私がコーチングを始めた理由
皆さまこんにちは。
ミライジク運営者の秋山です。
今回は「私がコーチングを始めた理由について」お話いたします。
コーチングではクライアントがコーチに対して自分の過去や現在、未来について話します。
そのため、コーチである私もありのままの自分についてあらかじめ自己開示しておくべきだろう。
そう思い今回の記事を作成するに至りました。
自分自身の過去を赤裸々に語るのは若干…どころか身体の至るところが大変むず痒い感覚がありますが「そんなことがあったんだ〜」程度で温かく読んでくださると幸いです。
※今回の内容は精神病の話など読む方によってはやや過激な表現がございます。不快な思いをしたりすることがあるかもしれませんので、このようなテーマが苦手な方は閲覧をお控えすることをおススメします。
■学生時代の私
それは私の学生時代の話にまでさかのぼります。
自分で言うのは恥ずかしいのですが、小・中学時代の私はクラスの中で比較的優秀な生徒だったと思います。
幸い両親が教育熱心だったこともあり,ある程度の勉強はできましたし、人並みの運動神経や身長が高いこともあり,部活動でも地区大会クラスでしたら活躍できる選手でした。
先生や両親の言うことはよく聞いていたため信頼をされていたと思いますし,クラスの学級代表や部活動のキャプテンに推薦されたこともありました。
そしてその期待に応えたいとも思っていました。
大きく道を踏み外すこともなく責任感も強かったので学校では中心にいる存在だったと思います。
ー無理をしていました。
正確に言うと当時の自分に無理をしている自覚はありませんでした。
しかし,今思い起こすと学生時代の私は「他人から見えているであろう自分を演じている」ような状態でした。
私は人から嫌われることを心底嫌い,期待してくれるできるだけ多くの人に好かれる(ちやほやされる)ことが好きだったのだと思います。
■高校時代の経験
前述したとおり,ある程度の勉強ができた私は県内の進学校に進むことにしました。
しかし、そこで壁にぶつかりました。
その進学校にはたくさんの「できる人」たちがいました。
当然、努力ができない人たちは努力ができる人たちに埋もれていき、自分は進学校クラスの勉強についていけず努力ができなかった(しなかった)一人でした。
そこそこできた勉強は学年順位で下から数えた方がはやくなり,継続していた部活動では高校レベルの練習や顧問の先生の叱責に耐えられなくなっていました。
これまでは周囲の期待に応えることが生きがいだった私は,実は何も持っていないのではないか?という感覚に陥っていました。
そんな状況に陥った当時の私は現状を変えるための努力もせず、この世の何もかもから逃げ出したいと思うようになりました。
しかし逃げ出すことも怖くて,何もしないまま時間を過ごす日々が次第に増えていきました。
「周囲の人の期待に応えたい」私は逃げ出したい現状を周囲の人に話す勇気もありませんでした。
そんなある日、私はこの世からいなくなればこの辛い現実から逃げ出せるのではないかと思い立つのです。
その日から次第に目に映る鋭利なものや車,電車がこの世からいなくなるための道具に見えるようになります。
故意的に事故にあうため車の交通量が多い通学路の道にわざと飛び出し、車の勢いに恐怖し逃げ出す。そんな朝もありました。
どうして最悪の結末にならずに済んだのでしょうか?
