友達が誰もいない人間が同窓会に行ってみたら人生変わった話。
「同窓会のお知らせ」こんなハガキやメールが来るたびに、自分の孤立が自分にバレてしまいそうで見て見ぬふりをしていた。20代前半。今日はその時のお話。一通のメールが人生を大きく変えるなんてその時は予想もしていなかった。
恐らく2015年の秋。一通のメールが届く。タイトルは「●●高校大同窓会のお知らせ」。僕は中学から大学までいわゆるエスカレーターの学校に行っていたので、高校の同窓会といっても中学から大学までの10年間を過ごしたナカマが集まる。そもそも僕は中学・高校と友達と呼べる友達がいた覚えがない人間なので、「同窓会」なんてものは苦行でしかなく、そいつに「大」なんて付こうものなら戦地へ飛び込むぐらいの覚悟がないと参加はできないのだ。というか行く意味もなければ、幹事の側も呼ぶ意味もない。そんな感情でこのメールをいつも通り無視していた。
いきなりとても寂しい青春を歩んできたお涙頂戴ストーリーのように見える冒頭だったけど、実はそうじゃない。僕は中学でも高校でもずっとクラス委員をしていたし、体育祭や文化祭の実行委員もしていたし、演劇では主役も演じていた。おそらく周囲から見たら「陽キャ」に大分される人間だった。ただし性格もキツく、自分の主張は一切曲げないし、自分と違うものは排除するタイプの人間だったので、周りから「嫌われている」という自覚はもう幼少期から大学までずっとあった。
それでも何かに繋がっていないと不安だから、友達がいなくても無理矢理クラス委員とか実行委員という「役職」という力で実行支配力を持つことで強権的な「繋がり」を得ようとしていたことは今ならわかる。
で、話を戻すが同窓会なんてものは自分のことを嫌いな500人以上の集団に飛び込んでいく儀式なので、こんな人間が行くはずもないのである。そう思っていた。
その「戦地へのお誘いメール」が来た翌日。高校1年生の時のクラスのメンバーからLINEが届いた。「同窓会行く??」とだけ。LINEをくれたこいつは少し特殊な関係で、孤立仲間というか。なんとなく自分と似ている境遇の人間だったので友達ではなかったが普通に本音で話すような間柄ではあった。そしてこんなやり取りをしたのを覚えてる。
岡田「行かんやろ。友達おらんやん。」
こいつ「え?俺のこと??うるさいわっ!」
岡田「え?お前ちゃう。俺や」
こいつ「は?友達おらんのは俺や。お前おるやろ!」
岡田「は?何言うてんねん。おらんわハゲ」
こいつ「ハゲちゃうわ。デブや」
間違いなくこんなやり取りだった。どっちが友達がいないかをアピールしあう謎のやりとり。この場はこれで終わったのだがなんとなくモヤモヤだけが残っていた。「なんでコイツは自分に友達がいると思ってるんやろうか。。。あほなんか?」と。
そこから数日後、このやりとりをミライユのメンバーにしてみることにした。ミライユのメンバーからしたら、言うても28歳の比較的コミュ力高めの社長なわけで、さすがに大人としてのビジネス力をつけた後で、メンバーとも楽しく過ごしている僕が「友達はいない」と主張しているのが違和感だったらしく、どうしても納得してもらえなかった。それが癪だったので、
「同窓会に行ってどれぐらい本当に嫌われているかエビデンスを取ってくる!」と謎の宣言を僕はしてしまった。やっちまった。。。
ということで僕は「大同窓会」に参加することになった。日時は1月3日の京都ロイヤルパークホテルだったかな?東京で仕事をしている僕にとってはちょうど正月の帰省と重なったこともタイミングとしてよかった。
当日、「元バイト先の友達と飲みに行ってくる」と母に言い残し会場に向かった。「同窓会」という言葉を母に言うのもなんだか違和感あるぐらいに学校には友達はいなかったのだ。(余談ですがバイト先はめちゃくちゃ友達多かった。と思ってる。)
いざ、京阪の樟葉駅から電車に乗る。降りるのは三条駅だ。毎日毎日10年近く乗り続けたこの電車を懐かしくも同窓会に行く緊張感で脳内に複雑な感情を巡らせ物思いにふけっていた。「出町柳~~♪出町柳~~♪終点です。」とアナウンス。やっちまった。。乗り過ごした。
