【体のこと】高橋名人へ
「高橋名人」をご存じでしょうか。
私は1980年(昭和55年生まれ)で
ギリギリ高橋名人世代、
高橋名人の影響下にある世代の中で
かなり若い方だと思います。
高橋名人は「ファミコンの名人」として
80年代の中ごろ、
メディアから引っ張りだこ、
子どもたちから熱烈な支持を集めていた人です。
家のテレビでゲームができるようになったのは
83年に「ファミリーコンピュータ」
通称「ファミコン」が発売されてから。
そして「小学生」が夢中になるきっかけは
85年「スーパーマリオブラザーズ」の発売と
「高橋名人」の登場でした。
『チャンピオンシップ・ロードランナー』の宣伝をするため
ハドソンの社員として子どもたちの前で
デモンストレーションを行ったところ、
サインをねだられる事態となり、
「高橋名人」の呼び名で活動していくことになりました。
この「名人」という肩書きがよかった。
将棋や囲碁のタイトル「名人」を、
「ゲーム」という
新しいカルチャーの宣伝役である
若者(当時26歳)の肩書きにすることで
何が起きたか。
当時の空気や高橋名人の勢いを感じられる
象徴的な出来事が、私自身、
私の家族にありました。
私が幼稚園の年長(6歳)の時、
通園バスで帰宅している時、ある園児が言いました。
「忠実屋に高橋名人が来る!」
39年も前の事なので
「今日来る」だったのか「今度来る」だったのか
忘れてしまいましたが、
私の印象に強く残ったのです。
そして、祖父に「高橋名人を見に行きたい」と言い
連れて行ってもらいました。
その時点で自分が名人を知っていたのか、
知っていたならいつ、どんなきっかけで知ったのか、
その記憶はもうありません。
ただ、「名人を観に行きたい」と祖父を誘ったこと、
当時、買い物に連れて行ってもらっていた
祖母ではなく祖父と行ったことは確実に覚えています。
なぜなら、名人を見た帰りに
ファミコンとスーパーマリオブラザーズを
買ってもらったから。
祖父は新しい家電が好きで
今思うと全国的に普及するよりも前の段階で
ビデオデッキやビデオカメラなどを購入していました。
「祖父なら、ファミコンを買ってもらえるかもしれない」
そんな計算が自分に働いたのかはっきり覚えていませんが
(そしてファミコンをどんなきっかけで知ったのかも
覚えていない……)
もし、その狙いがあったのならば見事にハマったことになります。
父と母は驚いたことでしょう。
仕事から帰ると、子どもたちに大人気の「ファミコン」が
突然我が家に鎮座しているのですから。
ただ、居間のテレビの背面を見える状態にして
ケーブル接続する、というのが難しそうだったため、
家の中に放置されていた「白黒テレビ」に接続し、
遊ぶことになりました。
私はしばらくの間、スーパーマリオブラザーズを
「白黒テレビ」でプレイしていたので
キノコをとったらマリオが何色になっているのか、
ファイヤマリオはどう変わるのかが
わからないままでした。
なかなかのレアな体験です。
祖父がわざわざ連れて行ってくれたのは
「新しいもの好き」ということだけでなく
「名人とやらを見てみたくなった」というのも
あったのだと思います。
将棋や囲碁の名人のように、
風格のある人物が来ているのか。
観に行ってみると、20代半ばのお兄ちゃんが
本当に近所のお兄ちゃんのテンションで
子どもたちに語り掛けている。
「名人」とは真逆のフランクさ。
私と祖父が着いた時、すでにイベントははじまっていて
名人が「さっき言ったこと覚えてる人~」と
会場に問いかけているところでした。
挙手した子供はまばらで、それを受けて
「俺、もう帰るよ?」と返す名人。
幼稚園児から見れば20代半ばも立派な大人。
しかしその態度、対応は
今までに見たことがないもの。衝撃的でした。
祖父はそんな名人を見て嘆くでも怒るでもなく、
ファミコンを買ってくれました。
一緒に見て何を話したのか、
ファミコンを買うに至るまでの会話は
忘れてしまいました。
ただやはり「名人」という肩書きが祖父を動かしたことは
間違いないと思うのです。
高橋名人はハドソンの社員でしたが
当時の雰囲気は、今風にいえば
子どもたちに人気のゲーム実況者、
ゲーム系動画のインフルエンサー、
といったところでしょうか。
あまりにも人気なので
本人が主人公の漫画やゲームが生まれ、
本人出演の映画が作られ、
テレビ番組のレギュラーを持っていました。
そこも含めて現在の人気YouTuberや
インフルエンサーに近い印象です。
80年代に入ってから、新しい価値観が生まれ
ニューヒーローが誕生する中で、
古風な「名人」という肩書きを用いたことで
親や祖父祖母世代を安心させた。
それゆえ「子どもたちからの絶大な人気」を
「売り上げ」につなげることができたのでしょう。
名人が子どもたちのカリスマとして君臨したのは
1985年からの3年間のみ。
その後は会社の都合で
それまでのような活動をしませんでした。
それゆえ鮮烈な印象に残り、今もなお
「あの高橋名人!」と呼ばれています。
そして「85年からの3年間」に
「小学生だった(広く見ても中1まで)世代」という
限られた世代に強烈なインパクトを残している。
おそらく当時中3~高3だった人は
存在は知っていても、小学生ほど熱狂はしていないはず。
つまり、今年55歳の人にとっての高橋名人は
「流行っていたね」「ビックリマンとかの頃?」
「自分はもう中3だったからな」
というテンションだと思います。
ただ、今年50歳の人にとっては
「ど真ん中のカリスマ」
そして今年45歳の自分にとっても
カリスマですが
私と同級の方は
「見に行ったし、夢中になったけど
キャラバンには参加していない」
「キャラバンはお兄ちゃんについていった」
という人が多いと思います。
「1秒間に16連打」
およそ子どもにはできない技を見せ、
アスリート、それ以上のアニメに出てくる
最強キャラのような輝き。
そして、自分の事を赤ちゃんの頃から
知っているかのように話しかけてくる親近感。
現在40代半ばから
50歳にかけての男性たちにとって
高橋名人はスーパーヒーローでした。
時を経て2013年、私は「高橋名人」の出演する
レギュラー番組の構成を任されることになりました。
「電人☆ゲッチャ!」
(のちに「木曜だからゲッチャ!」に改題)
というゲームの情報バラエティ番組です。
さまざまなゲームメーカーの広報の方が来て
最新タイトルを紹介してくれたのですが
高橋名人ブームから30年弱という
時を経ているため、メーカーの方がまさに
「高橋名人世代」。
皆、あの頃に帰ったかのような
良いテンションで出演してくれました。
さらにそこから干支一周。2025年。
高橋名人から衝撃の報告がありました。
「心筋梗塞のためのバイパス手術を受けていた」
ブログには、本当にギリギリのところで
生存できたことが綴られています。
出術を終えた体をしっかり休めて、
リハビリがうまくいくことを祈っています。
そして名人。
元気を取り戻したら
40代半ば~50歳になったあの頃のゲームキッズたちに
「健康・病気・体のこと」
たっぷり教えてください。
人生に何度かある「難しいお年頃」に入った僕らですが
高橋名人の言うことなら、聞きます。
名人の言葉がいちばん効きます。