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トルコでガラスを学ぶ。

トルコの漢字表記は土耳古らしい。
アメリカに渡ることを渡米というならば、トルコに行くことは渡土だろうか。
渡土。とと。トト。口に出すと可愛いらしいが、びっくりするくらいしっくりこない。

さて、渡土して1ヶ月が経った。ということで、今回は授業について書きたい。

やったことないけど

タイトルからお分かりのように、私はガラス学科でガラス作りを学んでいる。
きっかけはお世話になっている先生の些細な一言だった気がする。「工房にあるガラスの機械誰も使えないから、使い方教わってきてよ。」そんな理由でやったこともないガラスに決めた自分のことをどうかと思うが、その時は留学先での専攻について悩んでいたので自分に使命が与えられた気分がして嬉しかったのだ。

交換留学で新しいことを始めるのは割と賭けかもと思っていた。日本で培った知識経験が役立たないし、ずれたことをしているのでは、という可能性も頭をよぎった。
でも実際来てみると、一から何かを学ぶのはやっぱり楽しいし、日本での知識経験とトルコでの新しい知識経験をいつの間にか関連付けていて、新しいことを学んでいるようないないような。
何をしたって自分というものは変わらなくあるのだから、ずれることなんてあり得なくて、太くなっているだけ、だと思った。新しい学び、新しい人間関係、新しい生活スタイル、トルコに来て気づいたことだけど、どんなに環境を変えたって自分の真ん中にあるものは変わらない。良くも悪くも。

授業は感じるもの

話が逸れかけたが、授業のスケジュールはこんなかんじ↓

時間割

基本的に一日一授業。
どの授業も5人くらいの少人数制。
この時間割で半年間。

授業の内容は、先生のお手本を見てひたすら練習して技を磨き、アドバイスをもらうことの繰り返し。修行である。他の学部がテスト期間に入ると、私たちも課題が与えられる。「好きなもの作りな〜」「これまでやったこと出来てるかチェックするよ〜」みたいな課題。
私以外は現地の学生さんなので、授業は基本トルコ語。先生が簡単な英語で説明してくれて、英語が得意なクラスメイトがいたら補足で説明してくれる。でも先生のお手本を見れば言葉が無くても大体分かる。上手くなっていくには上手い人の体の動かし方や道具の扱い方をよく観察して感覚で掴んでいくしかない。授業を重ねるたびに良い目が養われていっている気がする。

これに加えてオンデマンドの英語の授業を取っているが、簡単すぎたので取ってないのと変わらない。(第一章はhello, how are you? だった)
本当はトルコ語の授業を取りたかったし、金曜も暇なので授業を入れたかったが、履修変更期間と履修取り消し期間を勘違いしていて叶わなかった。留学先での履修登録はなかなか難しい。。

ガラスという素材

工房じゃないと作れない
日本にいた時は学校でも家でも何かしらやらなきゃいけないことがあった。でもガラス制作は機械が必要なので工房でしか作業できない。だから、授業での作業時間を無駄にしないよう頑張り、家ではゆっくり体を労わるようにしてる。学校と家のメリハリがある今の生活は、私に合っている気がする。
とは言っても、工房の機械が壊れて2週間授業がなかったときは何も出来なくてもどかしかった。その時は代わりにガラスの性質や歴史について勉強してみた。(座学の授業は全部トルコ語で履修できないので)また、私が住んでいるエスキシェヒルはガラスが有名な町らしく、ガラスの美術館があったりプロのアーティストがパフォーマンスをするイベントがあったり、授業が無い日もなんやかんやガラスに触れている。

ガラスフェスティバルにて。
日本人だからという理由でプレゼントしてもらった魚。

トルコのガラス工芸
歴史が深いトルコはガラス産業も盛ん。トルコランプやチャイ用のティーカップ、お土産の小物たち色んなところにガラス製品がある。
中でも有名なのが、紀元前から伝わる青い目玉のお守り「nazar boncugu(ナザールボンジュウ)」。邪視から災いを跳ね除けてくれると信じられている。邪視というのは羨ましい妬ましいなど人の悪意ある視線のことで、その視線を跳ね返す目玉のモチーフらしい。私の家にもたくさんあった。

家にある青い目たち

ガラスは大地
ガラスの原料はケイシャ(二酸化ケイ素を含む石英を砕いた砂)とソーダ灰(昔は草木を燃やした灰を使ってた)と石灰(炭酸カルシウムを含む鉱石)。これらを高温でドロドロに溶かして成形し冷やして固めて作られる。だからガラスは、一度作ってもまた溶かして再利用して使える、とってもエコな製品。ガラス学科でも失敗したものや練習で作ったものは、集めて再び溶解炉に入れられている。
また世の中のすべてのものを高温で溶かし尽くせばガラス質になるらしい。確かに、火山のマグマは溶解炉の中のガラスの姿に似ている。そう考えると、ガラスという素材は大地や自然とすごく密接だ。ガラスから何かを作る時、地球の創造主にでもなった気分。

どんな形も作れるが故
ガラスが変形自在であるとき、触れることはできない。高温だから。道具を介して成形するが、重力で垂れていくのでくるくる回し続けないといけないし、気づいたらすぐ冷えて固まってしまう。思い通りにいかないと思ってしまうが、ガラスはただ自然の原理に従っているだけ。なので自然現象を読めばいい。数を重ねるごとにその動き方やスピード感、色や音の変化具合が分かるようになってきて、楽しい。
熱が加わったガラスは、全体的になめらかになろうと浸透する力が働く。「つるんっ」というか「のぺんっ」というか、表面の見た目は大体かわいい。

記念すべき初めて吹いたガラス。
失敗してるけどそれはそれでかわいいベイビーちゃん。

良いものは良い体がないと作れない

ガラスは重たい。なので初めて作った時、自分の力の無さに絶望した。これまで自分の体のことに無頓着だったので、体の扱い方がわからないのだ。どの筋肉を使うのか、どこに重心を置くのか、どのベクトルにどのくらい力を加えるのか、など体の仕組みに対して経験値が無さすぎる。加えて、熱いガラスは長い棒の先でしか加工できないので、慣れるまでモドモドする。棒の先で何が起こっているのか感じずらい。例えるなら、バレーをした後にバトミントンをした時に球との距離がわからなくなる感じ(経験談)。ラケットを手のように、道具を体の一部にする必要があるのだ。そう考えると、ガラス作りはスポーツに似ている。
ということで家での夜の時間に余裕が生まれたことも相まって、筋トレとストレッチを初めてみた。そして授業の疲れもあるのですぐ寝る。トルコに来てからとにかく睡眠の質が良い。朝早く起きれて朝ごはんをゆっくり作る時間が生まれて、温かい朝日と共にチャイを飲む余裕がある。

凝り始めた朝ごはん。見栄えがいいものだけ写真に残す。

結果として、ガラスに出会ってから、自分の身体に興味が出て、良いメンテナンスと良い休息、良い食事を心がけるようになった。体のむくみやこり、眠気がなくなって体が軽い。体の調子が良いと気分も良い。

ということで、私がホームシックになっていないかちゃんとご飯を食べてれているか心配してくれている皆さん。安心してください。私は日本にいる時より健康です。

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