農林中金の巨額損失から考えてみた
【農林中金が巨額損失】
農林中金の米国債券投資での損失(2.2兆円の含み損:2024年3月)が金融界の話題になっています。
これまで外債を買い続けてきた日本の官と民の金融機関に共通損失の一部が明らかになったのではないかという懸念があるかです。つまり、農林中金だけではない。
農林中金には、含み損を確定の損にし、米国債を売却して損失処理をする余力があります。農林中金は10兆円相当の米国債を売却して、円に換え1.5兆円(2025年3月決算)の損失を確定させる予定のようです。米国債を売却する目的は、農林中金の資金繰り、つまり現金不足を満たすためです。
農林中金は、農家のマネーである農協の預金+共済保険(約100兆円)の上部の運用機関です。預金者は組合員の農家です。政府系ファンドとして、56兆円を外債、株、円国債と株で運用しています。
ここで、農林中金と農協の関係について触れておきます。
戦前、農業には「農会」と「産業組合」という2つの組織がありました。「農会」は農業技術の普及、農政の地方レベルでの実施を担うと共に、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行っていました。農会の政治活動の最たるものは、米価引き上げのための関税導入でした。
農会の流れは、現在農協の営農指導・政治活動(JA全中の系統)につながっています。地主階級が米価引き上げや保護貿易を推進したのと同様、農会を引き継いだJA農協は、高度成長期に激しい米価闘争を主導しましたし、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉、TPP等の貿易自由化交渉においては、農産物の貿易自由化反対運動を展開しました。
「産業組合」は、組合員のために、肥料、生活資材などを購入する購買事業、農産物を販売する販売事業、農家に対する融資など、現在農協が行っている経済事業(JA全農系統)と信用事業(JAバンク、農林中金系統)を行うものでした。
当初産業組合は、地主・上層農主体の信用組合に過ぎず、1930年の段階でも、零細な貧農を中心に4割の農家は未加入でした。
状況が大きく変化したのが昭和恐慌でした。農産物価格の暴落によって娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、1932年農林省は、有名な「農山漁村経済更生運動」を展開します。産業組合は、全町村で、全農家を加入させ、かつ経済・信用事業すべてを兼務する組織に拡充されました。これを農林省は全面的にバックアップしました。
特に支援したのは、コメの集荷と肥料の販売でした。これに圧迫されたコメ商人や肥料商人から激しい「反産(産業組合)運動」が起こされました。
このような事態の中、農産漁村経済更生運動の大きな目標が農民の負債整理でした。この手段として、産業組合が活用されました。産業組合中央金庫が、その全国団体として設立されました。半分が政府の出資によるものでした。したがって、政府系金融機関としての性格が強く、理事長以下の幹部はほとんど役人です。これが、現在の農林中金です。
産業組合中央金庫は、政府の出資金を利用して農業に低利で融資するものだったため、高橋是清蔵相は金融体系を乱すものとして設立に反対しました。しかし、農山漁村経済更生運動を推進した小平権一(後に農林次官)が、「あんなもの、頼母子講に毛が生えたようなものですよ」と煙に巻いて認めさせました。大きな頼母子講になってしまいましたが。
この「農会」と「産業組合」という2つの組織が、第二次大戦中、統制団体「農業会」として統一されます。農業会は、農業の指導・奨励、農産物の一元集荷、農業資材の一元配給、貯金の受け入れによる国債の消化、農業資金の貸付けなど、農業・農村の全てに関係する事業を行う国務代行機関でした。
終戦直後の食糧難の時代、農家は高い値段がつくヤミ市場に、米を流してしまいます。そうなると、貧しい人にもお米が届くように配給制度を運用している政府にお米が集まりません。そのため、政府は農業会を農協に衣替えし、この組織を活用して、農家からお米を集荷させ、政府へ供出させようとしたのです。これがJA農協の始まりです。
GHQ(連合国最高司令官総司令部)の意向は、戦時統制団体である農業会は完全に解体するとともに、農協は加入・脱退が自由な農民の自主組織として設立すべきだというものでした。農林省の中にも、そうした正論はありました。しかし、戦後の食料事情はそのための時間的余裕を与えてくれませんでした。こうして農協は農業会の「看板の塗り替え」となりました。
