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街へくり出す、建築で遊ぶ──子どもたちと歩く東京
子どもたちと建築を巡る意味
東京の子どもたち3人と大人1人、みんなで5人。
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街へくり出す。
そういう感覚だろうかな。
綺麗だね。 すごいね。 楽しいね。
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走ってもいい? 登ってもいい?
これってなんの実?
建築を見るというのは傍らであって、 そこでみんなで過ごすことが大切なことと改めて思う。
穏やかな時間の中で、気になったことを気になったときに、瞬間的に叶えていく。
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ベンチの隙間を覗き込んでる小4女子3人なんて、あんま見かけないかもね。 回転扉でぐるぐる(笑)。
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それに輪をかけるように大人が遊ぶ。 「あそこ行ってみよ!」
好奇心がくすぐられるままに、街でも建築でも遊ぶ。
子どもたちがそこの場所の一員になる。
景色になる。
建築とはそんな感じで。
子どもをも許容するものであったらなぁ。
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東京の街で遊ぶ
明治神宮ミュージアム。 代々木体育館。 ハラカド。 オモカド。
半分しかいけなかった。 そのあとは時間オーバー。
子どもらしい子どもたち。 そしてみんな優しい。
それがどれほど大切か。
私が目指す在り方
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この写真がお気に入りで、私の目指す、私の在り方。
小さく見える向こうにいる子は、体育館の写真をかっこよく撮るためにそこにいた。
私は彼女らを愛おしく思える。
街へくり出し、建築で遊ぶ
街にくり出す。 街で遊ぶ。
東京なら遊べる建物は山程ある。
信じて手放す。 会ったのは数回だけど、この子たちの信頼は絶大。
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街であそべ。 建築であそべ。
建築を巡るということから
「子どもが遊ぶ」とはどういうことか考える。
今一度、遊びとは?を考え直したい。