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【あたらしいふつう展】2050年のスポーツ:「名審判の条件 ITによるスポーツ審判の実装された世界」(加藤晃生)
こんにちは!ミライズマガジンです。
「あたらしいふつう」展、企画の「1000人に聞いた未来予測」。第二弾は、コチラの予測をもとにした作品です!
テクノロジーと交わることで、新しい価値を生み出した未来のスポーツ。
そんな2050年の未来を描いた作品をご覧ください!
【あらすじ】
フットボールの審判への機械の導入は2010年代に始まった。それはあくまで「最後は人間が判断する」という国際フットボール評議会の掲げる原則を置いた上でのテクノロジーであったが、2025年に起きた「スレンダーマン・スキャンダル」を皮切りに風向きは変わり、売り上げも激減した。
そんな中でフットボールファンが要求したのは、より公正な審判、すなわち「AI」による審判の導入だった。
【著者プロフィール】加藤晃生
博士(比較文明学)。2019年から小説執筆に取り組み、NovelJam2019グランプリ受賞。またスペインの大ヒット小説「アラトリステ」シリーズやその映画版の翻訳にも関わる。
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デヴリンは芝生の匂いを胸いっぱいに吸い込み、四角い空を見上げた。
2050年5月21日。土曜日。
ロンドンが1年で最も輝く季節だ。
デヴリンの周囲には人、人、人、人、人。
9万人の目がデヴリンを見つめている。その半分は赤いユニフォーム。もう半分は青いユニフォーム。
デヴリンは思わず”We are the champions”の一節を口ずさんだ。フレディ・マーキュリーが最後にここであれを歌ったのは64年前の7月12日か。俺のマイナス24歳の誕生日だから、検索しなくてもわかる。
今日はFAカップの決勝戦だ。
第169回FAカップ。
世界最古の、そして世界で最も価値あるフットボールのカップ戦だ。
勝ち上がって来たのは赤のユニフォームのチャールトン・アスレティックと、青のユニフォームのイプスウィッチ・タウン。今年は妙に渋いとこが揃った。ブックメーカーに張り込んでた奴らは気が気じゃないだろう。どっちが勝っても大穴だ。
そういえばこいつら、FAカップを勝ったことってあったっけ?
デヴリンの視界の左下に透過率20%の検索ウィンドウが開く。デヴリンの後頭部に貼り付けられたブレインインターフェイスを介してクラウド上にあるデヴリンの専属秘書AIがデヴリンの意識を読み取り、検索ウィンドウと検索結果の表示を行っているのだ。
チャールトンは103年前に1度、イプスウィッチはええと、72年前か。どちらも1度はあのトロフィーを持ち帰ってるわけだが、今はチャールトンがプレミアで下から4番目のところで降格争い中、イプスウィッチ・タウンはチャンピオンシップの真ん中らへん。大穴にも程があるってもんだわな。
デヴリンはコーナーフラッグの根本、芝生から高さ50cmのところに仕込まれた超小型多焦点カメラ群の最後の動作確認をしているところだ。サイドラインとゴールラインにそれぞれ向けられたこのカメラたちが、ボールがラインを越えた越えなかったを判定するのだ。
もちろんこれだけの大一番だから、ぶち込めるだけのバックアップカメラもぶち込んである。一番高いパッケージを更にウェンブリー用にチューニングした、とっときのスペシャルバージョンだ。
そんなわけで、カメラが1個壊れたからってどってことは無いんだが、ここまで来たら俺たちもパーフェクトで勝って帰りたいじゃないか。なあ。
デヴリンは南西側のカメラのチェックを終えて、最後に残った南東側のコーナーフラッグへと向かった。
センターラインの脇のところで、反対側から歩いてきたシュタイナーとすれ違う。シュタイナーがにやりと笑って右手を軽く上げ、デヴリンに声をかけた。
「よう!」
「おう、お疲れさん」
「いい天気になったな」
「ああ、最高のフットボール日よりだ」
「盛り上がるだろうな」
「もちろんだ」
「今夜はさぞかし酒が美味いだろうな」
「それはどうかな?」
「間違いないよ。最高のヴァイツェンを1ケース、冷やしてあるんだ」
「ヴァイツェン! 良いねえ。きっとお前の心の傷を優しく癒やしてくれるぜ」
「なあに、今夜お前が飲むギネスは、苦い敗北の味を水に溶いた香りがするだろうさ」
「ぬかしやがれ」
二人は拳と拳を軽く合わせると、それぞれ反対側のコーナーフラッグに向かって歩みを再開した。
シュタイナーは100年前に活躍したマイケル・ケインという俳優にちょっと似ているシステムエンジニアだ。歳は50を少し過ぎているらしい。名字からしていかにもドイツ人だが、その通りドイツ人だ。だがUKに来て長い。もう10年になるか。