農協法の前身の産業組合法も、当初は信用事業を兼務する組合を認めませんでした。戦後、農協法を作る際も、GHQが意図したのは、欧米型の作物ごとに作られた専門農協でしたし、GHQは、信用事業を農協に兼務させると、信用事業の独立性や健全性が損なわれるとばかりか、農協が独占的な事業体になるとして反対していました。しかし、農林官僚が日本の特殊性を強調し、総合農協を維持しました。信用事業を兼務できる協同組合はJA農協(と漁協)だけであり、信用事業と他の業務を兼務することは、農協以外には、日本のどの法人にも認められていません。
このような農協の上部運用機関が農林中金です。
農林中金は2008年のリーマンショックの時にもデリバティブで5兆円の損失を出しています。住宅ローン債権の保障保険であるCDS(Credit default swap)と、債券の合成証券であるCLO(Collateralized Loan Obligation:ローン担保証券)での損失です。
CDSは債券の回収の保証する保険です。対象とする債券のデフォルト(支払不能)が増えるとCDSの価格は上昇します。農林中金は破産保証料を受け取って、債券がデフォルトした時に支払う義務が生じる保険金を引き受けていました。
債券が無事な時は現金の支出は無く、受け取る保険料は保証の対価としての利益です。しかし、債券が破綻すると、その全額を保証しなければならず、一気に巨額の損失が出てしまうのです。リーマンショックの際には農林中金はこれで巨額損失を出しています。
今回の農林中金の損失は米国債が原因です。
コロナがもたらした経済の危機対策として、金融の超緩和(4兆ドル:620兆円のドル増刷)があった2020年から2022年に、農中が買った米国債の金利は10年債でも0.25%と低いものでした。インフレもまだありませんでした。現在は、インフレ対応のため金利が上がっていて、米国債の長期金利は5%です。
ここで、債券と金利の関係を見ておきます。
債券価格と金利は逆の動きをするシーソーの関係になっています。つまり、金利が上がると債券価格は下がり、金利が下がると、債券価格は上がります。
例えば、金利2%の債券があるとします。
この債券を100円分買えば、1年間で2円を受け取ることができますが、債券の金利が3%に上がったらどうなるでしょうか。金利3%の債券を100円分購入すれば、1年間で3円を受け取ることができますよね。そうなると、金利2%の債券よりも、金利3%の債券の方が魅力的、ということになりますので、金利2%の債券は魅力が減って価格が下落します。
逆に債券の金利が1%に下がった場合はどうでしょうか。金利1%の債券より金利2%の債券の方が多くの利益が見込めます。つまり、より魅力があるということになりますので、金利2%の債券の価格は上昇します。
このように債券の価格というのは金利と密接に関係していて、シーソーの関係のように、金利が上がると債券価格は下がり、金利が下がると債券価格は上がるという特徴があります。
コロナ禍の金融緩和時の金利0.25%で9,200億ドル(10兆円)の米国長期債は、「9,200億ドル÷(1.05^8)=5,680億ドル」の時価に下がっています。(^8は8乗を表す)
インフレからの金利上昇による国債価格の下落はこれほど大きなものなのです。これはドル国債、円国債に共通のことです。国債の価値=通貨の価値ですから、38%のドル国債価格の下落は、100ドルの実質価値の38%の下落を示すものです。
しかし、米国債の価格はドルで見れば、急落しているのですが、円で見れば2020年の1ドル109円は、現在は160円ですから、ドルでの価値は下がっていないように見えます。
農林中金が買っていたドル国債は米国インフレ対応の利上げで5,680億ドル相当下がったとしても、日本が円売り、ドル買いをすることで生じた1.46倍のドル高・円安のため「5,680億ドル×160円=9.1兆円」になっているので、円では1兆円程度しか損が出ていないはずです。
なぜ、2.2兆円の損が出たのか。答えはドル安へのヘッジ料にあります。
預金を預かる金融機関は、外債への投資の時は、為替変動リスクが期待金利より大きいことが多いので、普通は「為替ヘッジ」をします。ドル安ヘッジは、保険料を払ってドル安の時におりる保険金をかけることを意味します。
金融機関は農林中金であっても、預金者(農協)に対して、運用の損をしてはならない義務を負っているからです。
農林中金のケースでは、ドルの米国債を買いますので、ドル安のヘッジをします。このコスト(保険料)が年平均でおよそ4.5%はありました。ドル安のヘッジコストは、日米の金利差にほぼ等しいからです。
これを計算してみると、「(1-0.045)^4=0.83」となります。つまり、10兆円のドルのヘッジコストを4年間払ったら8.3兆円になったということです。4年間で17%のヘッジコストを払っていたのです。
