雑踏ダイバー

雑踏の中、ひとり歩く人のことを
「ぼっち歩き」とは言いません。
ただ、学食でひとりで食べていると
「ぼっち飯」という人が出てくる。

「その感覚がわからない」と言う人は存在するものの
「ひとり旅」には「ぼっち」のニュアンスがない。

歩くこと、旅すること。
どちらも動いているのに対し、
「ぼっち飯」は屋内にとどまって食べている。

学校や職場など、ある場所にとどまって
勉強・仕事をすると「ぼっち〇〇」と指摘する人が出てくる。
外に出て仕事をする営業職の人にいちいち
「ぼっち飯」がどうのと指摘する人はいない。
いわんやフリーランスの放送作家をや。
ご飯だけじゃなく、全部ひとり。

自分が「ぼっち〇〇」に対してなんとも思わないのは
「とどまっていないから」なのかもしれない、と
今日、ふと思ったのでした。

無人島にひとり残された人は「孤独」。
大勢いる中で「自分ひとりだ」
という感情を覚えることが「孤独感」。
このふたつはそれぞれ
ひとり旅、フリーランス的な仕事のように
「自由にひとりで動きまわる」ことと
「ある範囲の中で学んだり働いたりする」ことにあてはめられるのでは
ないでしょうか。

「雑踏」に身を置けば、孤独感は減ります。

その「雑踏」を作り、自然に日常や仕事に溶け込ませるのが
生放送のラジオ番組なのかもしれません。

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