仕事が「好き」を定義してみよう
「好き」は最強なんて自分で言っているものの
こんにちは。ミライユの岡田です。最近Twitterをやりすぎて逆に140文字以上の文章が書けるのか非常に不安ですが、ふと思ったことを書き留めてみたいと思います。
僕自身よく社内でもTwitterでも「好き」に勝るものはない!「好き」is King的な発言をします。実施大変なこと同じことをやるにせよ「好き」でやっている人のほうがストレスも少なくて結果も出してしまう。そんな感覚は皆さんにもあると思います。
そんな価値観は例にもれず僕にもあるわけですが、「好き」ってそもそもなんだっけ?それってどうやったらできるんだっけ?ふと自問自答したときに、ちゃんと言語化できていないなと思い、今回はそんな自分の思考を整理するためにもつらつらと綴ってみようというわけです。
とりあえず「好き」の意味を調べてみる
辞書で「好き」と調べてみると”心がひかれること。 気に入ること。 また、そのさま。”と。。。うん。あまり参考にはならなかったです。仕事は恋愛に例えられることも多いので、「仕事を好きになる」を「人を好きになる」という人間関係に置き換えてみましょう。(ここからは完全に僕の勝手な意見です。)人を好きになる瞬間って恋愛であっても、友達付き合いであっても
・価値観が合う(共感できる)
・自分の価値観を受け入れてくれる(受容される)
・自分にとって、相手の人が必要だと感じる(必要性)
・相手ために、自分が何かできると感じる(貢献性)
みたいなパターンが多いかなと思います。価値観の相違や将来像の違いでの仲違いや「分かってくれない!!!」なんて痴話ゲンカを日常で目の当たりにすることを考えれば、あながちズレてはないかなと。
じゃあ仕事において「好き」に置き換えてみる
では、仕事が「好き」っていうのはいったいどういうことなんでしょう?さっきの人間関係の例を仕事に置き換えてみます。
「価値観が合う(共感できる)」
これはわかりやすいですね。その会社のビジョンや理念に共感できるってことじゃないですかね。いくら興味のある職種であっても、目指すべき方向性であるビジョンが自分の描いているものと全く違ったり、提供したいバリュー(価値観)が会社とズレを起こしてしまうと、やっぱりその仕事って好きにはなれないんだと思います。
自分の価値観を受け入れてくれる(受容される)
どんなに結果を出していたとしても、自分の意見を言っても認めてくれなかったり、受け入れてもらえない状況になると人って疲弊しますし、そもそも自分の存在意義みたいなものが感じられづらいですよね。人ってやっぱり一人では生きていけない生き物なので、孤独な環境では「好き」は発動せず、自分を認めてくれる環境だと心理的安全性も高まって、その環境やそうしてくれる人たちを「好き」になるんじゃないかな。
多様性や個性を受け入れるなんて言葉が今になって高らかに謳われていますがいますが、人が好きになる原則ってこの「自分を受け入れてくれるかどうか」だと思うので、それって昔から変わらないですよね。きっと。
自分にとって、相手の人が必要だと感じる(必要性を感じる)
恋愛や人間関係をメリットみたいな言葉で語ってしまうと少し陳腐でドライな感じがします。なんでしょう?「補完関係」みたいなイメージでしょうか。自分の人生に対してその人が必要だと思うから「好き」になるわけで、それって仕事でも一緒じゃないかなと思うわけです。その仕事が夢を実現するために必要だと感じたり、今の自分の付けたいスキルに対して環境が整っていれば、つまり個人の人生に対してそれを加速するような補完関係があれば、仕事を「好き」になるんじゃないかなぁ。
相手ために、自分が何かできると感じる(貢献性を実感する)
これも恋愛だと聞きますよね。「自分がいないとあの人はダメなの!」みたいなやつですかね。ちょっと言葉は悪かったかもしれないですが、自分がやっている仕事が「誰かのためになっている実感」があれば、人って自分とその人の繋がりを意識できるので、自分が価値提供できているという実感が「好き」へと昇華していくような気がしています。もっと大きな言葉でいうと「誰かを幸せにしている実感」と「社会につながってる肌ざわり」こんなものを感じられる仕事なら「好き」になるんだと思うんです。
4つから見えてきたこと
「共感できる」「受容される」「必要性を感じる」「貢献性を実感する」この4つをまとめてみますね。つまり仕事を好きになるって、
・将来のビジョンやバリューが自分の価値観と合うこと
・個人の価値観を尊重し、受け入れてもらえること
・自分の将来や夢に対して繋がってるという実感
・誰かを幸せにしているという社会貢献性の肌触り
これらがコンプリートすると間違いなく「仕事が好き」「会社が好き」ってなるわけです!!(多分)
僕らが会社としてやってること
ってなると、会社として「好き」になってもらうためにやることなんてシンプルです。ここではミライユでやっていることを一例として挙げてみますね。
「将来のビジョンやバリューが自分の価値観と合うこと」
まず大切なのか会社のビジョンをしっかりと言語化することですよね。こちらに関しては「ビジョンマップ」を作成して、自分たちの目指すべき方向性や存在意義、メンバーに求める価値観などを言語化しています。
ビジョンってメンバーとの約束だと思うので、その約束を経営者の頭の中だけじゃなくてちゃんと言語化して誰でも見れる形にするって大事だと思います。この画像は具体的なビジョンマップです。僕らの場合は「ミライに選択肢を」がミッションですので、「対ユーザ(助けたい人)」「対業界(守りたい業界)」「対ミライユメンバー」に対して選択肢を増やすための約束事を具体的に定義しています。