良いやつは良いやつなのだが、ここ3年間、FAカップの決勝でデヴリンはこいつに勝てていない。
去年のウィガン・アスレティック対リーズ・ユナイテッドでも負けた。
一昨年のサンダーランドAFC対ニューカッスル・ユナイテッドでも負けた。
一昨々年のノッティンガム・フォレスト対コベントリーでも負けた。
今年こそはヤツの白ビールに敗北の味を投下してやらねばならない。
この10年間、デヴリンの仕事はフットボールの審判システムを開発することだった。今もチーフエンジニアとして200人を越える開発チームを率いている。FAカップ決勝戦は、デヴリンの開発している審判システム「24」にとっても、最高の檜舞台の一つだ。
フットボールの審判への機械の導入は2010年代に始まった。
動画を確認して判定の参考にする「VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)」は2018年のワールドカップで導入されている。ボールがゴールに入ったか入らなかったかを確認するための、いわゆる「GLT(ゴールライン・テクノロジー)」も同時期だ。
だが、いずれも「最後は人間が判断する」という国際フットボール評議会の掲げる原則を置いた上でのテクノロジーであった。
風向きが変わったのは2025年に起きた、いわゆる「スレンダーマン・スキャンダル」からである。スレンダーマンを名乗る謎のハッカーが、FIFA幹部を含む大規模な審判の八百長の証拠となる大量のメッセージのログをインターネットに大々的に公開した事件だ。
これはフットボール関連産業に甚大な被害をもたらした。
要するに、売上が激減した。
各国のプロチーム、プロリーグの収入も激減した。
フットボールファンが要求したのは、より公正な審判、すなわちAIによる審判の導入だった。
この頃までに人々は、人間よりAIの方が公正であると考えるようになっていたのである。自動運転車のAIが人間よりも遥かに安全で交通ルールを守るやつらだというのは、今では誰でも知っている。
背に腹は代えられない。
国際フットボール連盟はこの流れに逆らえなかった。
世界のあちこちで審判AIの開発が一斉に始まった。
既にVARやGLTは「枯れた技術」になっていたから、それらにフットボールのルールを憶えさせたAIを載せるだけで、それらしいものは出来た。オフサイドの判定も復数のカメラで撮影された画像をもとに仮想3D空間で瞬時に演算出来た。
一番難しかったのは、ファールやイエローカードの判定である。
開発競争に参入した各社とも、試合のビデオを教師データとしてAIに学習させた。敵対的生成ネットワークを使ったチューニングも盛んに行われた。
なにしろフットボールである。フットボールなのだ。口には出さないけれど実は聖書よりレプリカキットとマフラータオルの方が大事という輩は、100万単位で地に満ちている。
我こそはという筋金入りのフットボールファンがシステムエンジニアとして、あるいはテストプレイヤーとして、被験者として出資者としてウーバーイーツの配達員として、開発の場に駆けつけた。
皆、フットボールの新しい歴史を作るのだと意気込んでいた。
審判AIが試合に用いられるようになったのは2027年からだ。
ワールドカップへの投入は2030年。
いざ導入されてみると、これは予想以上に快適だった。
何しろ機械だからえこひいきもミスも無い。だから判定をきっかけとした遺恨も生まれない。大試合での「世紀の誤審」も生まれない。
生まれないはずだ。
公式試合で用いられるためにはFIFAに審判AIのソースコードを開示して、それが公正公平な判定をするプログラムであることを認証してもらわなければならないからだ。フェアネス認証と呼ばれるものだ。
無論、デブリンの会社の「24」もフェアネス認証はクリアしている。
だが、2035年頃から、この業界ではもう一つのキーワードが重要になっていった。
それが「エキサイトメント」だ。
ことの発端はこうである。
当時、フェアネス認証をクリアした審判AIを提供していたのは5社だった。スポーツアパレル系の老舗ブランドが3社、エンタメ系の老舗ブランドが1社、テック系の新興企業が1社。これら5社が毎年毎年、各国のリーグと公式ベンダー契約を結んで、そのリーグの全試合に審判AIを提供していたのだが、不思議なことに、ある特定の会社のシステムを入れると各種の売上が伸びるという現象が頻繁に観察されたのである。
その審判AIが笛を吹くと、何故か試合が毎度毎度、盛り上がるのだ。
繰り返すが、どのシステムもFIFAがソースコードを検証して、胡散臭いチートコードが入っていないことは確認している。なのに何故?
