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自閉症と向き合うまで。🌱𓂃 𓈒𓏸⑴



こんばんは◡̈⃝︎⋆︎*こんにちは。あやです。

今回は、私が
【自閉症に向き合えるようになるまで】
の過程をお話したいと思います𓂃 𓈒𓏸

そんな感じだったなあと
客観的に読んでいただけたらと思います⚐⚑




何か違う、【違和感】を感じたのは
1歳をすぎてからでした。

新生児から乳幼児の頃の長男くんは、
比較的育てやすい赤ちゃんでした。

1歳を過ぎるまでは、何も気にすることも無く
子育てをしていました。

それなりに日々悩みながらも愛しさで溢れて
【育児】というものを心底楽しんでいました。



区役所の検診を受けるまでは。


1番初めに検診でひっかかったのが
一歳半検診の『指さし』です。

1歳をすぎると自分の欲求はまず、

【指さし】で伝えるという
手段を憶えるそうです。

ですが我が子には全くもって
ありませんでした。


そして 次に〖 発語 〗です。
単語すらまだ発していませんでした。

いわゆる喃語です。
出る声全てが喃語でした。
喃語で精一杯伝えてくるものを
汲み取っては予測して対応していたんだと、
初めて自分の行動に気づかされました。

区役所の検診で初めて
私の中で【不安感】がよぎり出します。

*ミニカーを横に並べる
*好きなものを何度も何度も見せろとせがむ

今まで気にならなかった事まで
全て疑心に変わった瞬間でした。


何かが(周りと)違うんだ。



そこからの3歳児半検診までは
私の心にも頭の片隅にも、いつも
周りと違うこと】が
かすめるようになります。

「この行動は普通じゃないのかもしれない」
成長が遅すぎる」  「遅生まれだから」ーーー。


色んな情報と心が葛藤しては
ぶつかり合い、鉛のようなものが
溜まっていくのが自分でもわかりました。

それが嫌で見て見ぬふりをしていました。


次男をお腹に授かり、妊婦として
ママとしてまた新たな環境の変化に
ついて行くことが精一杯で
子供の成長、ご飯の悩み、育児に関する
小さな悩み事1つ1つに深く掘り下げる余裕も
ありませんでした。


そして瞬く間に月日はすぎ、次男も産まれ、
兄弟共に保育園に入園して、

ついに【団体生活】が始まります。

馴染むことは問題ありませんでしたが
進級する事に【壁】は立ちはだかりました。


担任の先生に相談しては、
毎日【周りと違う所】の不安と葛藤し、

それでもこの子なりに成長している嬉しさや
楽しさも少なからずありました。


そしてその不安がついに【確信】に
変わる出来事が日に日に増えます。


○嫌なこと、背けたい事があると
(今もそうですが特に眠たい時)

癇癪を起こすようになります。


指さしが出来た頃の安堵と共に
本人は言葉にできない歯がゆさと、
親として寄り添いたくても分からない
苛立ちとがぶつかり合う日が
日に日に増えていくと共に、
終わりのないトンネルの中にいるような
真っ黒い感覚が毎日襲っていました。


外へ出たいと「あっち!」「こっち!」
出てみたものの戻れと「あっち!」「こっち!」


抱っこしろと言われて抱っこしようもんなら
下ろせと暴れる。
泣きわめき、しゃっくりが出るまで
泣き続けていました。


そう、安易に1時間ほど


正直、私のメンタルはズタボロ。

旦那さんは変動勤務、夜勤もある為
ワンオペ育児は当たり前。

1番目が離せない時期の次男を放って
おくわけも行かず、頭ごなしに怒っては
罪悪感に苛まれ、子供よりも
泣いてしまう日もありました。


3歳児半検診までは待とう
今思えば待たなくてよかったのに、
もっと早く公的なものに頼っていれば。

一昔の私に今の私なら
そう声をかけてあげれるのに、と思います。


3歳児半検診では、1歳児半検診の時よりも
長男くんは明らかに成長していました。

が、いわゆる世間一般的な基準とは
かけ離れていました。
保健師さんに最後に言われた言葉が


【将来困るのはお母さんではなく、
   お子さんなんです。


後にも先にも1度は心理相談員と
面談して欲しい、と言われました。


私の中ではちゃんと成長しているのに、

この子なりに成長は出来ているのに。

なんで?どうして?



が、頭から離れませんでした。

心理相談員との面談、訪問も終わり、

成長過程の様子観察という判断が

おりた時。


最終的に背中をおしたのは
保育園の担任の先生でした。


マンツーマンでの援助が必要不可欠です。

団体行動が厳しい部分があります。

そう言われた時は正直、

頭に血が上ったのを今日の事のように

思い出します。

今では、その先生がしっかり我が子と

向き合ってくれていたからこその

保育士としての見解であり、正解でした。


その先生の一言で環境は一変しました。


通院、検査、書類の申請など。
療育手帳の発行までに約1年、

全ての手続きが終わったのは1年以上
経過していました。


診断名を下された瞬間が1番、
正直に言うと、心のどん底にいました。


頭の中は「 なんで?どうして? 」
なんでうちの子なんだろう?

毎日理由を探すために携帯を握りしめては
答えの無い世界でひたすら迷いました。

でも

「受け入れてやらないといけない。」
「生きにくい世界だから守らないと。」

そう思えば思うほど無垢に笑う子が
胸が張り裂けそうなぐらい悲しくて切なくて。

自分のせいだと嘆いては
何か」に【原因】を擦り付けたくて。

ひたすら原因を探し続けました。

そこで私の心にストンと
何かが落ち着いた瞬間がありました。

その時初めて我が子の
【障害】というものに向き合うことが
出来たのです。


それはまた 次回にお話します🌱𓂃 𓈒𓏸



今日もここまで読んでいただき
ありがとうございました𖠚ᐝ


私たちの角度とは違う世界で
今日も必死に頑張った息子に。

それに向き合ったママさんパパさん、


今日もお疲れ様でした𖠚ᐝ

明日も素敵な一部分を彩れるように。


おやすみなさい。☆。.:*・゜








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