生きること、大島に行く意味:私が考える命
ベネッセアートサイトとのコラボは11月10日に大島へ行きます。子どもたちには「生きること」の意味を自由に感じ、表現してもらえたらと願っています。私自身の過去の経験や保護者さんとの対話をしながら、死を考えるよりも、生きることの大切さを伝えたいという思いがあります。
少し、長いですが、生きること、命をテーマにしたこの活動が、少しでも皆さんの心に響けば嬉しいです。
■大島で感じる命と生きること
今度、香川県大島へ行きますが、大島はハンセン病の施設があります。瀬戸内芸術祭で私も、10年ほど前に行かせてもらった時の感覚は、本当に特別でした。
心なのか胸なのか、自分の感覚を感じたのはそんなところでした。どんなふうにと言われると誤解が生じそうで、私もそれがなんなのかは伝えられず。
今回、子ども建築士教室でのベネッセさんとのコラボは大島はどうですか?とベネッセアートサイトさんからお話をいただいた。子どもたちと行けたら、きっといいだろうと思えた。
命、生きること、命の最後
子どもたちと過ごす時間の中で何ができるだろうと考えている。
■お墓を作るということ
私はずっとお墓を子どもたちと作りたいと思ってて。それは、イサムノグチの庭園美術館へ行っても感じてた。
大好きなイサムノグチ庭園美術館の丘の上には卵型の彫刻があり、そこにはイサムノグチの骨が入ってると聞いた記憶があった。
公式にはまったくそのことには触れてないし、私が覚えているのは間違いなのかもしれないけど、でも、あそこに立ったら、イサムノグチが、この丘の上にずっといて、あの素晴らしい景色をみているんじゃないかって思える。
あそこに立てば、全ての目に見える景色が映画みたいで、軽い空気感の中に、ちょっと息苦しさをまとうような、悲しみもある感覚を持つ。
命尽きるとき、ホネヲウズメル場所は自分はどんなところだろう。そこまでに、どこにいたいのか、どうしてたいのか。
子どもたちはそんな場所をどうとらえてどう表現するだろう。そんな感覚もあった。ただ四角い石ではなくて、自分がそこに骨をうずめるなら、魂を昇華させるなら、どんなものにするだろう。
お墓を作りたいのは、死や命を真正面から真剣に考えるというよりは、そこまでの人生をどう生き、どう表現したか。やっぱり楽しかったと、自分の最大の最後の表現としてお墓をカタチにしたら、どう生きたいかが表現できないかなと思っただけでした。
■死よりも生きることを考える
ベネッセアートサイトさんとの再度の打合せで結局は、死ではなく生きるということに焦点をあてることになり。それはそうだ、生きてこそだものだし、大島は生きるための島だったこと。
お墓を作ることはできなくなったけど、子どもたちには、風の舞でモニュメントを見ながら、自分だけのモニュメントを作ってもらう。
子どもたちはどんなふうに表現するのだろう。
そんなことを、感じ考えながら、子どもたちがどう感じ、どう表現するかを引き出すんじゃなくて、それを全て子どもたちにゆだねるようなそんな時間にできたらとも思う。
正解も、間違いもない。
■親と子どもの命についての対話
そんな中で、参加する保護者さんとlineでこんなやりとりをしました。
「一昨日の夜「自分がいつ死ぬか、どうやって死ぬか考えたら怖くなった」と泣き出した、長女。
その日見たテレビで、朝起きたら布団で冷たくなって亡くなってた…というエピソードを見て、何か思うところがあったのだと思います。
また、大島で本人なりに何か思うと思います。」
小学校3年生の女の子のお母さんからでした。
「怖さを感じさせる意図はなかったけど、死ぬのが怖いと思うのは普通であって、そうやって生きていくんだと思ってる
自分を傷つけることなく、自分を大事に、健康で生きていくのが幸せだと。
死にたい
そう思える世界ではなくて
この人のために、自分のために、生きていたいと思えるように
子どもたちにはそういてほしい
大人も同じこと。
満足、いつ死んでも悔いはない
そんな終末を迎えられたらいいよね。
私もまだ死ねない。生きていたい。」
とお返事を返しました。お母さんからまたお返事が来て
「Iが、泣いて泣いての時に共感することしかできず、死をタブー視することなく、話しができればよかったのですが、うまくできず。。。
私もご一緒して、いろいろ考えてられたらいいなと思っています。
だから、私もまだ死ねない!笑。」
こんなことを、お話できることも貴重なことだろうし
私もまたいろいろ考えるきっかけももらえました。
■自分自身と死に向き合う
私も、明日死んでいたらどうしよう
とてつもない恐怖で寝られない
そんな子どもだったから
怖いはよくわかる
私にも自分で命を本気で絶ちたいと思ってた思春期もあり
それでも、私は両親のために生きていこうか。。。
そうなったこともある
娘の手首の傷を見つけて
死んじゃダメとは言えず
死にそうなどん底の彼女を救えずにいても
もうしょうがないんじゃないかと思える状況も
大切な人が
本当にこの日、命を絶ってしまうんじゃないかという恐怖の中
生きててくれていることに本当に願いを込めたこともある
死にたいとつぶやかれたストーリーに
心がざわざわしすぎて
知らない人なのに
死なないでって震える手で連絡しまくった
死ぬのは怖い。本当はそこが本当で本当。
生きてて欲しいと願うのが本当の本当。
なんでかこんなに書いてる。
■生きること、死ぬこと、そして私の思い
大島に行くことは、死を考えるきっかけにするつもりは全くなかった
子どもたちには、いつものように今を楽しく生きていくことを流れの中で知って、味わって、表現していってもらいたい。
生きることって楽しい
でも、それだけじゃないのも味わいの中で知ってほしい
それでも、生きて、生きて
生きてて欲しい
それは私の願いでもある
死ぬことと生きることは、正反対のようで、そのまま同じことのようで。
死は生きた証の最後。
私があなたが生きた、それまで精一杯、ギリギリまで生きた最後の瞬間。
ならその瞬間は、きっと素敵な瞬間。
そんな命や生きることに目を向けながら
自分のことを見て、楽しんで、表現していくことができるように
大島の一日は、大切な時間として紡いでいきたいな。
11月10日 香川県高松港集合9:00 解散17:00ごろ
大島へ行きます。詳細は以下へ
参加者募集中です。県外からも参加できます。
申し込みは以下です。
https://forms.gle/jbw324mC7Vu6YZXN8
こういう、書き方しかできないけど
私なりの表現で生きていけたら。
それしかないのだろうな。
■MIRAICRAFT
生きる力を引き出す子ども建築士教室 MIRAI CRAFT 主宰
■香川県高松市
■子ども建築士教室
創造あそび・模型コース
■ベネッセみらいキャンパス講師
■ミライクラフト一級建築士事務所