理由は簡単です。
そんな覚悟もなかったからです。
ー限界でした。
学校のある朝,体が起き上がりませんでした。
そこで心配した父が声をかけに来てくれました。
心と体に限界が来ていた私は,その胸の内を留めておくことができませんでした。
ー「死にたい。」
初めてその言葉を口にしたとき涙が止まりませんでした。
きっと父や母,周囲の友人は私がこんな状態になっていただなんて夢にも思わなかったと思います。
それくらい周りに助けを求めることやサインを出さずにずっと我慢していたのです。
それから私は精神病院にかかり,療養のため学校を休学することにしました。
これが私の人生で初めて味わった、「ありのままの自分を話す」という体験でした。
私が精神科医にかかり,診断された結果はうつ病でした。
今思うと病気になったきっかけは大したことではないように思うのですが,命を断ちたいと思ったことは事実ですし,まさか自分がそうなるとは思いもしませんでした。
一歩間違えれば今の人生がなかった可能性もあったのだと思うと今でもぞっとします。
それと同時に今、生きているありがたみを本当に実感しています。
■療養生活を経て
両親は「学校を休んだ方がいい」という医師の診断に理解を示し、私は高校を3か月間休学することにしました。
その3か月間は人生のガス抜きと言ってもいいくらい,なにもできなかったですし,なにかをしたいと思うこともありませんでした。
こんなに自分を取り繕っていない時間を過ごしたのは人生で初めてだったと思います。
何もしないことで,かつて「他人から見えているであろう自分を演じる」ことに縛られていた私は徐々に「何もしなくても生きてていいんだ」と実感することになります。
何もしていない自分を許すことに気付けたのは,何もしていない自分を許してくれる家族や友人がいたからです。
この3か月で「ありのままの自分」になれた私は勉強に対して努力ができない自分を許し,なぜか辞めてはならないと思っていた部活動をやめることにしました。
それでも当然、誰にも嫌われることはありませんでした。
当時、私の周りにいてくださった方たち、その後当たり前のよう私に接してくれた方たちには今でも本当に感謝しています。
■この経験が教えてくれたこと
その後の高校生活は,「頑張れない自分」を許してあげることから始めました。
もちろん成績は低いままでしたがそれでもよかったのです。
そして友人は私をもう一度部活動に誘ってくれました。
休学中にも連絡をくれた友人です。
一時は辛くてしょうがなかった部活動でしたが,自分を許してあげることができるようになった私は再入部を経て最高の学生生活を送ることができました。
自己分析の範疇を超えませんが私がうつ病になった原因は「周囲の人に認めてもらいたい自分」と「認めてもらうための努力ができない自分」に苛まれ、自己批判をしてしまったからだと思っています。
この経験を通じて、私は2つのことに気付きました。
1つ目は心の病にまでは至らずとも自己認識と他者認識のギャップに苦悩することが幾度となく訪れる可能性があること。
そして2つ目は、ありたい自分とありのままの自分が一致しているときこそ心が和らぎ自分を認めてあげやすいこと。
ではその後の私の人生は順風満帆のハッピーエンドだったのか?と言われるとそうではありませんでした。
病は治っても心や思考の癖は治らず何度も学生時代のように悩んでいます。
その度に私は私自身を許すということを繰り返しています。
そのような日々の営みの中でコーチングと言う言葉を知り、コーチという評価・判断をせずに、受け入れてくれる存在に出会いました。
徐々に「自分のことを認められる自分」や「やりたいことのために努力ができる自分」に変わることができたのです。
現在、私はコーチングという職業を通して、「安心してありのままの自分について話せる場」を作っています。
なぜコーチングなのか?と問われると「コーチはクライアントのありのままの姿を認め、心から本当にやりたいことを支援できる場」だからと答えます。
これは、かつて死を考えるまで許せなかった自分を受け入れることができた私だからこそできることだと考えております。
そして私は過去の自分がその言葉を求めていたように「ありのままのあなたが一番最高だよ」と伝えられるコーチとして活動をしていきます。
◎終わり
いかがだったでしょうか?
今回は過去の私の経験をさかのぼって話を書きました。
主観的でいささかまとまりのない文章になってしまいましたね。
最後にもしかしたら誤解が生まれるかもしれないと思ったのでひとこと。
「今はめちゃくちゃ楽しんで生きてます!!」
こんな文章を書いて説得力ないですね(笑)
たくさん語ってしまったので今日はここまで。
ありがとうございました。
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