あるものに目を向ける

朝ドラから得たヒント

窪田正孝(以後窪田君)という俳優をご存知でしょうか?
まだ駆け出しだった頃の窪田君をとあるドラマで知り、それからファンになった私は彼が出演する朝ドラで朝ドラデビューを果たした。

余談ではあるけれど、私はドラマを見ることが好きなのだ。それは、非現実な世界に浸れるから。時代も国も乗り越えて、私とは違う世界でいろんな感情を味わえる。

私の好きな窪田君が朝ドラに出るとなれば、当然私は毎朝楽しみに朝を迎えた。毎朝見るストーリーを楽しみながら、私は歌の歌詞にある日ハッとさせられた。そのドラマの主題歌は絢香さんの「にじいろ」だった。耳なじみのよいメロディーは、娘も大好きになりよく口ずさむようになったのだ。

手をつなげば温かいこと
嫌いになれば一人になっていくこと

なくしたものを数えて瞳閉ざすよりも
あるものを数えたほうが瞳輝きだす

あなたが笑えば誰かも笑うこと
乗り越えれば強くなること

そんな歌のフレーズを毎朝聞き、娘が無邪気に歌うことで、私はあることに気が付いたのだ。自分がいかに「ない」に目を向けていて、「ある」を受け入れていないかを。そして、私はこの時から決めたのだ。「あるものに目を向ける」と。

ただ、幸せになりたくて

私が求めていたことは何だったのだろう?「いい人」でいることを演じ切ることだったのだろうか?それとも「二人目」だったのだろうか?

「あるものに目を向ける」という私の意識が変わったことで、私の世界はどんどん変化していった。今まで気が付けなかった自分の「しあわせ」に、どんどん気がつけるようになっていった。現状は変わらないのに、だ。

変化したことといえば、家にいる時の私の笑顔の時間は確実に増えていった。それは娘の反応を見てもわかった。私はただ、しあわせになりたかったのだ。しあわせは、誰かが認めてくれるものだと勘違いしていた。自分のしあわせは、目の間にたくさんあったことを気が付かずに、私はずっと間違えた道で空回りをしていた。だけど気が付くことができたのだ。自分のしあわせは、自分で決めていいのだと。私はすでに、しあわせだったのだ。

目の前の小さなしあわせに感謝する

目の前の小さなしあわせに、大袈裟でなく盛大に感謝する日々を私は始めた。

綺麗な空を見れたこと
ご飯が美味しいこと
娘が楽しそうだったこと
目の前の人が笑顔だったこと
素敵な人に出逢えたこと

悩んでは高いところに上り、下を見下ろして「悩みなんて小さなものだ」と言い聞かせていた私に、空を見上げることを教えてくれた人がいた。二度と同じ空模様になることのない「今の空」を「綺麗だなぁ」と見上げて深呼吸する心の余裕の大切さを知ったのだ。知恵袋やタグ検索ばかりしていた私は、「イマソラ」というハッシュタグを検索するようになった。

「under the same sky」というハッシュタグを知っているだろうか?東日本大震災が起きたとき、世界中の人たちが日本を想い、「同じ空のしたにいるから頑張って」とSNSに空の写真をあげてくれていた。Pray for Japanのハッシュタグと共に。

私たちは誰かが生きたかった今日という日を生きている。そして誰でも必ず終わりを迎える日が来るのだ。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。期間限定の中で生きる今日という日を、「しあわせ」を感じる日々に変えていこうと決めたのだ。そして同じく期間限定の子育ても、だ。

悩んだあの日に望んだ「二人目」は、今もなお私のところにはいない。それでも私はしあわせを感じて生きている。

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