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戦後の金融体制を知る③バブル崩壊から銀行危機まで

【史上最大のバブル】

日本経済の成長を引っ張っていた輸出が、円高に向かった1985年から減り、円高不況に突入しました。日銀は、輸出を減らしたプラザ合意以降の円高に対応するため、国債を発行して公共工事を増やして内需の拡大を図り、金利を下げて貸付を極端に緩めました。緩和マネーは内需である設備投資に向かうより、金融資産の株と不動産の買いへと向かっていきました。

ここから歴史上最大のバブル経済が始まりました。日経平均は1980年に7000円、1985年に1万2000円でしたが、1989年の年末には史上最高の3万8915円に上がりました。4年で3.2倍、年間34%の急騰でした。

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