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人生の中の分岐点ときっかけは全てが直感。


おはようございます☀︎ ayaです。

今回は私が介護職を天職だ、と思えたきっかけ、
天職にしようと心に決めたきっかけを
雑談っぽく、心理学の端くれっぽく、
話そうと殴り書きしてみました ⚑⁎∗

これを読んで 「お。こいつ面白いな。」と
思ってもらえたら、そして左横のハート貰えたら
尚のこと嬉しいです。◡̈⃝︎⋆︎*


介護にはまだまだ未来があり、続きがあり、
そして死角がありすぎます。
そんな【介護の死角】的なものにも
少し切り込んだお話をスタエフで
お話させてもらったりしているので、
是非こちらもよろしくお願いします𓂃 𓈒𓏸


人生ってしっかり辿って、振り返ってみれば
【直感】ほど分岐点になってる事ありませんか?



・バイト三昧の日々と高校生活との

人間関係の落差

中学を波乱万丈に卒業した後の
高校生活は初めはそれなりに楽しかったです。
元々コミニュケーション能力が皆無だったのと、
 自己肯定が低い人間だった為、毎日吐きそうなのを堪えながら、心臓バクバクさせながら、
学校に通ってました。笑

そんな私でもたわいない友人がちらほらでき、
家庭内環境のいざこざも踏まえて高校入学
と同時に一人暮らしを開始。

バイトも同時に開始したのですが、学校に価値を
見いだせず、尚且つ交友関係もギクシャクしだし
ややこしい環境下だった為直感で退学しました。
いや、退学してやりました。

今思えば私の直感はだいたい分岐点です。笑


こう、なにか物事を決める時って直感だ
思うんです。ものを買うのも、人との関わり方の
さじ加減も。悩む暇など与えてしまったら
選択肢と言い訳を並べてしまうのが目に見えてる
性格なもので。あーだ、こーだといってる間に
びっくりするぐらいの時間が過ぎてて
結局自分はどうしたいんだ?って言う
訳の分からんループに昔にどっぷりハマった事が
あるからかも知れません。笑


・メンタル崩壊の末


バイトメインの生活が始まりましたが、
しっかりと社会に出たわけでありまして、
もう色んなことに揉まれました。笑

バイト先の人間関係、バイトの中でも
サブ的な立ち位置になり、バイトの中の長として
バイトの子のメンタルケア、上の人との人間関係
や、上下関係etc...

17、18で経験する事なんか?!?っていうものを
たくさん経験させて頂きました。笑笑

そのおかげもあってコミニュケーション能力や
心理的判断力や洞察力、観察力、TPOは
一通り学んだ気がします。笑笑

【環境】によって、汲み取った内容を
【欲しいタイミング】が分かるように
なれました。これは今だにかなりの強みです。笑


・母親の興味本位の延長戦

そんなこんなで月日は風のように過ぎ、
20も目の前という19歳の頃に就職という
キーワードが頭をちらつかせ、悶々とする日々を
送っている中で、母親から

介護の勉強しようと思うんやけど

という相談を受けたんですよね。

そんな仕事あるんやなあ、ぐらいの感じで
聞きながら「あんたもやってみたら?」と。

名前も聞いたこともない、何をするのかも
分からない業種の資格をアドバイスされ、
ここでこれまた直感で動いたんです。

「やってみるのもありかな。」と。

それは何故か。ほんっとになんとなく。

と、中学生の時に最愛の祖母を亡くしたのですが
たぶん今思い返しても人生で一番と言える程、
色々頑張れた時期だったからかもしれません。
そう、自分で自負できるぐらいに。

学校生活に家庭内のあんなことやこんなこと、
祖母の病院へ泊まり込みで世話をして、早朝
家に帰り学校に行ったり部活に行ったりと。
よくもまあ14でそこまでやるな、と自分自身を
褒め讃えてやりたいぐらい。笑

痰吸引も経験していましたし、清拭も
行っていました。(あの頃は何も知らずに。)

