが、豊かな経済では、豊かになっても消費が伸びないことになる。そのため、貧しい経済では経済成長するが、豊かな経済では総需要が不足して慢性的な不況に陥ってしまう。
 資産選好がない場合には、貨幣の価値は取引の便利さだけを反映して決まり。株価は企業の将来収益予想だけを反映して決まる。ところが資産選好がある場合には、資産保有から得られる満足を反映する分も加わる。
 資産選好のつくりだす資産価値の膨張は本来の意味のバブルではない。資産選好を満たすというサービスの価値を反映しており、れっきとしたファンダメンタルズである。しかし、根拠が脆弱であるため、信用が失われればいつ値崩れしてもおかしくない。
 生産能力が伸びても消費意欲が伸びなければ、需要不足が慢性化して物価の下落(デフレ)が続き、貨幣価値はどんどん膨張しつづける。これがデフレ不況であり、デフレは貨幣のバブルである。
 かつてないほど巨額の国債が発行されていても、人々は国債の価値を信用し続けているのである。さらに、日銀が買い支えれば、国債購入のために貨幣を発行するため貨幣の発行量も巨額になる。
 最近の株価動向をみても、2009年3月には7054円まで下がっていた日経平均株価は、19年12月には24000円を超えたが、その間、消費はほとんど動いていない、さらにコロナショックで消費は低迷しているのに株価は高騰を続け、21年4月には3万円を超えるまでになった。株価と実体経済はまったく無関係に動いている。

第2章 「モノ」の経済から「カネ」の経済へ

 資産選好がふくらんだ成熟経済では、消費は物価変動率だけに依存してきます。すなわち、物価が上昇傾向にあれば金融資産保有は不利になるから今の消費を減らす。旧消費関数では、可処分所得だけをみて消費を決めると仮定しているが、新消費関数は、物価変化率をみながら、消費と貯蓄の便益を比較して消費を決める。さらに物価変化率を決めるのは総需要であり可処分所得ではない
 可処分所得が消費を決めると考える旧ケインズ経済学が正しければ、定額給付金や地域振興券などのばらまき政策は(赤字財政によって行われるかぎり)消費を刺激し総需要を増やすはずである。ところが、消費が人々の資産選好と物価変化率で決まるなら、消費も総需要もGDPも増えない。
 財政赤字はいつか国民自身が返さねばならず、景気が悪いときには財政赤字にし、景気が回復したときに財政黒字にして返済すればいいという主張がうまれた。ところが、長期不況で巨額な政府債務が積み上がることになる。   
 1999年には 当時の小渕恵三首相が自らを揶揄して 「世界第一の借金王」と呼んだが それでも債務残高は397兆円であったそれが2020年末には 3倍を超える1220兆円になっている それなのに 政府も日銀も赤字の拡大をさらに続けている
 ケインズがせっかく需要の重要性に着目したのに、明確な理論構造を提示しなかったために。引き継いだ旧ケインズ経済学もMMT理論も、カネの論理に囚われ、ばらまき政策を推奨している(略)「カネをまくかまかないか」ではなく、「モノへの政府需要を増やすか減らすか」を論点にすべきたったのである。
 総需要が経済活動を決めているため、国民一人当たりのGDPも同じである。つまり、フランスのように高生産性を選んでも、日本のように低失業率を選んでも、実体経済に差はないのである。

第3章 成熟経済の構造

 資産格差は、各自の生産能力と時間選好の程度という個性の違いだけから起こるわけでない。まったく同じ個人であっても金持ちになるほど貯蓄意欲が膨らんでいく
 人々が初期に保有する資産の違いは、運不運によって生まれる。さらに同じ能力を持ち同じ努力をしても、だれかが正規に職を得れば、だれかが条件の悪い非正規に就くか失業するしかない。自己責任論が成り立たないため政策的な再分配が必要になってくる。ここでいう再分配は、能力の低い人、先の生活のことを考えないひとを念頭に置いた最低限の救済措置ではない。

第4章 経済格差

 資産保有への欲求はいくら強くても需要も雇用も生まれず、実体経済は活性化しない。実際、成熟経済に入った日本では、実質貨幣量や株価などのストックばかりが伸びて消費や国内総生産などのフローが停滞し、生産力が落ちたと嘆かれる一方、カネの面では世界有数の豊かな国になっている。(図6.1)
 豊かな国になったからこそ、生産効率化ではなく、純粋な知的興味の探究、真理の探究を行う余裕がうまれ、新需要の創出にもつながって経済を活性化させる。それなのに生産能力が低かったころに必要とされた画一教育を推し進めれば、人々の努力は帰って経済を停滞させる結果となってしまう。
 たとえば一人だけカネをだしても、きれいな空気を買うことはできない。このようなことに政府の介入が必要である。
 総需要不足と格差の広がり、社会不安と経済不安の広がり、この状況を変えるには政府が再分配を行う必要がある。しかし、現状は富裕層にとって決して居心地が悪くない。資産は貯まり続け、デフレで金融資産の実質価値も伸び続けるから、再分配が賛同を得ることは難しい。消費に回されることなく積み上げられたカネは、実際にはなんの役にもたっていない。富裕層はそれが経済の停滞と不平等を生み出していることに気づく必要がある

第6章 政策提言


p191

 一次報酬への欲望の抑制については、眼窩前頭皮質に備わっている。ところが二次報酬への欲望の抑制については、眼窩前頭皮質では働いておらずどこで働くのか、そもそも存在しているのかについては、未知の部分が多いようである。実際、自分自身のことを考えてみても、限りなく食べればよくないことはわかっているから抑制しようとするが、地位が上がり、金が貯まってもそれを成功の証として肯定的に受け入れ、抑制しようとは思わない。

おわりに

たしかに、政府の債務はものすごいことになっています。政治家は恥ずかしくないのでしょうか。↓

https://www.globalnote.jp/

資産選好という概念はとても腑に落ちました。とはいえ、今の社会の1番の問題点でもある少子高齢化についての言及はないなとおもったらネットにありました!さすがです。

小野先生の講演資料より

 ひとつひとつが、自分が社会に対して感じていたことでした。
自分自身が、直接お客様にモノを売ることを生業としているので、ことさら知っておくべき知識なのもよかった。
「資産選好」については、商売とは別に、身近なところで、お金のために、家族や友人との関係すら断ち切るひとたちをたくさん見てきたので、ものすごく腑に落ちる概念。
  
 次は「資本主義の中心で、資本主義を変える|清水 大吾」か、「資本主義の次に来る世界|ジェイソン・ヒッケル」読もう、とおもっていたのですが、まずは斎藤幸平さんかなあ。水や電力、住居、医療、教育は”コモン”であるべきだと私も思うから。

市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育などといったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す

「人新世」の資本論

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