見出し画像

フェンスぎりぎり

広島市民球場

幼い頃、僕は野球選手になりたかった。友達が亀田興毅に憧れてシャドーボクシングをする中、僕は人に気づかれないように盗塁フォームの練習をしていた。そのくらい野球が好きだった。応援していたのは広島東洋カープ。確か「はだしのゲン」を読んだときに知った『樽募金』が印象的で好きになった覚えがある。

あるとき、野球中継を見ていると球場によってホームランの出やすが違うことに気づいた。カープの本拠地である広島市民球場は、他の球場に比べて明らかに入りやすい。ナゴヤドームなんかと比べてフェンスが低いとは思っていたが、どうやら他にも色々要素があるみたいで。

野球好きの保護者に聞いてみると、両翼の広さ、フェンスの高さ、そして、左中間、右中間までの距離が球場によって全く違うのだという。それが広島市民球場はかなり狭いんだとか。なるほど。
このときから、僕は謎に『狭い球場』に惹かれ始めていた。

プロスピ5

僕はなけなしのお小遣いを握りしめて、近所のゲオをうろついていた。友達の母からもらったPS2のゲーム、『ベースボールライブ』を遊んでいたのだが、だんだん飽きてきてしまっていたのだ。飽きてきたというか、もっといろんな野球ゲームで遊びたくなったというか。

たとえば『プロ野球スピリッツ』シリーズは毎年新作が出ていて、年ごとに使える選手が少しずつ変わっていく。昔はどういう選手がいたのか、ということに興味が出てきて、色々漁りたくなったのだ。その日はプロスピ5を手に取って、レジに向かった。

それからプロスピ5に熱中する日々が始まった。これがめちゃくちゃ面白かった。学校にも行っていなかったので、本当にずっと遊び続けていた。時間も有り余り、遊び尽くしてしまった結果辿り着いたのが、「どれぐらい詰まらせてもHRが入るのか」という縛りプレイだった。

プロスピ5のオリジナルステージ、「市民球場」は両翼87mと意味わかんないぐらい狭く、ある程度パワーのある選手が打てばミート打ちでホームランを出すことができた。
(2024年現在、本拠地野球場の中で一番狭い球場である横浜スタジアムの両翼が94m、当時最も狭かった旧 広島市民球場が91mだから”87m”というのは相当狭かった)。

ペナントレースというモードで、パワーS評価だったカブレラやタフィーローズをカープに入れて始める。そして、市民球場での試合で、ミート打ちを下方向から掬い上げるようにして打つ。すると、他の球場では明らかに凡打のはずの球が、ネットを越え客席に吸い込まれていく。これがめちゃくちゃ面白かった。僕はフェンスぎりぎりで入っていくホームランに夢中になっていたのだ。

鴨池球場

僕は中学一年の頃から養護施設に入っていた。そこには時折、プロ野球の観戦チケットがプレゼントされ、施設の野球部に所属している人の中から観戦できる人が選ばれていた。

入所してわりとすぐに、僕にその機会が訪れた。近くの球場で楽天 VS ソフトバンクの試合があるんだとか。僕は初めてのプロ野球観戦に、浮き足立ちながらその日を首を長くして待っていた。

春。少し風の強い曇り空。屋外観戦には過ごしやすい天気だった。球場は鴨池球場というところで、両翼は98m。公式戦にしては少し狭いくらいの場所だ。座った席はレフトポールの斜め手前の席。観客は満員。人々のざわめきがうねり、抑えようもなく胸が高鳴る。

選手が目の前でキャッチボールをしていた。それが一度引き、守備の選手がコートに出てきて、遠くで球審が「プレイボール」と合図をした。試合が始まる。じわじわと熱気を増す球場。一回表、ピッチャーはソフトバンク 攝津。構えて、一球目を投げた。

速い! 速すぎる。思わず一緒に来ている友達と顔を見合わせた。これがプロ野球選手の投球か。生でみると全然違うな。他にも、初めての観戦は驚きの連続だった。ランナーの一塁到達までの早さも違う。パワーヒッターのイメージがあり、足はそんなに速くなさそうだと思っていた選手も、目の前にすると普通ではない速さで、迫力があった。

そんな試合は2回表。引き続きピッチャー 攝津。打席には楽天 牧田が立った。構えて、投げる。コースは外角高め。それを牧田がちょこんとライトに流し打ちをした。ライトフライかな、とふわっと飛んだ打球をぼんやり眺めていると、それが、ストンと客席に落ちた−−。

入った! いまのが、入った!

その時、僕は異常なほど興奮してしまったのを鮮明に覚えている。ふわりと飛んでいき、フェンスぎりぎりで客席へ入るホームラン。これがナゴヤドームだと絶対に入っていないのに、少し狭い球場で、少し風が吹けばホームランになってしまう。これで入るんだったら広島市民球場やばくない? 「市民球場」は言わずもがな。そりゃいくら詰まらせても入るわけだ。

横浜スタジアム

テレビの野球中継でも両翼を追っていた。どちらのホームでもない、ローカルな球場で行われる試合が狙い目で、たまに両翼が96mのところがあってそういう試合を見れた日はとても嬉しかった。

狭い球場は、それはとても不公平だと思う。ヤフードームでフェンスぎりぎりのフライを打ったときは「あとひと伸びでしたね」とか言われるのに、広島市民球場で詰まった球がホームランになると「最後の粘りで持っていきましたね」とか褒められる。この不条理さに僕は魅せられてしまうのだ。

広島東洋カープの本拠地、広島市民球場。いつか行きたいと思っていたが、僕がまだ小学生だった2009年に移転、解体が決定されてしまう。両翼91mを誇ったその球場は見放され、カープのホームは「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」へ。両翼は100mだという。
それを知った幼い僕の、言いようのない無念さを想像してみてほしい。ついに広島市民球場へ足を運ぶことは叶わなかった……。

その後、僕の興味は「横浜スタジアム」へと移った。横浜ベイスターズの本拠地で、その両翼は94m。若干フェンスは高いが、12球団の中では一番狭いホームだ。

広島市民球場が解体されてから10余年、東京でホームレスをしていた僕は横浜スタジアムに行こうと思い立つ。鬱っぽくなって重たい体をなんとか持ち上げ、新宿駅からJRを乗り継ぎ、根岸線・関内駅へ。

改札を出ると、もう球場の方から会場を盛り上げるアナウンスが漏れ聞こえていた。昔を思い出しながら少しワクワクしてくる。

しかしそんな中、結構派手に喧嘩をしているカップルが目の前に飛び込んできた。なんかついてないな、と思いながら通り過ぎようとする。するとそのとき、ふと女が右手をふりあげ、男の頬をバシッと平手打ちした。

現実。すっと、僕の中から高揚感が抜けていく。なぜかビルボード裏の排気口を思い出しながら、足を止めた。よろよろと近くのベンチに座り込み、もう今日は、観戦は諦めようと思った。
結局、僕は横浜スタジアムにも行けていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?