まあ、一人暮らしだった為貯蓄もなく祖父に
借金をしてヘルパー2級の学校へ通い出します。

今こうして振り返ると見えてきましたが、
人生で初めて自分の人生に
借金】をして、【投資】した瞬間でした。


・資格取得学校での出会いと就職


資格を取得するために通うようになって実際に
経験したいと思うようになります。

そしてこんな私ですから小さい心臓の持ち主が
思い切って同じ学校へ資格取得しに来ている
施設経営に携わっている人となんとか交友する
ことが出来て、トントン拍子にその施設へ
就職することになります。

その頃はほんとに小心者で、【知り合いがいる】
環境下の安心沼にどっぷり使っておりました。笑



・ 初めて生と死を客観視した瞬間



資格取得後、4年半勤め続けた飲食店を退職し、
晴れてその施設に初就職。

そこで約5年、勤めました。
正直、とても恵まれた環境でした。

職員の人間関係は未だにその時以上の感覚は
味わえていません。

皆が皆同じ方向性を受け止めて、真摯に
利用者様に関わり、ADLやメンタルケア、
家族様との交流を密に行えるチームワークを
築けた職場でした。

そこで数名の方とのお別れを経験します。

ある利用者様と夜勤業務に口喧嘩をし、
挨拶もままならないまま退勤した
その日に亡くなる。という経験します。

初めての経験でしたのてそれはもう、
わけも分からず泣き喚きました。
感情の置き場所が見つからない。
自分の対応の仕方に責め立て、後悔しても
二度とその瞬間には戻れない。

後悔の念に駆られて、この仕事に携わる自信すら
も無くしました。それからですかね、
私の人生の中のモットー欄に追加されたのは。


" しない後悔よりした後悔の方がよっぽどいい"


この言葉はどの場面にも適用されます。

友人関係や家族、子供や旦那さんetc...
私に関わる人全てに適用されます。


私だって人間ですもの。
“しんどいな”     “めんどくさいな” 
思うことは多々あります。


でも最終の決定ボタンは

【 その選択で 後悔するか、しないか。

その二択で選択しています。



・自分の力不足と知識不足のその先には


そうした後悔や葛藤を経て、気づいたんです。
その人の人生の一部分に携わっているんだ、と。

たった1年でも数ヶ月でもその人の長い命の
年月に携わらせて頂いてるだ、と。
だったらめいいっぱい関わろう、と。

いいも悪いも、全て全力で利用者様個々と
向き合うことがこの仕事の本意なんだと。

そう気づいてからは自分自身の人生と、その人の
人生の重なりを大事にするようになりました。

私に一体何ができるのか。

この人の人生の1ページにどう携われるか。

を軸にするようになりました。

その人そのものの意思の尊重を継続させるには
何が必要なのか、何を提供すればいいのか、
その人と家族様の架け橋になるには
何が必要なのか。

考えながら仕事に対しての自分の軸を形成させて
いきました。そうしている内にレスポンスが
貰えるようになりました。

同じように携わる立場の職員さんたちには
共感、共鳴してくれる仲間となり、同じ方向性を
目指す仲間となり、「あなたのおかげで残り短い
時間、有意義に楽しく過ごすことができました。」と家族様からの感謝。

このレスポンスの為に私は今日もこの軸を
胸に現場に入ります。

これが正しいのかなんてわかりません。
実際、色々な複雑な心境や相違する思いが
絡み合う仕事でもあります。

家族としての心境、当事者としての心境を
擦り合わせることが難しく、その壁に苛まれる
事も沢山あります。

だからこそ私が思い描く私らしく、
そして軸を持ち、同じ方向性を向いた
まに走ってくれるホワイトな事業所を
設立するのが私の夢です。

分岐点はいつでも転がっています。
過去にたくさん落としてきているはずです。

拾いに戻るのも悪くありません。

今ある環境の中で、たまには下を向いて膝を抱え
てみるのも悪くないものです。あなたの
タイミングでしゃがんで見てください。
掘り出し物が見つかるかもしれません。


見つけたものをどう組み合わせていくか、
その時の自分の心と会話できるか、
直感的に判断できるか、で人生の分岐点は
枝のように分かれていきます。

何をどう選択するか、どの部分を分岐点にするか
で、左右されるものなんだ、と身をもって
体験しているのが【人生】なんだと思います。



それではまた。


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