ここまでの流れをまとめると次のようになります。
①農林中金が買っていた10兆円相当(9,200兆ドル)のドル建て米国債は、米国の金利上昇により、4年で5,680億ドルにさがった。
②しかし、その間の1.46倍のドル高・円安のため、円換算では米国債の価値は9.1兆円だった。(円換算だと9,000億円の損だった)
③ところが、農林中金は、ドルの米国債保有リスクであるドル安ヘッジのため、米銀に年4.5%の為替ヘッジコストを払っていた。
こうして10兆円相当の米国債の下落と為替ヘッジコストで2.2兆円の損失が出てしまったということでしょう。
これが農林中金の出来事でしょう。購入した数年後に米国債を見ると、円で見たときは「下落した米国債価格+ドル安のヘッジ料」が円安の為替利益より大きく、2兆円の大損をしていたという話です。
この事例は果たして農林中金だけでしょうか。GPIF、郵貯、かんぽ、銀行、生損保、政府外貨準備なども程度の差こそあれ、共通したスキームを持っているはずです。
日本はGPIF、郵貯、かんぽ、銀行、生損保等で1,000兆円の外債(80%がドル債)を保有しています。
ドル安を100%ヘッジしていれば200兆円の損です。ドル債の運用総額の50%ヘッジなら100兆円の含み損、30%ヘッジで30兆円の含み損です。
上記の機関は、ドル債をどの程度ヘッジしているでしょうか。ヘッジが少ないドル建てリスク債の運用でしょうか。ドル国債の円での損失は、売却する時しか開示されません。爆弾はどこにあるのか。
NISAにおける投資にも注意が必要です。
「なるべくなら為替による損失は避けたい」と考えて、このリスクを避ける行為が「為替ヘッジ」です。ただ、「為替ヘッジ」を行なうにはコストがかかることがあります。この費用はみなさんが直接的に支払うものではありませんが、信託財産から引かれるため、基準価額にマイナスの影響を与えます。
一般的にヘッジコストは相手国との短期金利差(例えば、米ドル・円の場合、米国の短期金利と日本の短期金利の差)が反映されます。そのため、投資先が金利の高い国であればあるほど、為替ヘッジコストは高くなり、運用成績を下げる要因となります。
NISAでドル債買い、世界株(eMAXIS:オルカン)買いをしている人は、為替ヘッジが期待利回りより高いコストになることがあることを深く認識しておく必要があります。
日本の政府(外貨準備:1.2兆ドル)と金融機関が持つドル債は1,000兆円相当と巨額です。
農林中金と似た運用ならば、どこかの機関に合計で200兆円の含み損があって、2025年、2026年、2027年には露呈せざるを得ないでしょう。
インフレで金利が上昇するときの低金利の国債はリスク債券です。
例えば100万円の国債は満期の10年後には満額の償還があるから、途中で金利が上がり、時価の価格が下がっても損が無いという通説があり、リスク債券ではないとされています。
しかし、金融の原理からは、未来の100万円を金利で割り引かなければなりません。割引現在価値(NPV)からは、政府が言っている「国債にリスクは無い」ということは間違いです。
10年後の100万円は、金利が3%の時の割引現在価値では「100÷1.03^10=100÷1.35≒74万円」です。
期待金利が3%の時、100万円を貸して10年後に実質価値で74万円を受け取って満足する人はいません。最低でも上がる物価に対して実質的な価値を維持する年利3%を求めるでしょう。
「100万円×10年で3%利付の1.35=名目額135万円=金利3%で割り引いた現在価値が100万円」です。つまり、10年後の100万円と現在の100万円は価値=購買力は等しくはありません。
金利は時間価値を等しくするためにあるものです。100万円を10年間貸すとき、3%程度の金利が無ければ貸さないでしょう。これが、マネーの時間価値=金利です。
満期まで持てば、政府が発行額面の100%を償還する国債での損は無いというのは、物価が3%/年で上がる時はファイナンス理論からは誤りです。
米国で金利が上昇したことによって起きている歪みは、債券価格の下落です。しかし、その損失は売却をする時に表に出てきます。逆に言うと、表に出せる損失だけを確定させるが、表に出せないものは隠されている可能性があります。
農林中金が発表した2.2兆円もの含み損、1.5兆円の損失の確定は、「出せる」から「出した」とも言えます。
前述したように、債券は満期まで保有していれば、損は無いというのは誤りです。米国では利下げ観測は出てはいますが、仮に0.25%の利下げがあったとしても、5.0%~5.25%それでも、コロナ時期の0.25%に比べると、4倍です。
農林中金の損失の発表は、高金利がもたらす金融機関の悲鳴も始まりに過ぎないような気がします。