もはや急いで参加したいイベントでもないため、特に焦りもせず20分遅刻して会場に到着。そこで恐ろしい事態に遭遇した。会場はおそらく普段は結婚式をやっているようなパーティー会場。一人では開けられないんじゃね?コレ。ぐらいの巨大で重厚なドアが僕をお出迎え。この中ですでに500人が楽しい会をスタートしているのだ。そして遅れた僕を笑顔で待ち構えるホテルスタッフ。彼らは大きなドアに手をかけて今にも僕を地獄へ誘おうとしている。やばい、これでは「新郎新婦の入場です~~~~!!!」に登場する側の人と同じだ。。。主役になってしまう。。。500人の敵地に乗り込むのに主役になってしまう。。。。もう踵を返し帰ろうと思った。でも僕にはミッションがある。「どれぐらい嫌われているかのエビデンスの収集」だ。行くしかない。
覚悟を決めて地獄へと飛び込む。みんなスーツやドレスで精いっぱいのおめかしをしている。おい聞いてへんぞ。敗れたジーパンにピンクのパーカーで来てもたぞ。。。会場にはおそらく30個ぐらいの丸テーブルがあるタイプの立食スタイル。晩さん会にシンデレラの変身前の姿で来てしまったような状態にプチパニックになっていると一人の青年が声をかけてきた。「岡田。ここに名前書いて~8千円な。」と。「おお。」と微妙な返事をしたのを覚えてる。「誰や?こいつ・・・。」
ここまで来るともう無敵状態。各テーブルを回って嫌われてるエビデンスを取得して早々に退散しようと思った。トータル30人ぐらい話したかな?少し想定と違ったリアクションが返ってくる。
「Facebookで活躍見てんで!会社創ったんやろ?」
「クラス合宿のあの時楽しかったよな~!」
「お前同窓会誘ってんのに今まで無視すんなや!」
「お前が新卒で入社エスエムエスって会社、今取引してんぞ」
「今俺も東京いるから飲みにいこうや」
おや?おかしいぞ。学生の時にクラス中から嫌われて、そのあと10年以上疎遠になっている者に対しての対応があまりに優しすぎる。ん?みんな大人になりすぎっちゃったのか??もっと嫌いエビデンスをくれよ。
勇気を出してその場にいる同じ学校で共に暮らしていたであろう皆さんに、「質問があります。岡田はとっても嫌われていたと思うのですが、そのエピソードトークをいただけますか?後学のために。(原文ママ)」
と聞いてみた。かなり多くの人に回答してもらったのだが、結論皆さんが言ってたことは一つだった。
それは
「お前が勝手に孤立している空気を出していた。か・ん・ち・が・い」オリンピック招致のプレゼンが2013年9月だから、まだこんなネタが蔓延していたんだろう。周りはこの「か・ん・ち・が・い」に爆笑していたわけだが、僕としては結構な衝撃が脳内に駆け巡った。ああ、人から嫌われていると思って過ごしてきたこの時間は、すべて勘違いでこちらから距離を取っていただけなんだ。と。
そして救われた気持ちと10年という膨大な時間を無駄にしてしまったという後悔でぐちゃぐちゃの感情になった。当時ミライユという会社でもマネジメントが上手くいかず、メンバーから距離を取られている、嫌われているという感情に支配され、彼らとうまくコミュニケーションが取れなくなっていた。学生の時に嫌われているという自覚の中で学級委員をやっていたあの感覚とかなり近いものだったように思う。
会社もうまくいかず、メンバーともうまくいかず、それでも「仕事が楽しいなんて当たり前でしょ!」なんて標語を掲げて新卒採用に乗り出した、そんな時期。もしかしたら同窓会に行こうと思ったのは必然でもう自分の限界だったから過去の「原体験」を遡りに行ったのかもしれないな。今ならそう思う。
当時はこの同窓会の「か・ん・ち・が・い」という言葉が運命を変えてくれるキセキの言葉に感じた。その日からマネジメントスタイルを完全に180度変えようと努力した。
「メンバーとの距離をあえて取らない」
「むしろ孤独を感じたら積極的に彼らに話しかける」
「あえて嫌われる必要なんか絶対にない」
「相手は自分が思ってるほど自分に興味はない」
「自分が抱いている負の感情は勘違いかもしれない」
そんなことを戒めとして言うように変わった。
これって今でも僕がよく言う「ことば達」人生っていうものはたった一言や一つのイベントで大きく変わる。それを学んだ大同窓会。
今度小学校の同窓会が東京で開催されるらしい。こればっかりはもっと嫌われてた自覚があるけど、勘違いだと信じて予約ボタンをポチってみますか。