巡り廻って辿り着いたが近くどこかで道に迷う
こんばんは、お久しぶりです、更新間隔がどうも1つの季節に1つの手紙を書いているほどですが、計らいでもなんでもなく少し立て込んでいました。
最近は陽が燦燦としていてもすっかりすぐに寒くなりきってしまいます、あきなんて存在しない気がしますね、書くことにも、東京にも。去年は随分とTシャツを買いすぎてしまいました、夏の準備は万端です。あのこもごもとした定まらない季節、爛漫で一場な春というやつが日々段々と訪れることを祈ります。
先日飛行機に久しぶりに乗ったのですが、乗るたびに、席に座る際コートを脱ぐべきか迷ったまま立ち止まって、通路の邪魔になってはいけないと自分の背中にこびりついたなにかに列から弾きだされた気がして、着たままに座ってしまいます。
飛行機の小窓は、自分の列のものを閉じても前から後ろからと光が隙間を縫い入ってきます。昔から乗り物は、動き出してしまうと身動きが取れないという恐れからか少し苦手で(プロゲーマーという職業ながら三半規管が弱いというそもそものあたしのキャラクリエイト時点でのステータス振りミスに寄るところもあります)、何か大きな、自分では決して御しきれない存在に身をゆだねているという感覚を遮るために必死に窓を下ろし瞼を閉じるのですが空しくも、自分と飛行機の接地面から伝わってくる振動とキャンセルしきれないエンジンの駆動音は、この塊が激しく息をしていてあわや生き物として存在していること、そして次に大きく息を吸った時こそ動き出すということを訴えかけてくるのです。
異界に赴く楽しみを雲のような掴み切れない不安で包み、蒸し、身体が斜めになり始めたうちにその包みを開けて、包みの中がさして変わっていないことを確認してから眠りを試みます。段々と線毛が白と青の電飾でライトアップされていき、大きく吸い込んだ数刻後への期待が薫る新鮮な空気は、線毛で華やいだ気管ストリートを通って肺へと飛び立ち全身を巡ります。が、突然ぶつんと、ああ、停電でしょうか。一度目を開け機内が明るいことを確認し、目を瞑ります。生きるために電力は賄われ身体を循環し続けなければいけませんが、なんだかずっと怏々としてしまうあたしは、電気を産み出し発生したエネルギーをためておける自信がないのです、それどころか強い抵抗でありたいはずが常に漏電してしまいたいのです。激しい耳鳴りの高揚感も万が一の緊急事態用の対応アナウンスが煽る不安も、毎秒肉体の座標が変化し続けているという二次元の自分から得られる生きている心地も非日常で飾られた色めく胸中も、それらすべては気を抜くと急に襲ってくる、自由に思えても自分は根底で常に何かに縛られているという、おおよそ漠然とした足の生えた不安ににじり寄られ、現実の受容を迫られ、続いて嫌気が顔を出す、のです。重たい瞼を少し上げるとやはり彼は前の列の窓から覗いている。前列の窓際の人は可哀想ですね。あたしが着ていたのは安いシュガーコートだったようで、外界の難しい酸いや甘いを分かりやすく翻訳していると思っていたものは身勝手な解釈そのものだったようです、bittersweetですね。悲喜こもごもという単語は英訳するとこうなるそうです。哀も歓も入る隙をうかがっています。
自分がどうも疲れていると思ったときにどうしようもないほどに無駄な時間を過ごせないか試みることがままあります。タオルを普段より1回分多く畳んでみたり味噌汁を普段の二倍の時間をかけて飲んでみたり、両手で運べば一度で済むリビングの往来を片手で二度に増やしてみたりなどすると、自分が生きていることを強く実感できるのです。自分が人の生涯や感情について語れるほど達観しているとは到底思えませんが、せめてなにかにしがみついて引っ張られて生きていけるように強い執着心が芽生えるような素敵な経験を積み重ねられたらなと暗中模索していた新年でした、今年もよろしくお願いします。