様々な検証が行われた。
その結果わかったことは少なかった。しかし、最も重要なことがわかったのも確かだったから、世界のフットボールファンは興奮した。
何と、審判AIによって、試合の盛り上げの巧拙が……存在したのだ!
考えてみれば当然の話ではあった。
人間が審判をやっていた時代にも、試合を上手く盛り上げられる名審判と呼ばれる人々が存在した。ピエルルイジ・コッリーナ。ハワード・ウェブ。マーク・クラッテンバーグ。
何故、彼らの笛は世界のフットボールファンたちに求められたのか。
それを解き明かし、自社の審判AIに搭載しなければならない。市場で勝つために。
かくして、審判AI開発競争の第2ラウンドが始まったのである。
各社とも知恵と工夫の限りを尽くして、あらゆるデータを集め、AIに学習させた。試合に参加している選手たちは無論のこと、スタジアムに来ている客や放送を見ている視聴者のバイタルデータも徹底的に集められ、分析された。
そして、そう、確かにそうした開発競争の結果として、試合は面白くなっていった。
各社の審判AIはフェアネスを保ちつつ、観客をエキサイトさせる判定を出すようになっていった。
すると、今度は「どの審判AIが最も優れているか」がフットボールファンの定番の話題となっていった。優れているとはこの場合、「面白い試合を作ってくれるかどうか」である。
それらの議論の中から「どれが最強の審判AIか決めようじゃないか」という声が生まれるまで、さして時間はかからなかった。
2039年。FAはFAカップを「最強の審判AIを決める大会」にすることを宣言した。
仕組みは簡単だ。
FAカップの予選第1ラウンドから決勝戦までは14ラウンドある。試合数は最近では150と160の間で収まる。これらの試合を各社が持ち込む審判AIに裁かせて、より「試合を盛り上げた」システムがラウンドごとに勝ち上がっていく。イングランドでプレーしているクラブならプロアマ関係無くどこでもFAカップに参加出来るように、審判AIもフェアネス認証さえクリアすれば、どこの誰が作ったものでもこのトーナメントに参戦出来る。
そして最後に残った二つのシステムが「最強」をかけて戦うのが、この決勝戦なのだ。
コイントスの結果、デヴリンの「24」は前半45分、シュタイナーの会社が持ち込んだ「グルント」が後半45分を担当することになった。
デヴリンはスタンドの一番上からスタジアムを見下ろしている。
今年こそはシュタイナーに「残念だったな。お前は良くやったよ」と言ってギネスをおごってやりたい。
選手たちが主審を先頭にしてピッチに入場してきた。
そう、主審だけは今も残っているのだ。理由は二つ。
一つは、審判AIでは選手の暴言が取り締まれないから。
もう一つは、選手たちが乱闘を始めたらすぐに止めるためだ。
試合が始まった。
開始5分、チャールトンの主将マット・ホランド・ジュニアが豪快なミドルシュートを叩き込んで先制。かつてイプスウィッチとチャールトンの両方のチームでいずれも主将を務めていたマット・ホランドの孫である。イプスウィッチのサポーターたちは複雑な表情だ。
デヴリンは拳をそっと握りしめた。
こういう綺麗な得点シーンは多分、審判AIの評価を上げてくれるだろう。FAは審判AIの評価規準を公表していないが、これまでの経験からして間違いない。いいぞもっとやれ。
試合はスリリングな展開を見せた。
ゴールはホランドのあれ以外決まらなかったが、好プレーの続出に9万人が湧いた。
これは勝ったな。いただきだ。悪いな、シュタイナー。
しかし、デヴリンの悲願はまたしても打ち砕かれることとなった。
後半64分、イプスウィッチのストライカー、デ・フォスが頭でゴール右隅に押し込んで同点。延長になるかと思われた後半91分、イプスウィッチのペナルティエリアの際でディフェンダーの手にボールが当たる。主審は一呼吸置いて、直接フリーキックを指示した。
そう来たか。
デヴリンはモニタールームにいる部下に視界内チャットで尋ねる。
「うちのだったら今のはどっちだ?」
「同じです。直接FK」
だよな。ここは違わない。フェアネス認証を通っているから当然だ。
ホランドが自慢の右足を振り抜き、ボールは虹のような弧を描いてゴールの右上に吸い込まれた。そして試合終了の笛。優勝はチャールトン・アスレチック。最優秀審判AIはグルント。4連覇だ。
デヴリンは何かに八つ当たりしてみたかったが、手頃なものが見つからなかった。
モニタールームに引き上げる途中で、デヴリンは今、最も見たくない顔を見ることになった。シュタイナーだ。そのシュタイナーは勝ち誇っているかと思いきや、苦笑いとも哀れみともつかない不思議な表情を浮かべて近づいてきた。
「残念だったな」
「来年の俺の台詞のお手本かい?」
シュタイナーは今度こそはっきりと苦笑いした。
「あんたんとこの24はいい線行ってる。悪くない。俺んちのグルントに勝てるとしたらあいつだけだ」
「ありがとよ」
「でも、今のままじゃ無理だ」
「んなこたあねえさ」
「良いから俺の話を黙って聞きな。今から企業秘密を教えてやる」
デヴリンは怪訝な顔をしてシュタイナーを見た。最大のライバル企業のチーフエンジニアに情報漏洩? どういうことだ?