そして次に大切なのは、個人の価値観を理解することだと思います。ミライユの場合は入社時の面接で、価値観を理解しに行くために「原体験」のヒアリングしています。その人が今持っている価値観はいったいどんなライフイベントによって形成されたかをしっかりと会社として把握した上で、会社の価値観を伝えることで、相互の価値観のズレを起こさないように気を付けています。
個人の価値観を尊重し、受け入れてもらえること
ミライユの場合、「常に会社よりも個人を優先する」という考え方があります。会社都合で個人の人生を左右することがあってはいけません。原体験から得られた価値観や、キャリア面談で得られた将来像に対して、最適なポジションで業務をしてもらうことを常に優先しています。例え短期的な業績が下がったとしても、その人にとってポジションを異動したほうがいいと判断した場合には、迷わず異動させることにしています。あくまでメンバーは「自分」の人生のために必死に努力をする。会社と個人のベクトルさえ合っていれば、それってつまり会社の成長にもつながるという考え方ですかね。
自分の将来や夢に対して繋がってるという実感
ミライユでは、入社時に5年後10年後の目標を作文にしてもらいます。それを僕や配属部署の責任者が把握をして、定期的なキャリア面談の際や人事考課のタイミングでは業務上の評価に加えて、個人の目標に対しての進捗状況もコミュニケーションをしていきます。一番大切にしているのが、会社の中で今やっている業務が、どのように個人の「夢」と繋がっているのかを認識してもらうことですので、そのあたりを丁寧に上長から意識的に伝えるようにしています。逆説的にいうと、ただ与えられた数字を達成しても、個人の夢に対しての成長が見られないのであれば、指摘されることすらあり得る会社です。
誰かを幸せにしているという社会貢献性の肌触り
これがミライユの特徴だと思うのですが、「会社ってそもそも社会貢献をするためにしか存在していない」っていう概念があるので、社会貢献というキーワードを普段から連呼します。社会貢献っていうとちょっと壮大なんでうすが、「社会貢献=誰かを幸せにすること」と定義していて、それが営業職であれ、バックオフィスであれ、自分たちはいったい何を幸せにするのかを伝え続けています。絶対に守りたい価値観としては「①誰かを幸せにして、②初めて僕らはお金ももらう」この①→②の順序を何があっても守るということです。
なのでいくら受注が見込めたとしても、本当にその人のためになっているのか、その企業の役に立てるのかを必死に考えて、自分たちの貢献性が見いだせないのであれば、受注はしないと判断することを徹底します。
この「誰かのために」という原理原則を一点の曇りなく、ピュアな価値観として貫き続けることで、メンバーには自分たちがやっていることが、世の中のためになっている、社会貢献へと繋がっているという肌ざわりに近いものを実感してくれてるのかななんて思っています。
会社って「個人」の積み上げでしかないって考え
いくら「会社は個人を優先すべきじゃない」とか、「個性なんかを優先しててはダメ」とか、「キレイごと何て言ってたら売り上げは上がらない」と言ってみても、結局会社なんてものは個人が積みあがった集合体でしかないし、その個人個人が気持ちよく成果を出してもらわないと売り上げにも繋がっていかないわけです。
だとしたら会社が社員を選ぶ!みたいな考え方ではもうやってける時代ではなくて、会社が個人から選んでもらえる、つまり「好きになってもらえる」ことって言うこと自体が、未来に対して永続性を持てる会社なんじゃないかな?っていうのが僕の個人的な意見です。
会社なんて学校でいいに込めた想い
その究極系がこのミライユのコンセプトの「会社なんて学校でいい」ですね。すべての若者が、学生から社会に出ていきなりアウトプットなんてできません。でも会社というものは社会に出た「4月1日」を境に突然アウトプットすることを求めます。
夢の持ち方、仕事の意味、社会貢献することの嬉しさ、そんなものを教わる前にいきなりアウトプットを求められると、自信の将来と今がうまくつながらず、「今」に追われ、「数字」に追い込まれ、「会社」に潰されていきます。「社会人だから当たり前だ。会社は学校じゃないんだから。」そんな価値観はとってもナンセンスです。
学校では教えられることには限界がどうしてもあります。だとしたら社会と学校のその狭間のグラデーション期間として、ミライユが学校みたいな会社か会社みたいな学校かよくわからない組織にしていきたいと考えています。その方が選ばれる、好きになってもらえるそんな打算的な考えももちろんありますけどね。でもこれは本心んです。
会社なんて学校でいいに込めた想いのもう一つの意味
これってあまり公にはしていないのですが、会社なんて学校でいいには、もう一つの意味があります。(たぶんミライユの人も知らない)
それは「卒業」を前提にすることです。ミライユのメンバーってピュアだし、僕がうっかり作ってしまったこんな会社に動機づいてくれるし、もちろんみんな必死に結果も出してくれるし、僕としてはこんなに必要でかわいくて、想い入れの強いメンバーはきっと今後も出てきません。
僕の人生にとっては居心地がよく、必要な人たち、それがミライユのメンバー一人ひとりです。でもそれってあくまで主語が「僕」にとってなんですよね。彼らにとってはいつか外に出た方がもっと力が発揮できるだろうし、世の中にとっても彼らのような社会貢献したいという「想い」と「力」が両立している人って貴重だから求められると思います。だとしたら、彼らはいつか卒業をしていくべきで、僕の個人的な感情で手元に置いておくべきではないんです。その戒めも込めて「卒業」を意識した学校をコンセプトにしています。
僕にできることはせめて彼らにとって最適な場所であり続けるために、自分がとにかく成長して、少しでも彼らと長い時間を共にするために抗うぐらいでしょうかね。笑。そんな感じの会社です。