20年越しのビューティフルライフ
自粛モードがひろがり、不要不急以外は家にいる生活を過ごしていたら、気が付けば一つ歳を重ねていました。そんな最近の私と言えば、どうぶつの森が日課になり、どうぶつたちとの暮らしと、娘中心の毎日の二重生活をスタートをしています。
そんな私が今日書きたいこととは、20年越しのビューティフルライフについてのこと。ビューティフルライフとは、車いす生活のヒロインをテーマにした、2000年にヒットしたキムタクのドラマのことである。20年前のドラマのことを、何故今語りたいのかというと、私は20年前に放送していたドラマの最終回を、20年経ってやっと、見ることができたからだ。そしてこのことが、とても大切なことを私に教えてくれたのだ。
当時このドラマが放送されていた時、私はまだ高校生で、田舎に住んでいた。私の住んでいたところはTBS放送がなく、このビューティフルライフは、日曜日の夕方に、1週遅れで放送されていたのだ。毎週、B'zの主題歌を口ずさみ、トレンディなドラマに魅了されていた18歳だった私は、毎週このドラマを楽しみにしていた。それは、その年の春から、ドラマの舞台でもある東京に進学が決まっていたのも理由の一つである。憧れの新生活とドラマが、あの頃の私の頭の中でリンクしては、ドキドキしていた。
いよいよドラマがクライマックスとなった時、最終回を残し、私は憧れの東京へと飛び立った。そして新生活を迎えるために用意した、まだ重く厚みのあるビデオ付きのブラウン管テレビの前で、日曜の夕方を楽しみに待ったのだ。だけど、そこは田舎ではなく東京。TBSが映る東京では、最終回はとっくに終わっていて、日曜の夕方には、最終回は放送されるはずがなかった。
私は結局、それから20年間、ビューティフルライフの最終回を見ることがなかった。だけど、ずっと心の中の、私のやりたいことリストの端の方に、「ビューティフルライフの最終回を見る」というものが消えずに残っていたのだ。そして、そのチャンスはラブストーリーのように突然やってきたのだ。
今回コロナさんのおかげで、おうち時間を楽しむために、いつくかのサブスクで検索をしていたら、あの時のビューティフルライフが目に留まった。グランメゾン東京とか、マックのCMで最近割と見るよりは若く爽やかなキムタクの笑顔が、昔と変わらず私を誘惑してくれたので、私はついに20年越しにビューティフルライフの最終回を見ることができたのだ。
そして私は思ったのだ。大人になるということは、過去の私がやりたかったことをやれるようになることなんだと。
例えば今回のように、20年越しに最終回を見ることもそうだけれど、叶えたかった夢を叶えることや、自分の居場所を見つけること、それに自分の価値を探し求めることも、子供の頃や過去の私がヒントになっている。いつかの本音や、あの頃の悔しさやほろ苦い想いが忘れられず、大人になった今の私の毎日に、コンコンってノックするように、アピールしてくることがよくあるのだ。
例えば、みんなにチヤホヤされたかった人なら、今も自分が中心になれるような居場所を求めたりするかもしれない。昔いろいろ制限される環境にいた人は、自由を求めた暮らしを理想としているかもしれない。金銭的に苦しかった過去がある人は、今はお金に不自由しない生活に価値をみいだしているかもしれない。そんな風に、過去の私が見つけた自分の本音の価値観を、今現実にしていくために、私たちは歳を重ねながら、また、時には新たな本音と出逢い、繰り返しながら、大人になっていくのかもしれないな、と。
今、「いのち」というものと向き合い、時に不安に溺れた毎日の中で見つける本音のカケラを、きっと今より少しだけ大人の私が、同じようにこの先の道の中で見つけては、過去の私の味方になり、未来の私の自信にするだろうと思っている。私たちはいつだって、過去の経験から学んで、よりよい未来を願ってきたのだから。
この先の未来に、まだまだ不安が拭い去ることが出来ないこの状況でも、私たちは少しずつ大人になっていくことで、今回のこの経験でさえきっと自分の味方にし、自信へと繋げていくことができる。自分のリストから、自分で消すことさえしなければ、今の私には叶えることが出来ないことだって、未来の私が、今の私の気持ちに寄り添いながら、なんとかしてくれるって信じてみることはできないだろうか? 未来の私に委ねつつ、今はただ、心の中のリストの一覧に、本音をちょっと書いておくだけでいい。そしたら、こんな毎日の先にある私の未来も、楽しみになるような気がしてきたのだ。
私は今回、20年前のやりたかったビューティフルライフの最終回を見ることができた。今の私のやりたいことも、きっといつかの私が今の私の見方になり、叶えてくれると信じている。
さぁ、もしもあなたも未来の自分に本音を委ねるのなら、心のリストに何をかきますか?