「あんた、気は確かか?」
「おう。確かも確か。なあに、さっきうちのCEOから連絡があってな。あの哀れな24の連中に一つだけ、残念賞代わりの飴ちゃんをくれてやれとさ」
「余裕だな」
「ライバルは強くないと物足りないんだよ。さ~て本題だ。48年前の6月5日。何があったか知ってるか?」
秘書AIが素早く情報をポップアップさせる。
「第17回FIFAワールドカップ決勝大会グループE 第3試合。ドイツ対アイルランド」
「そうだ。我がドイツが決勝以外で唯一勝てなかったのが、お前の国だ。後半92分、右のセンターライン手前からスティーヴ・フィナンがロングフィード、ナイアル・クインが落としたところをロビー・キーンが決めて同点で試合終了だ」
「それがどうした?」
「俺があの試合を見たのは6歳の時だった。子供ながらにすげえ試合だと思ったよ。まるで試合全体が一匹の生き物みたいに思えた。あれこそ生きたフットボールだ」
「ああ」
デヴリンは曖昧に頷いた。
シュタイナーが再び尋ねる。
「あの試合の主審はわかるか?」
「キム・ミルトン・ニールセン。デンマーク出身。ニールセンのデータなら、うちの24にも食わせてるぜ」
「当時のトップクラスの審判だからな。学習させるのは当たり前だ。じゃあ聞くが、今日の主審の名前は言えるか?」
デヴリンは咄嗟に言葉に詰まった。もちろん主審のバイタルデータも取っているが、名前? 主審の名前など気にしたこともなかった。不要なデータだと思っていたからだ。
シュタイナーは片目をつぶってみせると、デヴリンの肩を軽く叩いて歩み去った。
デヴリンは我にかえると、すぐにチーム全体チャットに指示を送った。
「今日は残念だったが、来年はマイケル・ケインに似たドイツ人に一泡吹かせてやるぞ。明日朝9時にグラウンドに集合だ。グルントを2ライセンス持ってきてくれ」
翌日デヴリンは同じ試合に2ライセンス分のグルントを使い、二人の部下に同時に主審をやらせてみた。
結果は予想通りだった。
グルントは試合が始まった直後は二人の主審に同じタイミングで情報を通知していたが、10分もするとそれぞれに違うタイミングで情報を流し始めた。違うタイミングといっても、最大でわずか数秒の差なのだが、それでも結果は劇的だった。
試合がはっきりと盛り上がり始めたのだ。
グルントは個々の主審の個性を学習し、試合の流れを断ち切らないように、あるいは加速させるような情報の出し方を決めていたのである。
「最後は人間が判断する、か」
デヴリンは誰に言うでもなく呟いた。
確かにAIによって公正公平で正確な判定は出せるようになった。だが、その判定を伝えるのも、判定を受け取るのも、生身の人間だ。一人ひとりに気分があって感情があり、それらは千変万化する。判定自体はいじれなくても、その伝え方をきめ細かく調整することで、試合はこれほどまでに変わる。
そこまで考えていたのか、シュタイナーは。
ただもんじゃねえ。
デヴリンは楽しそうにフットボールに興じる部下たちの顔を眺めた。
今回は負けた。だが、フットボールは続いてゆくのだ。
行くぞ、来年もウェンブリー・スタジアムへ。俺たちは。必ず。
(了)
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「2050年のスポーツ」はいかがでしたでしょうか?
引き続き様々な未来をお届けしていきます。お楽しみに!
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